480 ミッテレ・インポシビリタス(12)
完全に機械の身体になっていたタンリンを、辺境伯アーロンの援護で斃したゾイアであったが、タンリンの自爆を避ける暇がなく、表面人格をウルスラに交代してもらった。
気絶から目醒めたばかりのウルスラは、反射的に防護殻を張り、爆風を防ぐ。
ウルスラは、識閾下の回廊を通じてゾイアから状況を聞き、怪我をしているケロニウスを連れて逃げているアーロンを追った。
飛んで来るウルスラに気づいたアーロンは馬を止め、クジュケが設定した座標にケロニウスを連れて跳躍するように頼む。
ウルスラは一度聞いただけで座標を覚え、「どこですの?」と尋ねた。
「最初に辺境に来られた際、王女も一度お泊りになられた、わが傅役シメンのカスタット砦でございますよ。マリシ将軍もそこにいらっしゃいます」
「まあ、いったいどうして?」
アーロンは悲しげに俯いた。
「お恥ずかしい話ですが、昨夜、あの東方魔道師が率いる腐死者たちに攻め込まれ、クルム城を奪われたのです」
「攻め込まれた?」
「ええ。瘴気の強まりと共にンザビが活発化して昼間も動くようになり、警戒は怠らないようにしていたつもりですが、所詮、兵士のような統制のとれた行動はできぬはずと思い込んでおりました。急なことで防戦一方となり、やむなく城を捨ててカスタット砦まで退避したのです。おっと、詳しい話は後にいたしましょう。一先ず、老師をお願い申す」
「ああ、そうですわね」
アーロンが馬から下りると、ウルスラは空中浮遊したまま馬上のケロニウスにそっと触れた。
グッタリとしているケロニウスの身体が徐々に光り始め、ウルスラの掌に吸い付くようにフワリと浮き上がる。
馬から少し離れたところで、二人の身体をシールドが包み、フッと消えた。
それを見届けてから、アーロンは再び馬に乗り、後を追うように駆け出して行く。
ウルスラたちがリープした先は、小高い丘の上ににある古い石造りの砦である。
その格子状の鎧戸の前に浮かびながら、ウルスラは懐かしさに微笑んだ。
「初めてここへ来た時は、シメンさんに疑われて大変だったわ。でも、今なら大丈夫かしら?」
躊躇っている場合ではないと、ウルスラは声を張って呼び掛けてみた。
「お願いします! 開門してください! 怪我人がいるのです!」
ギギギッと音がして、鎧戸の奥の内門がホンの少しだけ開いた。
そこから髭面の巨漢が顔を覗かせたが、不意にその豪傑めいた顔をクシャクシャにして落涙した。
「おお、ウルス王子と同じ顔立ちであられる。ウルスラ王女に相違ない。シメンどの、開門されよ!」
内門が開くのと同時に、鎧戸も引き上げられた。
その正面に立っている巨漢の片腕がないことに気づき、ウルスラも涙が零れた。
「マリシ将軍、お久しうございます!」
言われたマリシの顔にやや戸惑いがあるのは、辺境や北長城にいる間は、常にウルスの姿しか見せていなかったからであろう。
が、マリシはすぐに笑顔に変わり、「ささ、どうぞ中へ!」と案内した。
ウルスラは空中を移動しながら、「老師がお怪我をされています。このまま、寝台のある部屋までお連れしてもいいですか?」と尋ねた。
「おお、無論です。いいですな、シメンどの?」
マリシの視線の先に、頑固そうな面構えの白い顎髭の老人がいた。
空中に浮かぶウルスラをチラリと見たが、表情は硬いままで、「ご自由に」とだけ告げて去って行った。
マリシはシメンを弁護するように、「昨日から、ああなのです」と苦笑した。
「城に攻めて来たンザビたちを見て、不可思議なことはもう沢山だと拗ねているのです」
ウルスラは、「まあ、そうなのですね」と応えながらも、シメンが未だに自分を魔女と疑っていると察し、悲しそうな顔になった。
マリシが案内してくれたのは、普段は自分が使っている部屋のようであった。
マリシなりに、シメンに遠慮しているのであろう。
「ささ、このベッドをご自由にお使いくだされ。汚れても構わんので」
「ありがとうございます」
ウルスラは、空中でケロニウスの身体を仰向きに変え、ゆっくりベッドに下ろした。
自分も床に降り、ケロニウスを覗き込む。
瞼を閉じた顔には血の気がなく、呼吸は浅く早い。
「どうしましょう。ここにはピリカ姉さんもニーナ姉さんもいないし。え? 傷口を調べるの? 血が一番出てるのは、ええと、右肩の辺りかしら。あ、服に小さな穴があるわ。え、出口? ああ、肩の背中側に、前側より少し大きめの穴があるみたい。貫通? それが良かったって、どういう意味?」
横で聞いていたマリシが堪りかね、「王女、誰と話しておられる?」と尋ねた。
ウルスラはハッとして「ああ、そうでした。ご本人からご挨拶がしたいそうです」と言うと、顔を上下させた。
瞳の色がアクアマリンに変わる。
顔つきも少しゴツくなった。
「マリシ将軍、ご無沙汰している。少しお痩せになったようだな」
「おお、まさか、ゾイアなのか?」
「うむ。申し訳ないが、説明は後だ。今から言うものを至急用意して欲しい。きれいな水を木桶一杯。清浄な晒の布をあるだけ。なるべく強い火酒を一瓶。新しい針と木綿糸。おお、それから、火の点いた蝋燭を一本。以上だ」




