474 ミッテレ・インポシビリタス(9)
ニノフの許から跳躍したウルスラとケロニウスは、朝のうちにクルム城の近くへ到着した。
だが、城は不気味なほど静まり返っている。
不安がるウルスラに、ケロニウスは、アーロン辺境伯から城を退去するとは聞いていないと説明した。
と、ウルスラが顔色を変えて「待って!」とケロニウスの話を遮った。
「老師、あそこを見てください!」
ウルスラが指差す城の楼台に、襤褸布の塊のようなものが並んでいる。
それは、鈴生りになった、腐死者の群れであった。
「こ、これは、いったい……」
言葉を失うケロニウスに、ウルスラは「老師、逃げましょう!」と声を掛けた。
そう言いつつ既に浮身したウルスラを追うように、ケロニウスも空中に浮かんだ。
次の瞬間、軋むような音と共に城門が開き、わらわらと夥しい数のンザビが出て来た。
同時に、強烈な腐敗臭が辺りに立ち込める。
ケロニウスは顔を顰めた。
「いかん! 王女、防護殻を!」
「はい!」
空中を漂う二人を、それぞれ光る半透明の球殻が包んだ。
「むう。最近は瘴気の強まりで、北方以外でも日中に活動するとは聞いていたが、なんと、ンザビが走っておる。考えられん」
「アーロンさまは、ご無事でしょうか?」
核心を突くウルスラの質問に、ケロニウスは短く「そう願う」とのみ答えた。
今にも泣きだしそうになったウルスラの顔が上下し、瞳の色がアクアマリンに変わる。
その途端、ウルスラの身体を包んでいた光る球殻が消滅し、落下しそうになるところをケロニウスが捉まえて自分の球殻の中に入れた。
その間に下がってしまった高度を、再びグングン上げて行く。
ウルスラと人格交代していたゾイアは、自分を抱えているケロニウスに詫びた。
「すまぬ、老師。やはり、魔道の業は、本人にしか使えぬのだな」
苦笑するゾイアに、ケロニウスは首を傾げた。
「どうなのじゃろう? どこまでが本人に所属するのかはわからぬが、同じ肉体なら使える理気力に変わりはないはず。となると、後は技術の問題ではないかな。つまり、修行次第で、ああ、いや、今はそのような考察をしている場合ではなかったな。どうした、何か言いたいことがあったんじゃろう?」
「うむ。ンザビが走るのには、確かにわれも驚いた。が、それより注目すべきは、かれらの合目的的行動だと思う」
「はあ? なんじゃと?」
「合目的的行動だ。われの知る限り、ンザビは、人間を襲って仲間を増やすという単純な衝動以外持っていないはず。楼台に見張りを立てたり、時機を見計らって城門を開いたり、といった目的に適った行動などしないものだと思う。抑々雨露を凌ぐ必要のないかれらが、何故に城の中に住む?」
「成程のう。つまり、こやつらを操っている者が別におるのではないかと、いうことじゃな」
「お、噂をすれば、向こうから現れたようだ」
ゾイアに言われて、ケロニウスも下を見た。
クルム城の楼台に犇めき合っていたンザビは全員下に降り、誰もいなくなっていたのだが、いつの間にかそこに、黒い染みのような人影がポツンと一人で立っていた。
鍔広の帽子を被り、脚まで届く裾の長いマントを羽織っている。
典型的な東方魔道師の恰好である。
その男はフワリと浮身すると、ゾイアたちのいるところまで上昇して来て、同じ高さで空中浮遊した。
帽子の下から覗く顔はマオール人の特徴が顕著で、頬骨が高く、目が細い。
ゾイアも良く知るタンリンの顔である。
だが、その目は虚ろであった。
そのまま何も言って来ないため、ゾイアの方から皮肉を込めて「久しぶりだな、タンリン」と声を掛けたが、何の反応もない。
タンリンの顔には全く生気がなかった。
かといって、ンザビ化している訳ではないことは、そのツルリとした顔の皮膚を見ても明らかであった。
タンリンの虚ろな目は、何かを探すように動いていたが、ゾイアの顔の近くで視線が彷徨っている。
相手がウルスラかどうか迷っているようだ。
タンリンは一度目を閉じ、再び開くと今度は真っ直ぐゾイアの顔を見た。
そして、口を閉じたまま、その喉の辺りから奇妙な声を出した。
「惑星浄化作業の妨害者に類似した実存を発見。念のため抹殺します」
タンリンの口がパカッと開き、そこから金属の筒のようなものが、ヌーッと出て来た。
ゾイアが珍しく怯えたような声で「老師、急上昇してくれ!」と叫ぶ。
「おお、心得た!」
だが、ケロニウスが上昇するのに合わせてタンリンも高度を上げ、金属の筒はピタリとゾイアを狙ったままである。
「老師、左右に揺さぶってみてくれ!」
「うむ、やってみよう!」
ケロニウスは、上昇を続けながら右へ左へと蛇行したり、更には後方へ宙返りして、錐揉みするように旋回しつつ下降してみたりしたが、一向に引き離せず、タンリンはずっとついて来ている。
ゾイアは声を低めて囁いた。
「老師、われを、いや、ウルスラの身体を放り出してくれ」
「し、しかし」
「構わぬ。さあ!」
「わかった」
下降から急上昇へ転じる刹那、ケロニウスはウルスラの身体を放した。
ゾイアが表面人格になったまま、ウルスラの身体はケロニウスの光る球殻を突き抜け、空中に飛び出した。
さすがにタンリンも追い切れず、ケロニウスと共に上昇し続けている。
上手くタンリンを振り切ったものの、ウルスラの身体は放物線を描きながら、ンザビの群れが待ち受ける地面へ落下して行く。




