470 ミッテレ・インポシビリタス(7)
レウス王子側から言い渡された三日間の猶予の二日目の早朝、クジュケは暁の女神の砦に到着した。
まだ誰も起きていないであろうとの予想は外れ、張り出し露台にニノフが座っていた。
大きめのポットをテーブルに置いて、薬草茶を飲んでいたようだ。
目の前に跳躍して来たクジュケを見て、ニノフは何故か、ややホッとしたような顔をしている。
クジュケはその前に進み、片膝を着いて挨拶をした。
「お久しうござりまする、ニノフ殿下」
ニノフは笑いながら手を振った。
「ああ、そのような堅苦しいことはせずに、一緒にハーブティーを飲まないか?」
「ありがとうございます。ですが、緊急のお知らせにて」
ニノフも表情を改めた。
「おれを牢屋に入れるとかいう摂政レオンの通達の件なら、こちらにも来ているよ。無礼な話だし、従うつもりはないけどね。既に国境は封鎖し、副将のボローを警戒に当たらせている」
「おお、素早い御対応、安堵しました」
まだ片膝を着いたままのクジュケを、ニノフは微笑みながら手招いた。
「取り敢えず座らないか?」
「ありがとうございます」
遠慮がちに向かい側に座るクジュケに、ニノフは尋ねた。
「どうしたの? 向こうで何かあった?」
クジュケも苦笑して答えた。
「すみません。ある男が、ウルス王子に対してあまりにも馴れ馴れしく、腹が立ったので、自分はキチンと礼儀正しくしようと思いまして」
ニノフも「ああ」と笑った。
「ロックだね。しかし、ああいう態度はかれの持ち味で、あれはあれで好いと思うよ」
クジュケは身を乗り出した。
「そこなんです! ゾイア将軍もそうですが、みんなしてあの男を甘やかすから」
ゾイアの名前が出た瞬間、ニノフは少し顔を強張らせた。
が、すぐに笑顔になって「まあまあ」とクジュケを宥め、自らカップをもう一つ用意してポットからハーブティーを注ぎ、クジュケに勧めると、徐に本題に入った。
「今回の件だけど、ウルス王子の方は、どう対処されるおつもりなの?」
クジュケも、一口ハーブティーを飲むと、いつもの有能な官僚の顔に戻った。
「はい。ウルス殿下も理不尽な要求に応じるつもりはありません。向こうは三日間の期限を切ってきましたが、油断することなく、いつでも不測の事態に対応できるよう、準備を進めています。わたくしのように各地へ飛んで連絡すると共に、予定戦場の住民の避難誘導など、手分けして当たっております」
「情報収集は?」
クジュケは下唇をちょっと突き出したが、ニノフに対して失礼になると気づき、慌てて引っ込めた。
「ロックがやっています。ガサツな男ですが、何しろ下世話なことには詳しいので。ただ、報告の仕方には問題がありまして」
クジュケは更に文句を言いたそうであったが、ニノフは違うことを考えているようであった。
「かれなら、抜かりはないと思うけど。ああ、話をちゃんと聞いてなくて、ごめんね。ちょっと気になっていることがあって」
「何でしょうか?」
「まあ、単純な話だけど、蛮族軍は二万、正規軍は四万五千だよね。今回、おれの方は援軍を出す余裕はないけど、二万はいる。それに自由都市同盟が、さあ、今では同じ二万ぐらいかな。場合によったら、プシュケー教団の援軍も来るかもしれない。それなのに、レオンは強気だ。常識的に、これは何かある、と思うよね」
「ああ、それでしたら、シャンロウが見つけてくれました。中原の南側を大きく迂回して、ガルマニアの竜騎兵八千騎がバロードに向かって来ております」
「八千騎? 随分少ないね」
「大蜥蜴にも戦闘力がございますから、実際の戦力としては、その倍ぐらいかと」
「に、しても、公称二十万とも三十万とも云われるガルマニア帝国軍の規模を考えると、如何にも少ないな。まあ、宰相のチャドスに人望がないとは聞くけどね。でも、ガルマニアが当てにならないとしたら、きっと、何か他に戦力になるものがあると思うよ」
クジュケは、「ああ、それなら」と頷いた。
「殿下が想定されているのは、例の機械魔神のことでございましょう。わたくしが山岳地帯を調べた限り、どこにもそれらしき姿も痕跡もなく」
ニノフが遮って「地下は?」と尋ねると、クジュケはギクリとした顔になった。
「そ、そこまでは」
「じゃあ、調べた方がいい。以前の戦いで、油断して進路をあからさまに見せた結果、ルキッフたちが掘った穴に落とされて、向こうは懲りたはずだよ。多分空は飛べないだろうから、密かに移動するとしたら、地下しかない」
クジュケはその可能性に思い当たり、ブルブルッと身震いした。
「申し訳ございません。戻って来たばかりではございますが、すぐに調べに行ってまいります」
「そうしておくれ」
来た時と違って、挨拶もそこそこにクジュケが帰ると、ニノフはその方向に頭を下げた。
「追い返すみたいで、すまない。優秀なおまえがここにいれば、必ず秘密に気づくだろう。でも、おれの言ったことに嘘はないよ。ウルスを助けてやってくれ」
その秘密の使命に向かったウルスラとケロニウスは、アーロン辺境伯から現地の情報を得るため、一先ずクルム城へ到着していた。
だが、そこは不気味なほど静まり返っていたのである。




