460 ミッテレ・インポシビリタス(2)
熱があるのに眠れないというウルスのために、薬草茶を持って来たピリカは、スヤスヤと眠るウルスを見て「あらあら」と微笑んだ。
そっと扉を閉めて出て行ったピリカと入れ違いに、少しだけ開いていた窓から、人間程の大きさの蜘蛛がスルリと入って来た。
アラネアは細長い脚を音もなく動かし、寝ているウルスに近づくと寝息を窺っているようであった。
しかし、アラネアは何もせず、そのまま寝台の横の床の上に腹這いになったのである。
一方、眠っているウルスは夢を見ていた。
それは不思議な夢であった。
ウルスラと共に、ベルギス大山脈の麓にある聖地シンガリアへ飛び、プシュケー教団の教主サンサルスと話しているのである。
サンサルスは、これは識閾下の回廊であり、死んだサンジェルマヌスが自分にも与えたのだと説明した。
更に、これは全てウルスラが使命を果たすための苦肉の策であり、邪魔をするであろうドーラの目を逸らすのが目的なのだと告げた。
「そのために、ウルス王子にも来ていただいたのです」
サンサルスとウルスラの話を興味深く聞いていたウルスは、驚いた。
「え? ぼく?」
「はい。ウルスラ王女に自由に動いてもらうためには、ウルス王子にバロードに残っていただくしかありません」
ウルスは困ったようにチラリとウルスラを見たが、ウルスラも肩を竦めている。
「ええと、ご存知のように、ぼくらは心は二つでも身体は一つなんです。今は、まあ、夢の中だから別々ですけど」
サンサルスは莞爾と笑った。
「そのとおりです。つまり、夢の中なら、別々になれるのです。この夢の通い路の中でなら」
ウルスラはハッとしたように「あ、そうね。でも」と首を傾げた。
「ゾイアやタロスと入れ替わった時は、ずっとウルスと一緒だったわ」
「そのようですね。しかし、別々になったご経験もあるでしょう?」
「ええ。二回ほどわたしだけタロスの身体に入ったことはあるわ。その時は、タロスの身体をわたしとタロスで交互に操ったのよ。と、いうことは」
「はい。ウルス王子だけが外に出ることも可能なはずです。まあ、タロスどのでは、姿はそのままでしょうが」
ウルスの顔もパッと輝いた。
「ゾイアだね! ぼくがゾイアの身体に移って、見かけもぼくの姿に変身すればいいんだ!」
ウルスラが「でも、その場合、ゾイアの心はどうなるのかしら?」と、半ば自問するように呟いた。
と、「われは、ウルスラに同行しよう」というゾイアの声が聞こえた。
ウルスラもウルスも驚いて左右を見回したが、ゾイアの姿は見えない。
サンサルスが笑って天井を見上げ、「どうぞ、下りていらっしゃい」と告げた。
ウルスとウルスラが驚いて見上げると、天井には巨大なアラネアが逆さまに張り付いていた。
アラネアはパッと天井を離れ、空中で一回転すると、声も出せずに凝視している二人の前に、フワリと下りる。
床に着くと同時にグニャリと変形し、見る間にゾイアの姿になった。
「すまぬ。ウルスが寝かされている部屋に、皆に気づかれずに侵入するためアラネアの姿に変身したのだが、夢の中にまで引き摺ってしまったようだ」
ウルスラがホッとしたように、「ゾイアで良かったわ」と笑った。
「でも、どうしてここへ?」
その質問には、サンサルスが答えた。
「わたしが呼んだのです。ゾイア将軍にも回廊は繋がっていますからね。ああ、将軍、大事なお役目の途中に、すみませんでした」
「いや。大事といえば、この度のウルスラの使命に勝るものはあるまい。それに、われの方の用は、粗方済んだ。こちらに向かって来るガルマニア帝国の援軍の、陣容と経路はわかったからな。われの見立てでは、到着まで後四日は掛かろう。それまでに手立てを打てばよい。概略を手紙に認め、シャンロウに渡してある。今頃は策戦本部に届けているはずだ」
サンサルスは感心したように頷いた。
「さすが天下の大将軍、抜かりはありませんね。わたしの方もガッチリ山岳地帯を固め、一兵たりとも蛮族軍を通しません。必然的にバロードでの内戦に集中せざるを得なくなり、ドーラさまは釘付けとなりましょう。それはよいとしても、互いにあまり犠牲者を出さぬよう、その辺りの緩急はどなたか調整できるでしょうか?」
「うむ。それも手紙に書いては置いた。が、クジュケもいるし、何よりゲルヌ皇子が上手く仕切ってくれるだろう」
「おお、それは頼もしい。サイカの包囲戦でも、エイサでの戦でも、名采配であったと聞いております。確か、ウルス王子と同じお歳とか。あ、これは、失礼を」
サンサルスはウルスの自尊心を気遣ったが、ウルスはゲルヌを褒められるのが嬉しいようで、「全然気にしてないから」と笑っている。
ウルスラはやや不満そうに、「少しは気にして欲しいけど」と呟いた。
サンサルスはそれが可笑しいらしく、フフフと笑った。
「さあ、では、始めましょう。入れ替わりの指揮は、わたしがさせていただきます。サンジェルマヌスさまの聖名に於いて、この使命が無事に果たされんことを、切に祈ります!」




