454 メメント・モリ(4)
プシュケー教団の教主サンサルスは、ここ数日、病に臥せっていた。
そこへ、代理教主を務めているヨルム青年が訪れ、バロード聖王カルスの死を伝えたのである。
恩師であるサンジェルマヌス伯爵に続き、後継者と目していたウルスラ王女の父親の悲報に触れ、サンサルスは自身の死期を考えざるを得なかった。
ヨルムに二代目教主となることを命じたが、心酔しているサンサルスの寿命が尽きることを認めたくないヨルムは、泣き叫んでしまう。
そのヨルムの声が、不意に途切れ、振り乱していた髪が針金細工のように固まった。
サイドテーブルに置かれたカップから立ち昇る湯気も動かない。
耳がキーンとなるような静けさの中、コツ、コツと、杖をついて歩く足音が聞こえ、閉まったままの扉をスッとすり抜けて、枯れ木のように痩せた老人が現われた。
「久しぶりじゃな、サンサルス。ちょっと邪魔するぞ」
いつも冷静なサンサルスが、思わず悲鳴のような声を上げてしまった。
「サンジェルマヌスさま!」
サンサルスの声を聞いて、サンジェルマヌスは苦笑している。
「そんな幽霊でも見たような声を出すのなら、わしはもう死んだのだな」
「え?」
「そんな顔をするな。おまえさんらしくないぞ。時渡りは、アルゴドラスの専売特許ではあるまい」
サンサルスはホッとしたような顔になった。
「おお、そうでしたか。すみません、ちょうどカルス王の訃報が入り、些か動揺しておりました」
今度はサンジェルマヌスが驚く番だった。
「なんと、そんなことになっておるのか。もしや、アルゴドラス、いや、アルゴドーラと揉めたのか?」
「詳細はわかりませぬが、蛮族が内乱を起こしたと聞いております」
「うーむ。ならば、やはりアルゴドーラの指図であろう。息子を幽閉したとは聞いたが、互いに打ち合わせた上での芝居かと思っておった。本当に確執があったのか。それにしても、なんと酷いことを!」
怒りと哀しみが入り混じり、サンジェルマヌスは涙を流しながら天を仰いだ。
アルゴドーラとの因縁を多少なりとも知っているサンサルスは、掛ける言葉もなく、サンジェルマヌスが落ち着くのを待った。
やがて、サンジェルマヌスは大きく息を吐くと、淋しそうに笑った。
「すまぬ。おまえさんを励ますつもりで来たのに、わしが嘆いていてはいかんな」
「わたしを、励ます?」
「そうさ。そろそろ寿命であろう?」
見た目だけは若く美しいサンサルスは苦笑した。
「はい。わたしとて、寄る年波には勝てません。ですが、わたしの最期を看取るためだけに、態々来られた訳ではありますまい」
「おお、そのことよ。おまえさんには、ざっくばらんに言おう。先日、ウルスラに協力してもらい、白魔の活動を一時停止させた」
「なんと! あのドゥルブが活動する時期となりましたか。して、上手く行ったのですか?」
「その時はな。じゃが、その後、心配になり、禁を破って少しだけ時を飛ぶことにした。わしも、いつ寿命が尽きるか、わからんからな。すると、案の定、再活性化しておった」
「それは、大事ですね。ああ、わたしが何とかできるものなら、飛んで行くところですが。今では、この部屋から出ることすら、儘なりません」
自嘲気味に言うサンサルスに、サンジェルマヌスは人差し指を振って見せた。
「わしが何のために、禁を冒してまで時を渡ったと思う? おまえさんに頼みごとがあるからさ」
「わたしに?」
「そうじゃよ。これは、おまえさんにしかできないことだ。ウルスラにドゥルブを中和させる間、時を稼がなければならん。つまり、アルゴドーラの目を逸らす必要がある」
サンサルスは戸惑った顔になった。
「お話の趣旨は、わかりました。ですが、わたしは妖精族とはいえ、大して魔道の力もなく、まして、今は病でこの為体。とても、アルゴドーラさまに太刀打ちできません」
サンジェルマヌスはニヤリと笑った。
「おまえさん個人に頼むのではない。二十万人の代表者として頼むのだ」
「おお、成程。世界を救うことは、わが教団の使命でもあります。兄弟姉妹も立ち上がってくれるでしょう。しかし、それなら、わたしではなく、そこにいるヨルムにお頼みください。かれを二代目教主にするつもりですから」
サンジェルマヌスは笑顔で首を振った。
「それは無理というものだ。確かに、ヨルムは真面目な好青年じゃよ。だが、人には向き不向きというものがある。今回のことは賢者の仕事なのだ。それは、おまえさんにしかできん」
「ですが、わたしは病が」
「いや、わしの見るところ、それは病というより、理気力の衰えじゃな。わしら長命族には、生涯に一度しか使えぬ秘法がある」
「秘法?」
「自分の寿命を他人に譲る術さ」
サンサルスは激しく頭を振った。
「いけません!」
「気にするな。互いに短い生命だ。二つ足して、一人前よ。さあ!」
「駄目です!」
「これこれ、駄々を捏ねるな。この後、時を戻り、クジュケたちと洞窟にいるウルスラに、最後の伝言を残しに行かねばならんのだ。施術は一瞬で済む。同時に、今後やるべきことの大略も、おまえさんの識閾下に送る。頼むぞ、サンサルス!」
「ああ、そんな!」
「……生きていていただきたいのです! それが、わたくしの、いいえ、二十万人の兄弟姉妹の、唯一つの望みでございます!」
髪を振り乱して訴えかけるヨルムを、サンサルスは呆然と見つめていた。
すぐにハッと気づくと、立ち上がり、周囲を見回したが、勿論、どこにもサンジェルマヌスの姿はない。
いきなり病床から立ち上がってしまったサンサルスを、涙を流していたヨルムも驚いて見つめた。
「そのような無理をされて大丈夫なのですか、猊下?」
サンサルスはフーッと大きく息を吐くと、泣き笑いのような顔になった。
「ヨルム。心配せずともよい。もう暫く、生きられそうだ」




