451 メメント・モリ(1)
ウルスがゲティスベルクでバロードを自分たちの手に取り戻すことを誓った頃、庶兄のニノフにも父カルスの死が伝えられた。
暁の女神の砦では、辺境から渡って来る者たちの対応のため、老師ケロニウス、マーサ姫、ペテオ、そして、偶々ウルスラに付き添って来ていたギータも、渡河の拠点があるスカンポ河の下流域に行っている。
ニノフを大公に即位させるべく準備を進めていたクジュケも、紆余曲折を経て、今はウルスに付き添っており、ニノフの傍らに残っているのは、副将のボローだけであった。
そのボローが、張り出し露台で薬草茶を飲みながら寛いでいたニノフに、カルス王の死を伝えたのである。
「そうか」
それだけ言うと、ニノフは軽く目を閉じて上を向いた。
その閉じたままの目蓋から溢れた涙が、ツーッと頬を伝い、歴戦の武将とは思えぬ程華奢な顎から落ちて行った。
ニノフとは逆に、如何にも男臭く、黒々とした顎髭が胸毛まで繋がっているボローは、何も言えずに黙ってそれを見ている。
ニノフは上を向いたまま目を開いたが、後から後から涙が零れ落ちた。
そのまま、ボローにというより、自分に語り掛けるように話し始めた。
おれは、ずっと父を憎んでいた。
幼いおれを抱えた母を無慈悲に捨て、貴族の娘と結婚した非道な男だと思い込んでいた。
だから、最初にカルボン卿の謀叛で死んだと聞いた時にも、自業自得だとしか思わなかった。
それが生きており、しかも、蛮族の帝王としてバロードに攻めて来たのには驚いたが、父というより敵側の大将という認識でしかなかった。
その後、ケロニウス老師が結んでくれた相互不可侵の約束を一方的に破られたり、不信感は募るばかりだった。
それが多少なりとも変わったのは、やはり、幽閉されて窶れたあの姿を見たからだろう。
全ての権力を奪われ、しかも、自分の妻を殺したのが自分の母であると知り、打ちひしがれていた。
本来なら、いい気味だと思ってもよかったはずだが、とてもそうは思えなかった。
ああ、父もまた、運命に弄ばれた人間なのだな、と感じたのだ。
そして、その手を取り、和解を誓った時、これで積年の恨みも消え、普通の親子関係に戻れると信じた。
それが……。
悔いが残る。
もう少し、優しい言葉を掛けてやればよかった。
唯一の救いは、妹のピリカが最期を看取ってくれたことだ。
癒しの力は、おれと同体の妹であるニーナよりピリカの方が強かった。
そのピリカが付き添っていてくれたのに助からなかったのだから、それが運命だったのだと諦めがつく。
今はただ、安らかに眠ってくれと、それだけを願っている。
ああ、すまんな、ボロー。
今言ったことは、おれの個人的な感傷だ。
わかっているよ。
伝令に任せず、おまえ自らが知らせに来てくれたのは、今後の指示を仰ぐためだろう。
ここからは、この砦を預かる立場の者として言う。
ウルスには申し訳ないが、暫くは静観するつもりだ。
この砦も二万を超える大所帯になったとはいえ、大半は今、難民受け入れのために、スカンポ河下流域に散らばっている。
呼び戻しても急場には間に合わぬし、その必要もないと思う。
おれの得ている情報では、蛮族軍は凡そ二万、バロード正規軍は四万五千を超える。
適切な指示を与える将軍が二三人いれば、必ず勝てる。
そして、ウルスの許には、ゾイア将軍、タロス、ツイムに加え、クジュケもいる。
最強の軍勢と言ってもいいだろう。
但し、蛮族軍がこちらへ雪崩れ込んで来ないよう、国境周辺は厳重な警戒が必要だ。
直ちに手配してくれ。
そう言って顔をボローの方に向けた時には、ニノフの涙はもう乾いていた。
ボローもホッとしたように、「わかった。すぐに手配しよう」と告げて去って行った。
それを見送った後、ニノフの顔が上下して瞳の色が限りなく灰色に近いブルーになってニーナに代わると、両手で顔を覆って泣き崩れた。
当然のことながら、聖王カルスの死は、瞬く間に中原中に伝わった。
一つには、幼子レウスの聖王即位を知らせるべく、蛮族の長老レオンが積極的に広めたということもある。
ゲティスベルクの葬儀の翌日には、早くもガルマニア帝国の皇帝宮にも報せが入った。
ちょうど愛妾ドランと甘い菓子を食べていた若き皇帝ゲルカッツェの、それを聞いての第一声は、「へえ、そう」というものだった。
「ぼくよりだいぶ年上だったから、早死にじゃないし、しょうがないよね。一度滅んだ古い王家を再興した英傑って聞いたけど、二回も部下に裏切られて死ぬなんてさ。ああ、そうか、一回目は死んでないか。まあ、いずれにしても、よっぽど間抜けな王さまだよね」
と、膝枕で皇帝に菓子を食べさせていたドランの顔が一変し、鬼のような形相で皇帝を怒鳴りつけた。
「黙れ、小僧!」
言われた皇帝は「ヒーッ!」と女のような悲鳴を上げて飛び上がって逃げたが、カルスの死を伝えに来ていたガルマニア人の秘書官は、激昂して怒鳴り返した。
「ぶ、無礼者! そこへ直れ!」
言いざま、護身用の剣を抜いたのが間違いであった。
既に可愛らしい舞姫ドランから、恐ろしい魔女の顔に変わっていたドーラの掌が、秘書官に向かって突き出されたのである。
「失せろ!」
激しい言葉と共に、見えない波動が秘書官の身体に激突し、開いたままだった窓から外へ飛ばされた。
窓の外は濠であり、長い絶叫の後、人間が水面にぶつかる激しい水音が響いた。




