45 シャルム渓谷の戦い(3)
ガルマニア帝国軍が正体不明の軍とシャルム渓谷で交戦しているという第一報が、バロード共和国のカルボン総裁の許に齎される少し前、早くも前線に向かって動き出した者たちがいた。
バロードの傭兵騎士団である。
王家を滅ぼして国を売ったカルボンには、自分の私兵として動く軍を持つ必要があり、ガルマニア帝国の占領下にあった頃から、盛んに傭兵を雇い入れていた。
その中で気の合った者同士が自然に集い、いくつもの騎士団が形成された。かつて、逃亡するウルスとタロスを追って来た一団もそうである。
その後、ウルス王子を生きたまま捕らえよというガルマニアの命令で、一時は、ほぼ全員がバロードの遥か西にある辺境に探索に行かされたこともあった。
だが、ガルマニアとの断交により、現在、大部分はバロード東部の防衛に廻されている。
「西へ行けとか、東へ行けとか、好き勝手に言いやがって、全くおれたちを何だと思ってやがるんだ!」
そう言って不満をぶちまける者もいたが、これを好機到来と見る者も多かった。
戦場こそ、傭兵の稼ぎ場だ。ここで大きく手柄を立てれば、領主となることも夢ではない。
その日に備え、それぞれの騎士団が練兵に励んでいたのである。
その中にあって頭角を現しつつあったのが、最大規模の金狼騎士団を率いるニノフという若い男だ。
異民族出身者が多い傭兵にあって、珍しく金髪碧眼のバロード人であった。
傭兵としては痩せ型であったが、神業のような細剣の使い手として一目置かれている。
ニノフは、いずれガルマニア帝国との開戦は避けられないと見て、盛んに斥候を放つと伴に、各騎士団の団長たちといざという場合の協力体制を築きつつあった。
古参の団長の中には「若造が、早くも将軍気取りか!」と反発する者もいた。
しかし、ニノフという若者には自然に備わった威厳のようなものがあり、殆どの団長たちは概ね協力を約束した。
そうした状況下、ガルマニア帝国軍一万五千がシャルム渓谷を進軍中との知らせが、練兵中のニノフに伝えられたのである。
「ガルマニアの将軍は阿呆か!」
それが、報告を聞いてニノフが放った第一声であった。
報告者も戸惑って、思わずガルマニアの弁護をした。
「しかし、バロードへの最短の行程にて」
「わかっておるわ! だが、渓谷は何本も平行に走っておるのだ。せめて何軍かに分けて進むべきだろう。まあ、よい。敵の迂闊は、こちらの有利。大きな声を出してすまなかった。ご苦労であったな」
激情が鎮まると、笑顔で報告者を労った。
「あ、いえ」
いきなり関係のないことで怒られれば、不満を抱かせることになる。
ニノフという男は若いながらその機微がわかっているらしく、後の処置が上手かった。
言葉だけでなく、些少ながら褒美を与えたのだ。
報告者は感激で顔を真っ赤にして退出した。
「さて、どうするかな」
ニノフは地図を取り出してきて、暫く睨んでいた。
「騎兵のみで二手に分かれて出撃し、同時に攻め、サッと引く、か。しかし、機会は一回だな。それを捉えることができれば、千載一遇かもしれん。だが、二度目はないな。よし!」
ニノフは部下に頼み、人を呼んだ。
待つほどもなく、ごつい体格の黒髭の男がやって来た。
髭だけでなく、はだけた胸元からのぞく胸毛も真っ黒だ。
瞳は焦げ茶色で、南方出身のようである。
「どうしたニノフ。わざわざ呼び出して、まさか酒でも奢ってくれるのか?」
黒髭の男が豪快に笑うと、ニノフも笑顔になった。
「だったら、良かったのだが……。まあ、ボロー、おまえとは遠慮のない仲だ。ざっくばらんに話そう」
ボローという男をテーブルに座らせると、その前に地図を拡げ、ニノフは簡単に状況を説明し、自分の作戦を伝えた。
ボローは呻くように、「言いたいことはわかる。が、われらだけでできるのか?」とニノフに訊いた。
「できるさ。いや、やらねばならん。シャルム渓谷を通り抜けてしまえば、ほぼ平地だ。洪水のように一万五千の兵が押し寄せて来るぞ。そうなっては、僅か数百名の騎士団など一溜まりもない」
「それはわかる。しかし、誰かが進軍を止めてくれねば、いくら横から攻めると言ってもなあ……」
二人が渋い顔で地図を睨んでいるところへ、ガルマニア帝国軍が正体不明の軍と衝突し、あろうことか苦戦しているとの連絡が入って来たのだ。
見合す二人の顔が、一気に輝いた。
「これぞ正に、天の配剤! ボロー、おまえの大熊騎士団を中心とした部隊を編成し、南に廻ってくれ。おれは金狼騎士団を率いて北へ行く。機会を見て、南北同時に駆け下りるのだ。良いか?」
「おお、勿論だ。やろう!」
ボローは来た時とは別人のように意気込んで出て行った。
残ったニノフは部下を呼び、各騎士団の団長たちに向けて伝令を出し、自分とボローに従って二手に分かれて出撃するよう要請した。
普段はニノフに反発している者も、否やはなかった。誰もがこの好機に沸き立ったのである。
やがてそれぞれの騎兵が、シャルム渓谷を挟む南北の丘陵に到着した。
二手に分かれたことにより、それぞれ三百騎程しかいないが、丘陵に長く展開し、目立つように旗を立て、恰も後方に大軍が控えているように見せかけた。
ゴッツェ将軍の部下が見たのは、この旗である。
北の丘陵では、ニノフが並んだ騎兵たちの前を行き来しながら、奮起を促した。
「目指すは、敵の将軍の首一つ! 褒賞は思いのままだ! 皆奮え!」
「おお!」という声が一斉上がった。
ニノフは頃は良しとみて、南の丘陵に陣取ったボローに合図を送ると、遠目にも自慢の十字槍を振るのが見えた。
ニノフは、右手を一旦高く挙げ、それを振り下ろすと同時に、細い体に似合わぬ大音声で号令した。
「行くぞーっ!」
「おおおおおおおおおおおーっ!」
天を震わせるような鬨の声と共に、一気に数百騎が南北の丘陵を駆け下った。




