445 内乱勃発(5)
内乱によって怪我を負ったカルス王に会うため、ガイ族の女族長バドリヌの案内で、ウルスラとピリカはヤナンの地下神殿へ降りて行った。
そこは、かつて初代聖王アルゴドラスによって捕らえられた主知族が、弾圧を逃れるため隠れ住んだ場所であり、かれらの子孫が赤目族となった場所である。
しかし、今の時代に時を渡って来たアルゴドラス(=アルゴドーラ)から発見されることを懼れ、赤目族はすべてエイサの古代神殿の方に移住してしまった。
その空き家となったヤナンの地下神殿は、今では光を嫌うガイ族の避難場所となっており、そこにカルスも匿われているという。
地下神殿の中央広間にある砂山に跳躍したウルスラたちは、直ちにカルスのいる部屋へ走って行った。
バドリヌが部屋の扉を開けると、息苦しい程の血の臭いがする。
足が竦むウルスラより先に、ピリカが中に入った。
室内は、小さなランプが灯されているが、薄暗い。
奥の寝台に横たわっているカルスが、掠れた声で聞いた。
「……バドリヌ、か?」
「いいえ、違いますわ。このヤナンで、病気になった人や怪我をした人の治療をしている者で、ピリカと申します。カルス陛下もよくご存じの、霊癒族のリリルの娘でございます」
呼吸が止まってしまったのではないかと心配になる程静かになった後、カルスはフーッと大きく深呼吸した。
「……そうか、リリルの。つまり、ニノフの妹なのだな。少し話したい。すまぬが、水をくれぬか」
ピリカが反応するより早くバドリヌが動き、横になったまま飲める吸い口の付いた容器で、カルスに水を飲ませた。
ウルスラは、まだ入口の近くで立ち止まったままであった。
姿は大人であっても、僅か十一歳の少女には苛酷すぎる状況であろう。
水を飲んだカルスは、また大きく息を吐いた。
バドリヌが下がると、ピリカが再びベッドの横に来て、手を翳す。
土気色であったカルスの顔に、ホンの少しだが赤味が差した。
「……ありがとう。少し楽になってきた。おまえにも癒しの力があるのだな」
「はい。母ほどではありませぬが」
「……リリルは、再婚したのだな?」
ピリカは少し躊躇ったが、複雑な事情は言わず、「ええ」と答えた。
「わたしの父と出会い、祖父と四人で暮らしていました。両親とも、もう亡くなりましたが」
「……そうか。辛いことを聞いてすまなかった」
「いいえ。貧しい暮らしでしたが、母は幸せだったと思います」
「……それなら、良かった。余は、リリルを幸せにしてやれなかった。いや、リリルだけではない。余に関わる全ての人間を、不幸にしてしまった。この世に生まれた、その時から……」
……余は、バローニャ公ピロスの四男として生まれた。
兄三人とは腹違いの庶子だ。
バローニャ公国などと言ったところで、実態は小さな荘園に過ぎない。
その庶子の四男など、本来なら農夫の一人として一生を終えるだけだ。
それが、父の死と前後して、相次いで三人の兄が死んだことで、運命が変わったのだ。
余は、兄たちの死の不自然さを疑うより、己の幸運に酔った。
幸運は、その後も続き、余の力で千年の間失われていた王国を再興できるかもしれないと、自惚れた。
リリルと出会ったのは、その頃だ。
野心に燃える余はリリルの事情など一顧だにせず、ニノフと共に捨ててしまったのだ。
当時はリリルが逃げたと勝手に思い込んでいたが、そう仕向けたのは余だ。
本当にすまなかった。
一方、余の王国再興は、驚くほど上手く行った。
それが如何にあり得ないことか、愚かにもその時には気づかなかったのだ。
王となった余は、旧家の出であるウィナを王妃に迎え、その美しさと優しさに魅了された。
ウルスが生まれた時、ウィナは両性族であることを公表するよう勧めたが、馬鹿な余は断った。
ニノフの時と、同じ過ちを繰り返したのだ。
それでも、ウィナの優しさに包まれ、ウルスは、そして勿論ウルスラも、本当に良い子に育った。
余は、このままこの幸せが永遠に続くものだと思っていた。
そこに、おふくろどのが現れたのだ。
自分の母親のことは、父であるピロス公を誑かし、余を産み捨てて去った舞姫としか聞かされていなかったから、当然、余は反発した。
そこでおふくろどのは、自分こそが初代聖王アルゴドラス本人であることを告げ、余には中原を統一する責務があると迫った。
余は断ったよ。
戦乱に明け暮れる中原の現状には胸が痛むが、戦争を失くすための戦争など無意味だ、とな。
するとおふくろどのは激昂し、余が王位に就けたのは、全て陰から自分が手を廻したからだと暴露した。
喧嘩別れとなり、おふくろどののことは忘れることにした。
ウィナと子供たちと共に、バロードを良い国にすることに専念しようと思ったのだ。
それから間もなくして、あの忌まわしい事件が起きた。
カルボン卿の謀叛だ。
先にウィナが殺され、子供たちも行方不明との急報が入り、余も死を覚悟した。
その時だ。
コウモリに変身したおふくろどのがやって来て、余も変身ができるはずだから、飛んで逃げよと告げたのだ。
その際に言われたことを、今も忘れぬ。
王妃の復讐がしたいなら、共に来い、と。
余は即座に心を決め、おふくろどのと北方へ飛んだ。
復讐のためなら、何でもしようと思った。
蛮族の信用を得るため、長老の孫であるレナを娶ったのもそのためだ。
今では後悔している。
レナにも、生まれた子供にも、すまないと思っている。
ともかく、蛮族の兵と、おふくろどのが用意してくれた機械魔神の力で、報復は成功した。
カルボンは取り逃がしたが、裏切り者たちは粛清した。
だが、少しも心は晴れなかった。
何をしたところで、ウィナは蘇らぬ。
全ては徒労だ。
この度、このような目に遭ったのも、自分が蒔いた種だ。
ピリカと申したな。
おまえは優しいから、母を苦しめた男を治療してくれるが、余も自分でわかっておる。
あまりにも血が流れ過ぎた。
最早助からぬであろう。
死ぬことは怖ろしくない。
ただ、死んだ後でも、ウィナには逢えぬことが残念でならない。
余は地獄とやらに堕ちるはずだからな。
それだけが、心残りだ。
ん?
どうした?
誰か別の人間がいるのか?
もう、目が霞んで、良く見え、おお、まさか!
これは夢か?
それとも、もう魂が抜けかけているのか?
ああ、どちらでもよい。
頼む、顔を見せてくれ。
ウィナ、おお、ウィナ。
生きていたのだな。
ああ、生まれて初めて神に感謝する。
おまえさえ生きていてくれたなら、余はもう何も望まぬ。
いや、そうでは、ないな。
ウルスと、ウルスラの、ことを、頼む。
こんな父で、あったが、二人を、愛していたと、伝えて、くれ。
ああ、せっかく、おまえに、逢えたのに、もう、息が、続かぬ……
……愛して、いた、心から……
聖王カルスは、微笑むように静かに息を引き取った。
気丈にウィナの役を務めたウルスラも、最後まで手を翳し続けたピリカも、とめどなく涙を流している。
その静まり返った室内で、突如大声で泣き始めたのは、バドリヌであった。




