432 逆転(20)
スカンポ河の河原では、タンリンの置き土産のような腐死者たちが迫って来ていた。
その数、九体。うち六体が兵士の恰好をしており、残り三体が蛮族の服を着ている。
いずれも、焼け焦げたような痕があるため、火を点けて放棄された北長城から来たのであろう。
動きは極めて鈍い。
抑々、瘴気が濃い北方以外で、日中にンザビが活動することはこれまでなかった。
それが、非常にゆっくりとはいえ、動いていること自体が異常なのだ。
更に言えば、ンザビがスカンポ河を横断しようとしても、今までなら人喰いザリガニの餌食になっていたはずである。
ともかく、その九体のンザビに、ウルスの肉体に宿ったタロスは一人で闘いを挑もうとしており、それを怪我をしたクジュケが必死で止めていた。
その頭上に、ゲルヌ皇子が跳躍して来たのである。
「クジュケよ! 助けに来たぞ!」
ハッとしたクジュケが、掴んでいたウルスの、いや、この場合はタロスと呼ぶべきだろうが、足首を放した途端、相手は走り出していた。
「ああっ、いけません!」
ウルスの肉体を借りているタロスは、振り向くことすらせずに「任せておけ!」と言い捨てると、先程火を点けた松明を、一番近くの兵士のンザビに突き付けた。
本能的に火を嫌うンザビが仰け反ったところへ、松明を持っていない方の手で河原の小石を拾って投げつけた。
下手投げである。
過たず、それが兵士のンザビの剣を握る手に当たり、ポトリと剣を落とした。
「もらった!」
タロスの声でそう叫ぶと、松明でンザビを遠ざけながら剣を拾い上げる。
と、その剣を、前を向いたまま後ろに片手で回し、背後から近づいていた蛮族のンザビの腕を斬り落とし、それを前に戻す勢いのまま、一呼吸遅れて自分の剣を拾おうと腰を屈めていた兵士のンザビの、首を刎ね飛ばした。
言葉を失ってそれを見ているクジュケの横に空中から下りて来たゲルヌが、感嘆の声を上げた。
「ほう、ウルスにしては、やるではないか」
「な、何を暢気なことを! あれはウルス殿下ではありません! タロスです! ゲルヌ皇子、止めてください!」
「成程、あの剣捌きはタロスだな。見よ。火の点いた松明で相手を牽制しながら、もう一方の手で円を描くように剣を振るっている。非力なウルスの腕に負担を掛けないためだな。おお、また一体倒したぞ」
「もうっ、ゲルヌさま! 面白がらないでください! たとえ、斬ろうが刺そうが、ンザビはまた起き上がって来ますよ!」
「そうだな。ん? 刀子が飛んで来たぞ?」
さすがに、ウルスの身体では九体全部のンザビを一度に倒すのは無理であり、倒しても倒してもまた次々に起き上がって来るため、限がない。
それを援護するように、刀子が投じられているのだが、投げている者の姿は見えない。
バドリヌなどガイ族たちが隠形して加勢しているようだ。
ゲルヌは苦笑した。
「生身の相手ならともかく、ンザビに刀子では効き目がなかろう」
ゲルヌは少し声を張って呼び掛けた。
「ガイ族たちよ! 寧ろ、タロスのした如く、河原の石を投げよ! その方が、効果がある!」
黒尽くめの姿がユラリ、ユラリと隠形を解いて現れ、河原の石を拾って投げ始めた。
その中には、草色の服を着た、小柄なハンゼの姿も見える。
ゲルヌの言うとおり、刀子が突き刺さっても意に介さなかったンザビたちが、激しい石礫を受けて、ジリジリと後退して行く。
ゲルヌは、今度はウルスの身体で闘っているタロスの方に声を掛けた。
「タロスよ! 危ないから、少し下がっておれ! これは命令だ!」
やや暴走気味であったタロスも、この言葉には逆らえず、一旦攻撃を止め、こちらに下がって来た。
ゲルヌは、最早痛みで声も出ない様子のクジュケに、「もう少しの辛抱だ。ここで待っておれ」と告げると、スッと立ち上がった。
その額には、赤い第三の目が光っている。
ゲルヌは数歩前に出ると、一度振り返り「ガイ族よ! もうよい!」と投石をやめさせた。
更にウルスに宿ったタロスが自分の立ち位置より下がったことを横目で確認すると、ゲルヌは人差し指を口の前に立て、そこへフーッと息を吹きかける。
ボッという音と共に、その息に火が点き、またノロノロと近づきつつあったンザビ目掛けて放射された。
その炎の勢いは強く、ンザビは先程の石礫の時よりも大きく後退して行く。
と、堪え切れずに最初の一体が河に足を踏み入れるのと同時に、バシャバシャと激しい水音がして、その足に赤い小さなものがビッシリと纏わりついた。
ガンクである。
恐らく、タンリンの魔道によって一時的に遠ざけられていたものが、戻って来たのであろう。
ゲルヌは炎の息を出しながら前進を続け、追い詰められたンザビは続々と河に落ち、ガンクに喰われていく。
遂に、最後の一体まで河に入ったところで、ゲルヌは炎の息を止めた。
「うむ。これでよかろう」
満足そうに頷くゲルヌに、後ろに下がっていたタロスの切迫した声が聞こえてきた。
「ゲルヌ殿下! クジュケどのが息をしておりません!」




