429 逆転(17)
撤収前に廃都ヤナンを巡回していたツイムとタロスは、市内に入り込んでいたマゴラ族の男たちと小競り合いとなった。
その際、相手の棍棒を奪って闘っていたタロスに、獣人化が始まり、怖れを成したマゴラ族たちが逃げたにも拘らず、味方であるツイムにまで襲い掛かろうとした。
そのためツイムは咄嗟に、「ケルビムよ、鎮まれ」とタロスに命じたのである。
その刹那、タロスの動きが止まった。
黒い獣毛に覆われた顔の中で爛々と光っていた緑色の目から、スーッと光が消える。
牙が剥き出された口から出ていた涎も止まり、いや、鞴のような荒い呼吸音すらしなくなった。
「タロス、大丈夫か?」
心配そうに聞くツイムに応えたのは、その口ではなく、喉の辺りから出る抑揚のない音声であった。
「……無効パスワード。……再設定されなければ、……カウント後に……初期化します。……10……9……」
異変に気づいたツイムは焦った。
「おい、違うんだ! 元に戻ってくれ!」
「……4……3、緊急事態発生。……回避モードへ移行……、深刻なエラーが発生……。パーソナリティー保護のため……亜空間回廊へ射出します」
動きの途中で凍りついたようであったタロスの身体が、ブォンと細かく振動した。
と、身体を覆っていた獣毛が短くなり始め、突き出ていた顎も引っ込みだした。
同時に、身体全体が縮みながら、内部から染み出るような光に包まれた。
唖然とそれを見ていたツイムの顔色が変わった。
「いかん! ケルビムよ、タロスに戻れ!」
だが、最早ツイムの言葉には何の反応も見せず、タロスの身体は光りながら縮んでいく。
ツイムは自分の髪を掻き毟った。
「あああ、どうすりゃいいんだ! そうか、ゾイアを呼ぼう!」
ツイムは自分の馬に飛び乗ると、「待ってろよ、タロス!」と声をかけ、走り去った。
……タロスは最初、自分の異常に気がつかなかった。
マゴラ族の棍棒で闘っているうちに、前世の記憶のように北方の光景が浮かんできたのである。
周囲にはアーロン辺境伯やマーサ姫がいた。ペテオやロックもいるようだが、見たことのない若い蛮族の女もいる。
タロスは混乱し、自分が今見ている光景が本当に現在のものなのか、誰かの過去の記憶に過ぎないのかがわからなくなってきた。
わかっているのは、マゴラ族を斃さねばならないということだけだった。
いや、そうではない。
殺してはいけないはずである。
だが、一度殺したはずのマゴラ族が、次々と腐死者として蘇ってきている。
棍棒では間に合わない。
変身するしかない、とタロスは思った。
思った瞬間には変身が始まっていた。
そこからはもう制御不能であった。
今自分が襲おうとしている相手がツイムであることは、頭の片隅でわかっているのだが、喰い殺したいという衝動が抑えられない。
その時、必死の形相のツイムが、あの言葉を発したのである。
「うわっ、やめろ! おお、そうだ。ケルビムよ、鎮まれ!」
何か光のようなものに包まれた感覚があり、タロスの記憶がフッと途切れた。
すぐに意識が戻ったようだが、何か違和感がある。
なかなか目の焦点が合わなかったが、漸く見えて来た光景は、今まで居たはずのヤナンではなかった。
「ここは、どこだ?」
目の前に金属の筒を口から出した男がいる。
鍔広の帽子を被り、裾の長いマントを羽織ったマオール人だった。
その男の喉の辺りから、奇妙な声が聞こえた。
「目標消失。抹殺完了」
金属の筒がスーッと男の口の中に消える。
「惑星浄化作業は、間もなく再開される。一切の抵抗は無駄である」
男は大きな河の水面を歩き出したが、ふと思い出したように振り返ると、「停止解除」と告げ、また、何事もなかったように歩いて行く。
すると、その周辺にいたンザビたちが、ノロノロと動き出した。
タロスは先程見たマゴラ族のンザビかと思ったが、今見えているのは甲冑を着た者が多い。
訳がわからないが、自分の目の前に倒れているのがクジュケであることは、サラサラした銀髪と、先の尖った耳でわかった。
と、後ろから妙な抑揚の言葉が聞こえて来た。
「いけない。ンザビ、来る。ウルスも、一緒に、逃げよう!」
ウルスと呼び掛けられて、初めてタロスは違和感の正体に気づいた。
自分の視線の位置が、いつもの半分ぐらい下にあるのだ。
状況はわからないことだらけであったが、やるべきことはわかっていた。
「いや、クジュケどのをこのまま残しては置けぬ。わたしは闘う」
「ウルス、どうした? 声が、変だぞ」
タロスがチラリと振り向くと、顔まで覆う黒尽くめの服を着た大人が二人、その痩せた方と手を繋いいる、草色の布で全身を包んだ子供が一人いた。
声を掛けたのは、この子供のようだ。
タロスは、すぐに視線をンザビたちに戻し、後ろの子供に告げた。
「わたしのことは、この際どうでもよい。おまえたちはガイ族のようだが、頼みたいことがある。わたしの知り合いの魔道師が怪我をしているようだ。このままではンザビの餌食となってしまう。わたしがンザビを防ぐから、その間に安全な場所に運んでくれ」
「そんなこと、言われても」
躊躇う子供より、手を繋いでいる大人の決断の方が早かった。
「わかった。だが、おまえ、一人で、大丈夫か?」
そう尋ねる声は女のようだ。
「ああ、剣の腕には覚えがある」
そう言って、タロスは手近の松明の燃えさしを一本拾った。
が、その自分の手を見て、ギクリとした。
「子供の手か。まあ、よい。それならそれなりの闘い方がある。武器に拘らないのが、わたしの流儀だ」




