422 逆転(10)
ガルマニア帝国の皇子ゲルヌは、奇妙な八角形の部屋の中にいた。
一人瞑想しているところへ、元東方魔道師のシャンロウが訪ねて来た。
帝都ゲオグストにいる仲間からの情報として、対バロード遠征軍が十万の規模で催され、手薄になる本国防衛のため、暗黒帝国マオールからの援軍が数万来るという。
「馬鹿な! 兄は、わが国をマオールに明け渡すつもりか!」
ゲルヌの第三の目がギラギラと光った。
「こ、怖いだよ、皇子」
シャンロウの怯えた声に反応したのか、ゲルヌの第三の目が消え、部屋が明るくなった。
但し、あの神秘的な青い光ではなく、平凡な白色光である。
既にいつもの冷静さを取り戻していたゲルヌは、十一歳とは思えぬ大人びた笑顔で、サラサラした赤い髪をかき上げた。
「すまぬ。脅すつもりではなかった。が、心が乱れてしまったようだ。光の色が通常に戻っている。今日の修行は、これで切り上げよう。ちょうど腹も空いた」
シャンロウはホッとしたように「おらもだよ」と同意し、先に立って、壁の方へ歩くとポンと手で押した。
それだけで壁はクルリと回転し、そこから真っ直ぐ伸びる通路が見えた。
いや、通路というよりは、隧道のようである。
シャンロウが浮身して行くのは当然であろうが、後に続くゲルヌも遜色がない程上手に浮身している。
二人が進む隧道は、厚い岩盤を刳り貫いたもののようで、その壁面の仕上がりは極めて滑らかであった。
しかも、壁面それ自体が光って内部を照らしているようだ。
その長い隧道を進むと、巨大な円筒形の空間に出た。
但し、暗過ぎて詳細までは見えない。
薄暗がりの中でも、巨大円筒の壁面に緩く曲がりながら遥か上に昇って行く階段だけは、辛うじて見える。
「明かりを!」
ゲルヌの声に応じ、円筒の底に当たる位置にある建物に明かりが灯った。
浮かび上がったのは、たくさんの塔と、それを繋ぐ空中回廊で構成された建物であった。
その燻んだ紅色の外壁は金属的な光沢を放っている。
それは正に、かつての魔道師の都エイサの真下にある、魔道神の古代神殿であった。
と、その建物の一つから、何者かがフワリと飛んで来た。
神官が着るような長衣を身に纏っている。
髪の毛も眉もないツルリとした顔に、真っ赤な目が光っている。
赤目族であった。
「如何された、み使い?」
ゲルヌは苦笑して答えた。
「驚かせてすまぬ。少々腹が減った。何か食わせてくれぬか」
「おお、そうであったか。丸一日瞑想の間に籠られておったから、こちらも心配していた。では、連れの者も共に参られよ」
先導する赤目族の後を、ゲルヌとシャンロウも飛んで行く。
シャンロウは前を行くゲルヌを見て、「皇子、飛ぶの上手くなったな」と感心した。
ゲルヌもさすがに褒められたのが嬉しいらしく、飛びながら笑顔になった。
「うむ。おまえがいない間も、ずっと練習していたからな。妖精族の血を引くことが、多少役に立っているようだ」
三人が向かった建物の入口には、既に何人か赤目族の神官が待っていた。
その内の一人は、手に薄い板のようなものを抱えていた。
「珍しいな。第一発言者自ら余をお出迎えとは」
ゲルヌの前を飛んでいた赤目族が、顔だけ振り返った。
「はい。今日は、み使いにご相談したいことがあると申しておりました。もし、こちらにお出でにならなければ、第一発言者の方から瞑想の間に伺うつもりであったようです」
「ほう。何か緊急事態か?」
「ああ、いえ。以前何者かが非位相者に接触して活性化させた時のようなことではございませぬ。皇子の耳にも多少は入っているでしょうが、地上の動きが慌ただしくなっており、われらの未来予測が収束せずに困っております。極力地上に干渉せず、というのが今の第一発言者のお考えですが、そうも言っておれなくなりました」
ゲルヌは飛びながら頷いた。
「それはちょうど好い機会だ。兄の追跡を躱すため、逃亡するフリをしてここに留まったが、余もそろそろ地上に出るべき時が来たような気がするのだ。ウルスのことも心配だしな」
そのウルスは、クジュケの勧めでガイ族の少年ハンゼを訪ねていた。
そこはカルス王が幽閉されていた廃村で、ニノフとウルスラたちが救出に行った時には、罰せられることを懼れてバドリヌもハンゼも姿を晦ませていたのである。
無論、解放されたカルスは直ちに、バドリヌ親子を含め全てのガイ族の罪を赦し、バロード領内のどこにでも居住する権利を与えた。
かれらはヤナンに住むことを望み、出発の準備をしていているはずであった。
ところが、誰の姿も見えない。
太陽の光を浴びると火傷のような症状が出るかれらは、全身を布で覆っているが、用心のため日中はあまり出歩かないのだ。
ウルスは、カルスが閉じ込められていた廃屋の前に立ち、軽く扉を叩いた。
「ごめんよ、ハンゼはいるかい? ぼくはウルスだ。きみたちが助けてくれたカルス王の息子なんだ。ちょっと、話をしないか?」
そのウルスに向けて何かキラリと光るものが飛んで来た。
ウルスは反射的に首を上下させると、掌を突き出していた。
迸る見えない波動とぶつかり、チャリンと音を立てて地面に落ちたのは刀子であった。
咄嗟にウルスと交代したウルスラは、刀子の飛んで来た方に向かって叫んだ。
「何するの! 危ないじゃない!」
ウルスラの視線の先に、ユラリと小さな緑色の人影が現れた。
草色の布で全身をを覆ったハンゼであった。
唯一外から見えている目は、何故か涙が溢れていた。
「おれ、悪く、ない。おまえの、父のせいで、母者、大変な、ことに、なってる」




