416 逆転(4)
中原の西の端は人喰いザリガニの棲むスカンポ河であり、その先には果て知れぬ辺境が広がっている。
アーロンが支配する辺境伯領は、その一部に過ぎない。
辺境の大部分は遊牧民族の土地であり、その人数すらハッキリとは知られていなかった。
一方、東の端はガルム大森林で、豊富に棲息する野生動物を糧にする狩猟民族、通称野人たちの領域であった。
ガルマニア人も、元々はその一部族である。
その宏大なガルム大森林の向こう側に、暗黒帝国マオールがある。
徹底した秘密主義によって、その国土の広さも詳細な歴史も、殆ど中原には知られていない。
それが、近年になって東廻り航路が開かれるようになると、主に貿易のために、マオール人たちが盛んに中原に姿を見せるようになった。
取り引きする商品は、絹織物や陶磁器が中心であるが、それを隠れ蓑に、違法な奴隷貿易も行われているのは、公然の秘密となっている。
そうした中、新興のガルマニア帝国だけは、地理的な近さと、出自を問わない能力主義によって、次々とマオール人を家臣として召し抱えていった。
その頂点に立っているのが、宰相のチャドスである。
今や、ガルマニア帝国そのものを掌中に収めようとしているかに見えるチャドスであったが、旅の舞姫ドランの姿で皇帝ゲルカッツェを虜にしているドーラに、手を結ぼうと持ち掛けたのであった。
ドーラは警戒し、ドランの姿のまま「仰っている意味がわかりませぬ」と恍けた。
チャドスは、体毛の薄いツルリとした顔に狡そうな笑みを浮かべている。
「そう突っ張るな。抑々協力しようと言って来ていたのは、おまえの方が先であったではないか。最初は、わしらがブロシウスを斃す直前に、当面は中原を東西に分けてそれぞれの制覇に専念しようという密約を交わすため。次に来たのは、切れ者過ぎるゲルヌ皇子の暗殺を唆すため」
「まあ、怖いお話」
さすがにチャドスは苛立って舌打ちした。
「いい加減にしろ! こっちは、何もかも知っておるのだ。おまえが国外追放になったこともな」
美しいドランの顔に、メラッと殺気のようなものが現れた。
チャドスは態とらしく苦笑して、「すまぬ」と手を挙げて見せた。
「言い過ぎたようだ。おまえが、なかなか本当の姿を見せぬからだぞ。そろそろ肚を割って話そうではないか」
ドランの顔から殺気が消え、ゆっくり呼吸をする度に顔が変化し、やがてドーラの姿となった。
それでも、先程のチャドスの侮辱に反発してか、いつもよりは若い姿に留めたようだ。
その妖艶な美熟女の顔を歪めて、ドーラは罵った。
「ふん! バドリヌめ、余計なことまでペラペラ喋りおって!」
チャドスは、薄く細い眉を両方とも上げた。
「いやいや、これは女族長のバドリヌから聞いた話ではない。寧ろ、最近のバドリヌのやることに不満を持つガイ族たちからの情報だ。その者たちが言うには、ずっと寡婦であったバドリヌが、幽閉されたカルス王に岡惚れして困っておるらしい」
「やっぱりそうか、女狐め!」
色を成すドーラに、チャドスは肩を竦めて見せた。
「まあ、良いではないか。それだけおまえの息子が魅力的なのであろう。それより、本題に戻ってよいかな?」
ドーラは鼻を鳴らし、「言いたいことがあるなら、言うがよい」と告げると、腕組みをして椅子の背凭れに体重を預けた。
チャドスは、皮肉な笑顔でドーラを見ながら、話を再開した。
まあ、そう不貞腐れるな。
どこにでもあるような話ではないか。
さて、本題に入る前に、少しマオール帝国の歴史について、説明をしておこう。
中原の者たちは、自分たちが世界の中心のように思っておるが、どうしてどうして、マオールは中原全体に匹敵する広さがあり、人口はもっと多いくらいだぞ。
御多分に漏れず、マオールも長い間小国に分裂して互いに争い、離合集散を繰り返していた。
それが、次第に南北で収斂し、われら北人の北部王朝と南人の南部王朝の南北朝時代となった。
南北それぞれで王朝の交替を繰り返していたが、統一の兆しはなかった。
そこに、北部の周辺に住む少数部族のヌル族が侵入して来て、あれよあれよという間に北部王朝を滅ぼし、更に南部王朝も支配下に置いて、マオールを統一し、帝国を樹立した。
その時のヌル族の族長こそ、初代皇帝ヌルハンだ。
現在はその孫のヌルギス皇帝の時代だが、母親が中原の人間ということもあってか、それまで没交渉に近かった中原と、様々な形で関りを深めて行った。
その目的は唯一つ。
中原を征服することだ。
ここからは、わしの私的な異見だが、何千年にも亘って、中原とマオールが独自の歴史を刻んだのは、それなりの所以があってのことだと思う。
それは、二つの世界を繋ぐ交通の、絶望的な不便さだ。
ガルム大森林は、今でこそ多少は往来する道筋ができたものの、一歩でも道を誤れば、永遠に樹海を彷徨うことになる。
大昔には、永久に凍てついた北の大海を歩いて渡った者もいるというが、まあ、伝説の類であろう。
唯一の安定した方法は東廻り航路だが、南の大海とて、常にベタ凪という訳ではない。
しかも、ガルム大森林は南へ大きく突き出した岬まで続いており、必ずここを迂回しなければならない。
その上、この岬の先には岩礁が連なっており、大きな船が通れる航路は数箇所しかないのだ。
この隘路を塞がれたらお終いだ。
つまり、中原とマオールを同時に支配するなどというのは、夢物語なのだ。
おや?
何か異論がありそうだな。
まあ、今は聞け。
わしの本音は、こうだ。
いっそ、マオール本国とは手を切り、ガルマニア帝国をわがチャ族のものにしてはどうか、とな。
生易しいことではあるまい。
ヌルギス皇帝は、ここのデブ皇帝とは比較にもならん傑物だからな。
だが、おまえと手を組めば、互いの望みどおり、中原を二分割できるのではないかと思う。
わしが東半分、おまえが西半分。
どうだ、悪い話ではなかろう?
話の間、ボンヤリ天井を見ていたドーラが、チャドスに顔を向けた。
「それなら、こちらにも条件があるぞよ」




