414 逆転(2)
ガルマニア帝国の若き皇帝ゲルカッツェは元々太っていたのだが、最近では、自分で身動きするのも不自由な程になっていた。
原因は、不安を忘れるために、甘いものをばかりを食べるからである。
不安を数え上げれば、限がなかった。
国外に逃亡している兄ゲーリッヒや弟ゲルヌが、自分を殺しに来るのではないか。
周辺国と干戈を交えている将軍たちが、自分を裏切るのではないか。
実質的に帝国を牛耳っている宰相のチャドスが、自分を暗殺するのではないか。
そのチャドスの後ろ盾となっている暗黒帝国マオールが、何か無理難題を言ってくるのではないか。
そして、自分が斬首した軍師ブロシウスの亡霊が、また来るのではないか。
「ねえ。あの首なしのオバケは、もう来ないよね?」
膝枕をしてもらいながら、甘えたように尋ねている相手は、愛妾のドランである。
プラチナブロンドの長い髪が腰の辺りまで伸び、限りなく灰色に近い煙るように薄いブルーの瞳をした美少女である。
ゲルカッツェは、今でも謁見の間などでは美女軍団を侍らせることもあるのだが、私室に入れるのはドラン一人になりつつある。
ゲルカッツェの問い掛けに、いつもならその少し縮れた赤い髪を撫でてやりながら、機械的に「もう来ませんわ」と答え、次々に甘いものを勧めるはずのドランが、今日は違うことを言った。
「あれは、バロードの陰謀ですわ」
ゲルカッツェは、意外過ぎる返答に、ドランの顔をマジマジと見た。
「あれ? 今日はなんだかクッキリ見えるなあ」
ドランは皮肉っぽく笑った。
「何がクッキリなんですの?」
「おまえの顔さ。いつも少しボンヤリした感じに見えてて、ぼくの目が悪くなったのかと思っていたんだ」
ドランは、細っそりした指先で口元を隠し、ホホホと声を上げて笑った。
「まあ、大変。細かい染みや皺を見つけられちゃうわ」
ゲルカッツェは慌てて首を振った。
「そんなことないよ! ドランの顔は、とてもツルツルしてて、綺麗だよ!」
ドランは、少し鼻にかかった態とらしい口調で「ありがとうございます」と礼を述べると、脇道に逸れた話題を戻した。
「軍師ブロシウスの亡霊の件ですけど、皇帝陛下は噂をお聞きになったことはございませんか?」
ゲルカッツェは少しも自分で考えようとはせず、子供のようにすぐに答えをねだった。
「噂? どんな話?」
ドランも、皇帝に考えさせるつもりはないようであった。
「少し長くなると思いますから、砂糖菓子でも召し上がりながら、お聞きくださいね」
さて、わたしのように旅の舞姫などを生業としておりますと、様々な噂話を耳にいたしますのよ。
かの逆賊ブロシウスは、抑々、今は亡き先帝ゲール陛下の命により、遠征軍三万を引き連れてバロードへ向けて進発したはずです。
それが、謀叛の直前、さかんにバロードの者と連絡を取り合い、遂に一戦も交えずに反転し、殆ど無防備な状態のエイサに、ああ、その当時は新帝都ゲルポリスでしたわね、そこに襲い掛かったのです。
本来なら、自分の国の目前まで迫った敵に反転されたバロード側は、ブロシウス軍を追撃するはずでしょう?
でも、一切そのような動きはありませんでした。
当然、何らかの密約があったはずです。
お互いに協力して中原を二分割しよう、などというような。
ところが、ゲルカッツェ陛下の英雄的なお働きによって、ブロシウスめは討たれました。
バロードにしてみれば、せっかくの密約が雲散霧消したのです。
当然、陛下を恨んでいるでしょうね。
そして、バロードと云えば、魔道師の都と呼ばれた頃のエイサを除けば、中原で最も魔道が盛んな国。
ブロシウスの亡霊の幻影を送り込むことなど、容易いことなのです。
それに対して、ガルマニア帝国には元々魔道師がおらず、今この皇帝宮にいるのは、全てマオール帝国から派遣されて来ている東方魔道師ばかりです。
かれらが信用できますか?
ですが、まあ、宰相チャドスさまのご機嫌を損ねる訳にもいかないでしょうし、マオール帝国と揉めることは、絶対に避けねばなりません。
東方魔道師とは、付かず離れずでいるべきです。
では、バロードからの魔道の攻撃にどう対処するのか。
簡単な話ですわ。
一匹ずつ飛んでくる蜂を幾ら殺したとしても、その巣を取り除かない限り、また蜂は飛んで来て、あなたさまを刺しますわ。
ならば、どうすればよいのか。
巣ごと潰すしかありません。
この中原の地図から、バロードという国そのものを消し去るのです。
そして、陛下には、そのお力がございます。
さあ、未だかつてない規模のバロード討伐軍を催しましょう。
そして、この中原全てを陛下のものになされば、最早何も怖れる必要はありませんわ。
ドランが話し終わった時には、ゲルカッツェの目はトロンとしており、譫言のように「バロード討伐、バロード討伐」と繰り返していた。
ドランは魔女めいた笑みを浮かべると、「あら、大変。お菓子が足りませんね。持って参りますわ」と告げて、部屋を出た。
扉を閉めると、勝ち誇ったように笑った。
「確かにブロシウスとバロードに密約はあったのさ。約束した本人が言うのだから、間違いはないぞえ」
しかし、笑い続けることはできなかった。
廊下の向こうから、でっぷりとした体格の、体毛の薄い男が歩いて来ていたのである。
ガルマニア帝国宰相のチャドスであった。
その細い目を更に細め、取って付けたような作り笑顔で、ドランに会釈した。
「おお、これはこれは、ご機嫌麗しゅう、ドランどの。それとも、こうお呼びした方がよろしいかな? バロードのカルス王の生母、ドーラどの?」




