411 聖王奪還(25)
聖王宮における唯一人のバロード人秘書官であるラクトスは、王妃ウィナの死の真相に迫っていた。
その報告のため訪ねた聖王カルスの私室で、ラクトスは野獣の咆哮を耳にし、慌ててカルスの安否を確かめた。
部屋から出て来たカルスは、剣術の稽古をしていただけだと言う。
多少の不審を覚えながらも、ラクトスは、王妃殺害の実行犯であるクマール将軍を唆したのが、カルスの母のドーラではないかと告げる。
すると、縛り上げられ、猿轡を噛まされたウルスラが、泣きながら姿を見せたのであった。
動揺するラクトスの目の前で、カルスの顔がドーラに変わった。
「長生きしたかったら、余計な詮索はするなと申したのに。馬鹿な男よ」
ドーラの片手がスルスルと伸び、ラクトスの首に巻き付いた。
忽ちラクトスの顔が苦痛に歪み、真っ赤になった。
太い紐のようなドーラの腕を、何とか引き剥がそうとしているが、ラクトスの力ではどうにもならないようだ。
と、部屋の空中にポッと光る点が現れ、半透明の光る球体になったかと思うと、見る間に大きく膨らんでパチンと弾け、中から二人の男が出て来た。
手に聖剣を翳したニノフと、一時的にタロスの身体を借りているゾイアである。
縛られたままのウルスラに面差しが似たニノフが、妹にチラリと視線を走らせながら、鞘ごと握った聖剣をドーラに突き付けた。
「ドーラさま、もうお止めなさい!」
ラクトスの首に巻き付いているドーラの腕が、ブルブルと細かく震えている。
明らかに、絞め上げようとする力と、それを止めようとする力が拮抗している。
そうしながらも、ドーラは恐ろしい目でニノフを睨んでいたが、フッと表情が緩み、ラクトスの首からスルスルと腕を戻した。
ラクトスは激しく咳込み、その場に座り込んだ。
ドーラは、今の一幕などなかったような涼しい顔で、ニノフに皮肉な笑みを向けた。
「おやおや、誰かと思えば、わたしの孫じゃないか。まあ、尤も、今じゃ王位継承権を剥奪された、ただの庶民にすぎないがねえ。その庶民が、いったい何の権利があって、聖王の母であるわたしに命令をするんだい? あんまり生意気なことを言うと」
話しながらも、美しかったドーラの顔に黒い獣毛がゾワゾワと生え、顎がヌーッと伸びてきた。
口の中に牙が見える。
「おまえを喰ってやるぞ!」
口の構造が変わって、不快な雑音の混じった声でそう叫ぶと、ドーラはニノフに飛び掛かろうとした。
「そこで止まれ!」
聖剣を向けてニノフが命じると、オオカミのような姿になったドーラは、空中で固まったように停止して浮かんだままとなった。
ニノフは視線を外さずに、「ゾイア将軍、妹を!」と頼んだ。
ゾイアは「おお、心得た」と応え、寝台の上のウルスラの縄を解き、猿轡を外した。
「ゾイア!」
泣きながら抱きつくウルスラをそのまま抱えて、ゾイアはベッドの下に降りた。
ゾイアは優しくウルスラの背中を撫でながら、ニノフに「大丈夫だ。怪我はしていない」と伝えた。
ニノフはドーラに視線を向けたまま頷く。
野獣の姿となったドーラは、まだ空中に浮いていたが、決してジッとしてはおらず、見えない縛めから逃れようと藻掻き、ガチガチと歯を噛み鳴らしている。
ニノフは深く息を吸い、華奢な見かけによらぬ凛とした声で、改めてドーラに告げた。
「アルゴドーラよ! そしてまた、そこに共にいるのならば、アルゴドラスよ! 聖剣の名において汝らに命ずる! その身体から離れ、本来の己の身体に戻るのだ、今すぐに!」
空中に浮かんだ野獣の身体が光り始めた。
ドーラは猶も抵抗しているようで、身体がグニャグニャと変形を繰り返したが、最終的に林檎ぐらいの光の球体となって止まった。
その状態で空中に留まり、静かに明滅している。
ニノフは振り返り、「ゾイア将軍、今です!」と叫んだ。
タロスの身体を借りたゾイアは、ウルスラをそっと下ろし、「しばらく待っていてくれ」と言いながら微笑んで見せた。
ウルスラは黙って頷き、手で涙を拭った。
ゾイアは、大きく息を吐くと、「よいか、タロスどの?」と言って、顔を上下させた。
瞳の色がコバルトブルーに変わり、「おお、お願いする」とタロスが答えると、再び顔を上下し、瞳の色がアクアマリンに戻った。
意を決し、ゾイアは光の球体にそっと指を触れた。
同じ頃、ゾイアの身体を乗っ取った代わりに抜け殻のようになり、白髪の老婆の姿となった方のドーラは、カルスたちに保護され、共に雑穀粥を食べていた。
カルスはすっかり窶れ、無精髭も伸びていたが、束の間の団欒を噛みしめるように、同じテーブルを囲むドーラやバドリヌ親子を笑顔で見つめている。
「ささ、おふくろどのの口に合うかどうかわかりませぬが、冷めぬうちに召し上がってくだされ」
言われたドーラは、素直にスプーンで粥を掬って口に運び、ゆっくり味わうように咀嚼している。
その表情は穏やかなものであったが、突然、ハッとしたように身を強張らせた。
すぐにドーラは横を向き、食べていたものをペッと吐き出すと、バンとテーブルを叩いて立ち上がった。
「このわたしに、なんて下賤ものを食べさせるんだい! ふざけるんじゃないよ!」
その顔はみるみる若返り、妖艶な美熟女のドーラに戻っていた。




