408 聖王奪還(22)
ドーラは、自らが幽閉させた息子カルス王と、その監視役であるガイ族の女族長バドリヌの間に、恋愛感情に似たものが芽生えているのではないかと疑っていた。
当然のことながら、最初はもっと打算的な関係であった。
バドリヌは、かつて自分の仕えた相手、即ち、バロード共和国総裁であったカルボン卿や、小悪党のリゲスから騙されたという思いが強い。
ヤナンを再び自分たちのものにするため、王政復古したバロード政府に接近し、諜報活動を担っているドーラにガイ族を売り込んだものの、今一つ信用していなかった。
それが今回、男性形のドーンの時とはいえ、自分の実の息子を監禁するよう命じられ、不信感を募らせた。
目的のためなら自分の子供すら犠牲にする相手が、約束を守るとは思えない。
そこで、バドリヌは両天秤にかけたのである。
幽閉しているカルスの様子を見ながら、徐々に薬の量を減らし、逃げる意志がないとわかると、縛っていた縄も解いて、ある程度自由にさせた。
勿論、万が一にも逃げられぬよう、廃屋の周りには特殊な結界が張られており、そこから出ようとすれば、ガイ族の仲間が駆け付けて取り押さえる手筈になっている。
が、今まで、そのような緊急出動は一度もなかった。
薬が全く切れても、カルス自身がすっかり逃げる気持ちを失くしていたのである。
自分の最愛の妻が実の親の陰謀によって殺されたこと、また、自分の子供たちも殺されようとしていること、更に、子供同様に思っている国民たちも殺されかねないこと、そして何より、自分にはそれを止められないことに、すっかり絶望していた。
こうして、バドリヌの監視の目的は、カルスを逃がさないことから、カルスに自殺をさせないことに変わった。
バドリヌは新たに、カルスの食べ物に気持ちが前向きになる薬を混ぜたり、心が安定する薬草茶を飲ませたりしていた。
そうするうちに、バドリヌの気持ちの中に、カルスへの憐れみの感情が生まれたのは自然なことであったろう。
そのため、愈々カルスの処刑が命じられそうな兆候を察したバドリヌは、危険を覚悟の上で密かに逃がすため、廃屋の外に連れ出そうとした。
その時である。
バドリヌは、廃屋に近づいて来る人の気配を感じた。
見れば、巡礼用のマントを撥ね退け、草色の布で全身を覆った子供が走って来る。
「ハンゼ! 無事、だった、か!」
「母者!」
ハンゼが駆け寄り、黒尽くめの服に身を包んだバドリヌに抱きついた。
しかし、ハンゼの後ろからヨロヨロと走って来る人物を見て、息子が無事であったことの喜びも吹き飛ぶ程、バドリヌは動揺した。
それは、髪が真っ白になり、老いさらばえた姿ではあったが、バドリヌが今最も見つかってはならない相手、ドーラであったのだ。
ところが、ドーラはバドリヌがわからぬようで、熱に浮かされたようにブツブツと同じ言葉を繰り返している。
「息子は、わたしの息子は」
そこへ、バドリヌの後ろから、見る影もなく窶れ、無精髭を生やしたカルスが出て来たのである。
「まさか、おふくろどのか?」
カルスの虚ろだった目が、見開かれた。
だが、駆け寄って来ていたドーラの方が直前で立ち止まり、首を傾げている。
「わたしの、息子?」
その様子を見て、カルスは自らドーラに近づき、その肩を優しく抱き寄せた。
「そうです。あなたの息子、カルスでございますよ」
呆然としていたドーラの目から、一粒の涙が零れ、皺深い頬を流れ落ちた。
同じ頃、ゾイアの身体を乗っ取った方のドーラは、識閾下の回廊を通じて聖剣の在り処を知り、その回廊伝いに跳躍しつつあった。
その目的地であるニノフの私室には、ニノフ本人と、タロスの身体を借りたゾイアと、ウルスラ王女の三人がいた。
ドーラに繋がる回廊の危険を防ぐため、聖剣の力でそれを塞ごうと、今将に、ウルスラが召喚の言葉を唱えたところであった。
「サンジェルマヌスさま! 今こそお力をお貸しください!」
ウルスラの掌の上に、ポッと光る点が現れ、みるみる膨らんで細長く伸びてきた。
と、それが実体化する寸前、横から伸びて来た手が、それを掴み取ったのである。
ウルスラが驚愕の叫びを上げた。
「ああっ、何をするの、ゾイア!」
まだ実体化する前の保護膜に包まれた聖剣を奪ったのは、なんとタロスの身体を借りているゾイアであった。
が、ニノフにはゾイアの行動の意味がわかったらしく、「違う、見なさい!」と、空間の一点を指差した。
伸ばしたままのウルスラの掌の上に、別の光る点が現れ、そこから人間の手がニューッと出て来たのである。
その手が何もない空間を弄るうちに、腕が見え、肩が出て、ドーラの全身が出現した。
それは、息子と再会した老婆とは似ても似つかぬ、絹の長衣を着た妖艶な美熟女の姿であった。
「くそっ!」
ドーラは、その美しい顔を歪め、舌打ちした。
しかし、すぐに、空を切った手をそのままスルスルと何倍にも伸ばし、ゾイアが持っている聖剣を取り上げようとした。
「ゾイア、わたしに投げて!」
ウルスラが叫び、ゾイアは「おう!」と叫んで聖剣を投じた。
が、その方向は、ウルスラとは逆であった。
突然、自分に投げられた聖剣を、ニノフは確りと受け取った。
それを高く掲げ、こう命じた。
「聖剣よ! わが祖母ドーラの姿をしたこの者を、識閾下の回廊より戻し、その回廊を閉じよ!」
と、ドーラの背後にポッと黒い点が現れ、黒い穴となって、ドーラの身体が足の方から徐々に吸い込まれていく。
「そうはいかぬわ!」
ドーラが叫び、伸びていた腕がクルクルと回って、横に立っていたウルスラの身体を搦め取った。
「やめて、お祖母さま!」
悲鳴を上げるウルスラも一緒に、二人は黒い穴に吸い込まれて消えた。




