392 聖王奪還(6)
カルス王は、バロード西北部のスカンポ河に程近い廃村の一軒家に幽閉されていた。
カルスを拉致したガイ族の女族長バドリヌは、ドーンから貰った一時的に理気力を消滅させる薬でカルスの変身と魔道の力を封じていた。
また、ガイ族に伝わる薬によって、反抗したり、逃亡を企てたりする気力も奪っている。
バドリヌは多少情が移ったのか、甲斐甲斐しくカルスの面倒をみていた。
カルスの方も逃げる素振りもなく、無精髭も伸びて、半ば廃人のようになっている。
そこへ突然やって来たドーラは、自分の実の息子であるカルスに向かって、ゾイアを誘き寄せる餌にするのだと言って、高笑いしたのである。
カルスは気怠げに自分の母親の顔を見ていたが、フッと口元だけで笑った。
「余に餌としての価値があるかどうかわかりませぬが、どうやって獣人将軍にそれを知らせるのですか? おお、そうだ。いっそ、大々的に国内外に喧伝してはどうです? 『バロードの聖王は、辺境に近い寒村に監禁され、薬漬けにされている』と」
ドーラはフンと鼻を鳴らした。
「減らず口だけは達者だね。ゾイアという男については、国境付近に近づいた頃から、ずっとバドリヌに見張らせておいたのだ。おまえの傍にいる夜から朝の間以外はね。あやつが有翼獣神に変身して蛮族軍を敗走させたことも、長老のレオンが報せる前から知っていた。だから、逸早く次の手が打てたのだ。おまえに心配してもらわずとも、ちゃんと釣り糸は垂らしてあるさ。のう、バドリヌ?」
バドリヌは俯いた。
黒い布で覆われて表情は見えないが、泣いているように肩が震えている。
「子供、騙す、辛い」
ドーラは少し苛立って、「泣き言をいうんじゃないよ!」と叱りつけた。
「それもこれも、ガイ族が安住の地を手に入れるためだろ! わたしに協力してりゃあ、あのかつての王都であったヤナンを丸ごと貰えるんだよ。有り難い話じゃないか」
それを聞いて、カルスはまた少し笑った。
「事情はわかりませぬが、おふくろどのが、全体の利益のためなら家族の犠牲など何とも思わない人だということは、よくわかりました」
ドーラの手が上がり、ピシャリとカルスの頬を打った。
「生意気なことを言うんじゃないよ! わたしがどれほど苦労して中原を統一したかも知らないくせに!」
カルスも負けていなかった。
「確かに、おふくろどののご苦労は知りませぬ。わが父ピロス公を色仕掛けで誑かし、余をお産みになったこと以外はね」
再びドーラの手が上がり、今度は止まらずに何度も何度もカルスの頬を往復した。
忽ちカルスの顔が腫れあがる。
見かねたバドリヌが、「もう、やめて、もう」とドーラの袖を引く。
ドーラはそれを振り払ったが、さすがにやり過ぎたと思ったのか、それ以上打擲するのは止め、カルスを睨みつけた。
「ふん! おまえさえシャンとしてくれていれば、わたしが出しゃばることもなかったんだよ。それをあの嫁が」
いくら頬を叩かれても無抵抗であったカルスが、初めて声を荒らげた。
「ウィナのことは言うな!」
ヨロヨロと立ち上がろうとするカルスの目の前で、ドーラはパチンと指を鳴らした。
カルスは、一瞬で全身の力が抜けたように、目を瞑ってストンと椅子に座り、轟々と鼾をかき始めた。
ドーラは腕を組み、「どこまで阿呆なんだい!」と吐き捨てると、バドリヌの方に向き直った。
「もう一度、ちゃんと縛っておくのじゃぞ。薬の効き目が薄れておるようだから、食べるものに混ぜて、もう一度飲ませよ。それから、世話をするのは死なせぬ程度でよい。おまえが甘やかすから、抵抗しようという気になるのだ。万が一、こやつを逃がすようなことがあれば、おまえの息子の生命はないものと思え。よいな!」
バドリヌはその場に平伏した。
「ぎょ、御意」
ドーラはクルリと宙返りして灰色のコウモリに変身すると、何処かへ飛び去った。
一方、ゾイアはドーラに発見されぬよう空を飛ばず、ハンゼと共に地上を走って、王都バロンを大きく迂回しながらバロード西北部へ向かっていた。
走る程に、少しずつハンゼが遅れて来たため、ゾイアは一旦足を止めた。
「大丈夫か?」
ゾイアが声を掛けると、巡礼用のマントですっぽりと身を包んだハンゼが、息を切らしながら「だ、大丈夫に、決まって、いる」と強がった。
ゾイアは苦笑して、「少し休もう」と告げると、近場にある小さな繁みに入り、ドカリと座った。
「ハンゼ、腹が減ったであろう? 行軍用の携行食しかないが、少し喰わぬか?」
「腹など、減って、おらぬ」
そう答えながらも、ハンゼは繁みに寄って来て、ゾイアから渡された食料をガツガツと食べた。
それを微笑ましそうに見ながら、ゾイアは、「やはり馬が要るな」と呟いた。
食料を食べ終えたハンゼは、水筒から水を飲みながら、首を振った。
「馬、今から、手に入れる、のは、無理、だ。おれ、大丈夫。まだ、走れる」
ゾイアはニヤリと笑い、「いや、馬ならいるさ」と言いつつ、簡易甲冑を脱いで四つん這いになった。
ゾイアの身体を栗色の毛が覆い、体型が徐々に変形していく。
顔も長くなり、目が両側に離れた。
髪の毛は鬣に変わる。
ゾイアはすっかり馬に変身すると、歯を見せて笑った。
「この姿なら目立つまい。さあ、乗ってくれ」
だが、ハンゼは申し訳なさそうにゾイアに告白した。
「おれ、馬、乗ったこと、ない」




