380 ヤナンの乱(18)
人間の五倍ほどの大きさの有翼獣神となり、蛮族軍一万を戦意喪失せしめたゾイアであったが、蛮族の一部がヤナンの方へ逃げ込んだことが気になっていた。
ツイムがいる地上まで尻尾の先を伸ばし、そこに小さな顔を出現させ、隊形が乱れた義勇軍の立て直しを頼むと、ゾイアはヤナンへ飛んだ。
常人より遥かによく見えるゾイアの目は、ヤナンの旧市街地へ入って行く二十騎ほどのメギラ族と、それを例の大きな馬で追うギルガの姿を捉えた。
「いかんな」
因みに、そう呟いたのは、尻尾の先にある方の顔である。
本来の顔はオオカミのように変形しているため、人間の言葉は話せないようだ。
「みんな退去してくれていれば、良いのだが」
ロックからの連絡が入る間もなかったため、ゾイアはどの程度市民の避難が進んだか知らなかったが、まだ何人か残っているのではないかと危惧したのである。
ところが、まだ距離があるのに、血飛沫が上がるのがハッキリ見えた。
それも一度ではない。
「なんと、この状況下で仲間を粛清しているのか! 愚かなことを」
仲間にさえ容赦しないギルガに、ゾイアの尻尾の顔は嫌悪と恐怖が入り混じった表情になった。
ゾイアは飛行の速度を上げたが、すぐにギルガの姿を見失ってしまった。
旧市街の狭い路地に入り込んでしまったらしい。
ヤナンの上空を何度か旋回する内、路地を走るギルガを見つけた。
馬から下りて、誰かを追っているようだ。
「あっ、あれは!」
ギルガが追いかけているのは、ロックであった。
ロックは右に左に路地を走りながら、ギルガの追跡を躱そうとしている。
上空から見ているゾイアにも、あまりにもロックの動きが目紛しく、着陸の時機を掴みかねた。
ホンの僅かの間二人を見失ったが、次に姿を見つけた時には、ギルガとロックが共に血を流して倒れていた。
その横には剣を持った人物がもう一人が立っている。
「いかん!」
ゾイアは急降下しながら、身体を縮小した。
そのままでは、路地に入れないからだ。
変身も徐々に解除し、獣毛が消えていき、顔も平たくなっていく。
ゾイアが地上に降り立った時には、ほぼ人間の姿に戻っており、最後まで残っていた翼も、スーッと消えた。
そのまま、ロックたちがいる方へスタスタと歩いて行く。
剣を持って立っているのは、ボロボロになった甲冑を着た老人で、ゾイアに向かって剣を構えて睨みつけていた。
「化け物め! おまえもこの蛮族の仲間か!」
老人の誤解をとくため、ゾイアは焦る気持ちを抑え、できるだけゆっくりと喋った。
「いや、そうではない。義勇軍の者だ。蛮族の何名かがヤナンに逃げ込んだため、追って来たのだ。詳しいことは後で説明するが、先にそこに倒れている仲間の様子を見させてくれぬか? 怪我をしたのではないか?」
老人は猶も胡散臭そうにゾイアを見ていたが、敵ではないと判断したらしく、剣は下ろした。
「ふん。この若者なら心配いらん。深手ではあったが、急所は外れていた。今、わしの孫娘が治療をしておる」
「孫娘?」
その時になって、ゾイアは倒れているロックの横に人がいることに気づいた。
ゾイアの視線から隠すように、老人が立っていたのである。
ゾイアがそちらに回り込もうとすると、老人がそれを邪魔するように動き、「阿呆!」とゾイアを叱りつけた。
「孫娘は嫁入り前なんじゃ! せめて下帯ぐらい着けよ!」
ゾイアは、獣人化した際に背中に大剣を吊るす革帯が千切れ、巨大化によって下帯も外れてしまっていた。
しかし、ロックが心配なあまり気が急いていたため、変身を戻せば素っ裸になることを忘れていたのだ。
「おお、すまぬ。では、こうしよう。驚かないでくれ」
ゾイアは、首から下を獣毛で覆った。
老人は再び嫌悪感を露わにして、「やっぱり、化け物じゃ」と吐き捨てた。
すると、老人の後ろから笑いを含んだ若い女の声がした。
「いやね、おじいさま。そのお方こそ、あの有名な獣人将軍さまよ」
「わしは知らん! 何将軍であろうが、わしは畏れはせんぞ。われこそは、バロード軍にその人ありと知られた鬼軍曹トニトルスさまじゃからな」
トニトルスはそう言いながらも、孫娘の前から避けてゾイアに見えるようにしてやった。
倒れたロックの横にいるのは、ロックと同じ年頃の、亜麻色の長い髪の若い女であった。
白っぽい地味な服を着ている。
真剣な表情でロックに掌を向けていたが、ふっとゾイアの方を見て、微笑んだ。
「初めまして、獣人将軍ゾイア閣下。わたしはトニトルスの孫のピリカと申します。父親は違いますが、ニノフ殿下の妹でございます」




