379 ヤナンの乱(17)
自分の一言が、戦局にこれ程大きな影響を齎すとは、言ったツイム自身が一番驚いていた。
バロード領内に入った直後のことであったが、ツイムはゾイアから頼みごとをされた。
エイサで様子がおかしくなった自分を元に戻すために、クジュケが何か告げた時のことを思い出して欲しい、というのである。
更に、耳元でこう囁かれた。
すまぬが、近くに曲者がいるような気がするから、小声で言わせてもらう。
クジュケがわれに呼び掛ける前、ある言葉を言ったはずだ。
恐らくその言葉が、われの変身を制御する鍵となっている。
最初にゲルヌ皇子からも言われたはずだが、その言葉だけが記憶からスッポリ抜けている。
どうやら、われの心には、そういう仕組みがあるらしい。
後でギータたちから聞いたが、ゲルヌ皇子の横でわれが理性を失って変身した際、皇子はわれに人間の形を保つように命じたそうだ。
ところが、形だけは人間となっても、木偶人形のような状態になった。
そこで、クジュケがまたその言葉を唱え、ゾイア将軍に戻れと命じてくれた。
その結果が、今のわれだ。
つまり、人間の将軍、ということだ。
これはこれで悪くないと、自分でも思うのだが、今は非常事態だ。
われが変身できなければ、戦力的に大きな不利となる。
われ自身がその言葉を思い出せれば好いのだが、どうしてもそれが出来ない。
そこで、おぬしにお願いしたいのだ。
思い出したら、いつでも構わないから、その言葉でわれに呼び掛けてくれ。
その後、すぐに続けてこう言ってくれ、『今こそおまえは自由だ。全ての力を解き放て』とな。
そして、蛮族軍一万に包囲された絶体絶命の状態でツイムはその言葉を思い出し、ゾイアに告げたのである。
「ケルビムよ! 今こそおまえは自由だ! 全ての力を解き放て!」
変化は劇的であった。
いきなりゾイアの筋肉がゴリゴリ膨らみ、大剣を背中に吊るすための革帯がブチッと切れた。
同時に、ゾワゾワと獣のような毛が全身を覆うように伸び、顔がオオカミのように変形した。
目は緑色に爛々と輝き、前に突き出した大きな口からは太い牙が何本も食み出している。
ダークブロンドの髪は逆立って長く伸び、鬣のようだ。
その牙の生えた口がクワッと開き、ゾイアは天を見上げて、朗々と遠吠えを始めた。
哀愁を感じさせるような、美しく、切ない声であった。
啼きながら、ゾイアの背中に猛禽類のような大きな翼が伸びてきた。
それをゆっくりはためかせ、スーッと上昇して行く。
羽ばたく度に身体が大きくなった。
背中は黒に近い焦げ茶色の獣毛に覆われているが、肩甲骨の辺りから生えている翼は少し薄い茶色の羽毛になっている。
ところが、胸と腹は獣毛でも羽毛でもなく、龍馬を思わせる鱗であった。
色は燻んだ紅色で、金属的な光沢を放っている。
腕と脚は獣毛に包まれ、その先に、黒く光る長い鉤爪が生えていた。
一方、尻の部分から伸びている尻尾には途中まで毛がなく、先の方にだけフワッと付いている。
身体の大きさが人間の五倍くらいになったところで巨大化と上昇は止まり、その位置でゾイアは空中浮遊した。
その野獣のような大きな口が再びグワッと開き、今度は遠吠えではない、天地が震えるような咆哮が放たれたのである。
ツイムの周りの兵士たちは、皆同じ言葉を囁いた。
「獣人将軍だ」
「獣人将軍ゾイア閣下だ」
「獣人将軍がおれたちを助けてくれる」
ゾイアは咆哮を止めると、ゆっくり羽ばたきながら輪を描くように旋回し始めた。
その輪は徐々に大きくなり、同時に、高度が低くなり、義勇軍を包囲する蛮族軍に接近して行く。
蛮族たちは悲鳴を上げて逃げ始めた。
いや、蛮族というより、その乗っている馬たちが恐慌を来していた。
主人の言うことを聞かず、前脚を跳ね上げながら嘶き、勝手に逃げ出したのである。
蛮族軍一万は、瞬時にして総崩れとなった。
今にも全滅するのではないかと息を呑んでいた義勇軍は、一気に喜びを爆発させた。
抑えきれない歓声と、気の早い勝鬨が、義勇軍のあちこちから上がる。
ツイムも、深い安堵の息を吐いた。
「凄えもんだな。サイカの包囲戦の時より何倍もデカいし、格段に迫力がある」
と、上空の陽射しが翳り、ツイムが見上げると、ゾイアが真上に停止していた。
そこから極太の綱のようなものが、スルスルと下りて来る。
ゾイアの尻尾であった。
フワッと毛の生えた尻尾の先がツイムの顔の前まで来ると、その毛が中央から二つに分かれ、中から人間の顔が現れた。
勿論ゾイアの顔であるが、普段より一回り小さく、目を瞑り、口も閉じている。
驚いたツイムの方が、先に問い掛けた。
「どうした、ゾイア? 何か問題があったのか?」
ツイムは、またゾイアの変身に不具合が生じたのかと思ったのである。
すると、尻尾の先にあるゾイアの顔の目が開き、ツイムの顔を見て、やや早口で喋りだした。
「おお、すまぬ。要らぬ心配をさせたな。全身を元に戻すと時間が掛かる故、こういう形にしたのだ。さて、蛮族軍はバラバラに敗走したが、その一部がヤナンに逃げ込んだようだ。一先ずわれが飛んで行くが、おぬしらも兵を取り纏め次第、後から来てくれ。妙に胸が騒ぐ。ロックたちが心配だ」




