377 ヤナンの乱(15)
逃げ遅れた市民がいないか、ヤナンの隅々まで巡回しているロックにも、オオカミのような遠吠えが聞こえてきた。
偶々ヤナンの北側の縁に近い位置にいたのである。
「あれ? もしかして、おっさんかな?」
首を傾げながら馬を進ませていると、今度は猛獣のような咆哮が響いてきた。
ロックの顔がパッと明るくなった。
「間違いねえ、おっさんだ! なんだよ、心配させやがって。変身できるじゃんか。まあ、いいや。これで勝ったも同然だな」
続いて蛮族たちと思われる悲鳴が上がり、馬の嘶きまで聞こえると、ロックは笑い出してしまった。
「どんなもんだい! おっさんが変身できさえすりゃ、蛮族なんて屁でもねえ、ってことさ」
意気揚々と引き揚げようとした時、蛮族の叫び声と、慌ただしい馬の足音が、こちらに向かって近づいて来るのが聞こえた。
ロックの顔色が変わった。
「やべえな。もう市民は残っちゃいねえとは思うが、おれたちも早く撤収しねえと」
馬首を廻らせて引き返そうとしたロックの動きが止まった。
「なってこった! あのじいさん、まだいやがったのか!」
ロックの視線の先に、ボロボロの甲冑を身に着けた老人が立っていた。
同時に向こうもロックに気づき、昂然と胸を反らした
「われこそは、バロード軍にその人ありと知られた鬼軍曹トニトルスさまじゃ! 蛮族如きを怖れて逃げるとでも思うたか!」
ロックは怒るというより呆れた顔になった。
「んなこと言ってる場合かよ! じきに手負いの猪みてえな蛮族たちが来るんだぜ! つべこべ言ってねえで、早く逃げろ!」
トニトルスが何か言い返す前に、後ろから走り寄って来た者がいる。
亜麻色の長い髪を靡かせた、孫娘のピリカであった。
ロックに向かってペコリと頭を下げると、老人の腕を掴んだ。
「おじいさま、ロックさまのご迷惑になるわ。早く逃げましょう」
だが、トニトルスは頑なにピリカの手を払い除けた。
「何を言うか! わしが若い頃には、敵を怖れて逃げるような者は一人もおらなんだ。それが何じゃ。二言目には、逃げろ逃げろと。この腰抜けどもめ!」
ロックは思わず「何だと、このクソじじい!」と言い返したが、ピリカの悲しげな顔を見てそれ以上罵るのは我慢し、フーッと息を吐いて話し掛けた。
なあ、じいさん、聞いてくれ。
おいらたちは義勇軍だ。
このバロードの人間ばかりじゃねえ。
ヤナンが危ないって聞いて、助けてやりたいと集まって来た連中なんだ。
それが、たった三千で一万の敵と戦おうとしてるんだぜ。
しかも、敵はあの蛮族だ。
生半可な相手じゃねえ。
まあ、ゾイアっておっさん一人で一万人分ぐらいの力はあるかもしれねえけどさ。
それだって、やってみなくちゃわからねえ。
それともう一つ。
おいらたちの目的は戦うことじゃない。
あくまでも、ヤナンの市民を逃がすのが最優先なんだ。
だから、たった三千しかいない兵力の内、三分の一を割いて避難を誘導してる。
わかるだろ?
おいらだって早くおっさんたちの援護に行きたいんだ。
本当なら、こんなとこで、じいさんとゆっくり話してる場合じゃないんだ。
それに、さっきゾイアのおっさんの吠える声が聞こえた。
獣人将軍って、知ってるだろ?
えっ、知らねえのか。
うーん、まあ、いいか。
おっさんは、恐ろしい獣に変身するんだ。
嘘じゃねえって。
とにかく、蛮族の悲鳴が聞こえたから、幾人かはこっちへ逃げて来るだろう。
向こうだって必死だ。
こんなとこでウロウロしてたら、巻き込まれて怪我したり、下手をすりゃ殺される。
なあ、聞き分けてくれよ。
トニトルスの返事は一言であった。
「嫌じゃ!」
顔を真っ赤にして怒鳴りつけようとしたロックは、後方から聞こえる人馬の声に、ハッとして振り返った。
街の外へ繋がっている道を通り、必死の形相で馬を駆り立てて来る集団が見えた。
凡そ二十騎以上はいるであろう。
乗っている者たちは、長い髪を一つに纏め、頭頂部で縛っている。
『北方の処刑人』として知られるメギラ族の姿であった。
手に手に半月刀を持っている。
ロックは蒼褪めて、トニトルスとピリカに叫んだ。
「逃げろ!」
猶も愚図愚図言うトニトルスを、ピリカが強引に手を引いて走り出す。
それを見届けると、ロックはメギラ族の方を振り返った。
「ちょっと多いな。だが、取り敢えず足止めしなきゃな」
ロックは長剣を抜くと、近づいて来るメギラ族へ啖呵をきった。
「やいやい、てめえら! おいらを誰だと思ってやがる! 北方警備軍の情報部隊長と聞けば蛮族の泣く子も黙るという、カリオテのロックさまだぜ! 痛い目に遭いたくなかったら、とっとと消えな!」
言いながら、トニトルスに影響されたと気づき、自分で苦笑してしまったロックだったが、すぐにその顔色が変わった。
駆けて来るメギラ族の後方から、絶叫と血飛沫が上がり、人間が馬から落ちる音が立て続けに聞こえてきたのだ。
「ん? な、なんだ? 仲間割れか?」
訝るロックの目にも、それが見えてきた。
他の者より二回り程体格の大きな若いメギラ族の男が、半月刀を自在に振り回して、次々と仲間を斬り殺しているのだ。
瞬く間に全員が斃され、その大きなメギラ族一人になった。
その男は何故かニヤニヤ笑いながら、ロックに向かって血塗れの半月刀を突き出したのである。
「次、おまえの、番」




