375 ヤナンの乱(13)
市街地を焼き払い、一万の全軍が集結して雄叫びを上げた蛮族軍に、ゾイアの率いる義勇軍四千は、悲壮な覚悟で挑んだ訳ではない。
目的は、あくまでもヤナンの市民が無事に避難するまでの時間稼ぎであり、蛮族軍の足止めであった。
ゾイアも、無理押しせず、敵の勢いを往なすように指示を出していた。
ところが、開戦早々、ゾイアは敵の異変に気づかざるを得なかった。
「おかしい。蛮族軍に、何があったのだ?」
自身も前線に立ち、両手の大剣を振るいながら、ゾイアは何度も首を傾げた。
先程一旦退却し、他の部族を呼ぶために街を焼いたメギラ族だけが突出して戦っているが、一向に後詰が来ないのだ。
そのため、前線が徐々に向こう側へ移動している。
それが、クビラ族の自分に対する恐怖心によるものなどとは、ゾイアとて知る由もない。
と、ゾイア同様、敵側の最前線で戦っていたはずのギルガの姿が、フッと見えなくなった。
「いかん! これは罠だ!」
当然、ゾイアはそう判断した。
弱いと見せて誘き寄せ、こちらが深追いしたところで、一気に包囲して殲滅する策戦だろうと思ったのだ。
ゾイアは前を進む騎兵たちに、声を枯らして呼び掛けた。
「それ以上追うな! 忘れてはならん、敵は大軍だぞ!」
だが、一度攻勢になってしまうと、なかなか引き返せるものではない。
義勇軍はあれよあれよと突き進み、それを追うゾイアにも、最早その勢いを止められなかった。
これが本当に策戦であったなら、或いは義勇軍の誰かが、メギラ族の退却の仕方や、その後ろでモタモタしているクビラ族の動きに不自然さを感じ、脚を止めたかもしれない。
しかし、これは策戦などではなく、自然な流れであった。
このままの流れであれば、義勇軍の地滑り的大勝利ということも、あり得たであろう。
ところが、突如として、眠っていた死神が目醒めた。
全く戦意のなかったクビラ族が、突然、前を進むメギラ族を押し除けるように猛然と攻めて来たのである。
同時に、他の部族は左右に分かれて進み、義勇軍の後ろ側に回り込んだ。
その結果、四千の義勇軍は、蛮族軍一万によって完全に包囲されてしまった。
ゾイアより前の位置を駆けていたツイムが、蒼褪めた顔でゾイアの許へ馬を寄せて来て、頭を下げた。
「すまん。調子に乗り過ぎた。完全に敵の罠に嵌ったようだ」
「いや、それはわれも同じことだ。何としてもこの囲みを突破せねば、全滅しかねん」
いつになく悲観的な予想を口にするゾイアだったが、それほど蛮族軍の包囲は完全であったのである。
ツイムも唇を噛んだ。
「こんなにキッチリ囲まれたんじゃ、鳥にでもなって逃げない限り……」
空を見上げながらそこまで言って、ツイムはハッとした顔になった。
「……翼のある神話の生き物、って言ってたな」
ゾイアもツイムの様子に気づき、珍しく、焦って尋ねた。
「どうした? もしかして、例の言葉を思い出したのか?」
ツイムは周囲の状況を忘れたように考え込んでいる。
その間にも、包囲した蛮族軍から、雨のように矢が射掛けられてきた。
ゾイアは、風に流されてきた矢がツイムに当たらぬよう、大剣で払い除けながら、祈るような眼差しでツイムの表情の変化を見ている。
ついにツイムの表情が輝いた。
「そうか!」
「思い出してくれたか!」
必死な顔で聞くゾイアに、ツイムは莞爾と笑って見せた。
「ああ、思い出したよ」
ゾイアはツイムの手を、力一杯握った。
「よしっ! もう時間がない。今この場で構わん。その言葉と、われが教えた科白を続けて言ってくれ!」
「わかった。言うぞ」
「頼む!」
ツイムは大きく息を吸い、ゾイアに向かってこう告げた。
「ケルビムよ! 今こそおまえは自由だ! 全ての力を解き放て!」
その少し前。
ゾイアと一対一で闘い、あと一歩というところまで追い詰めたと主張するギルガを、クビラ族たちは最初のうち笑っていた。
しかし、身振り手振りを交えて熱弁を振るうギルガの話に、次第に引き込まれた。
何しろ、つい先程の出来事である。
ギルガの記憶は鮮明であり、一人の戦士としても頂点に立つだけあって、闘いの描写も的確であった。
『それ程まで斬られても変身しないとは、考えられん。北長城では、ホンの掠り傷程度で変身したぞ』
クビラ族に言われて、ギルガはニヤリと笑った。
『だろう? となれば、本当に変身できないのだ。原因はおれさまも知らん。本人も困っているようであったな。確かなことは一つだ。最早、獣人将軍など怖るるに足らず!』
『おお、そうだな! よしっ、今の話、皆に伝えよう。こうなれば、手柄はわれらクビラ族のものだ!』
急に色めき立つクビラ族に、密かに舌打ちしながらも、ギルガは更に煽った。
『ならば競争だ。一先ず、逃げられぬように全軍で取り囲み、後は草を刈るように首を刈ればよい』
『よかろう、受けて立つ!』
萎れていた蛮族軍が、俄かに奮い立った。
全軍に伝令が廻り、一気に進撃を開始したのである。
急いで自軍に戻ったギルガも、メギラ族の兵を叱咤した。
『者ども、奮え! 少しでも躊躇するやつは、後ろからおれさまが斬る! さあ、メギラ族の本当の力を、他部族に見せつけてやるのだ!』




