374 ヤナンの乱(12)
ヤナンの暴動を鎮圧するという目的のために派遣されたはずの蛮族軍一万が、行軍の邪魔になる民家を破壊し、放火しているとの報告は、すぐに聖王宮にも届いた。
尤も、王政復古以来、バロードの官僚機構の主な地位は蛮族に取って代われていたため、同族の暴挙を聖王本人に報告しに行く者などいなかった。
また、報告すべき相手の聖王カルスは、一昨日から体調不良のため、緊急事態以外は誰にも会わないと伝えられてもいた。
結局、唯一残っているバロード人秘書官のラクトスが、聖王カルスの私室を訪ねることになったのである。
が、その手前の廊下で、ラクトスは想定外の人物に足止めされた。
蛮族の帝王の派手な仮面を被ったドーンである。
女性形のドーラは、既にカルスの実母として一般のバロード人にも知られるようになった。
しかし、ドーンは、バロード国内では表向きドーラの兄とされており、聖王の伯父という立場をとっている。
これは、両性族にとって一面の真実でもあった。
「聖王陛下は、今は眠っておられる。話ならわしが聞こう」
ラクトスは、ドーンに威圧されながらも、必死で喰い下がった。
「あ、いえ、火急のことなれば、一言だけでも直接陛下のお耳に」
「無用!」
ドーンが拒絶するのと同時に、バラバラと数人の蛮族が現れ、ラクトスを取り囲んだ。
ラクトスはゴクリと唾を飲んだが、このままでは帰れない。
「な、ならば、必ずお伝えください。ヤナンへ向かった蛮族軍は、途中の市街地に火を放ち、民家を取り壊しておりますと」
「ほう。それは、ちとやり過ぎだな。わかった。むす、いや、甥に必ず伝えておく」
「ありがとうございます。では、これにて」
逃げるように帰ろうとするラクトスの背中に、ドーンは笑いを含んだような声で告げた。
「おまえ、妹のドーラのことをコソコソ調べておるようだな。まあ、無理をせず、長生きすることを考えた方がよいぞ」
ラクトスは、ビクッと肩を震わせたが、それ以上何も言わずに立ち去った。
ラクトスの姿が完全に見えなくなると、ドーンは周囲の蛮族を叱りつけた。
『馬鹿者どもめ! 何故早く余に言わんのか。徒でさえバロード人の反感を買っておるというのに。うーむ、焼いたものは仕方がないが、軍を率いている責任者は厳罰に処すぞ。誰じゃ?』
傍にいる蛮族たちは顔を見合わせた。
本来の蛮族の帝王はカーンことカルスであり、蛮族の中ではドーンはその父という立場に過ぎない。
過去の時代には現役の蛮族の帝王であったにせよ、それをここで言う訳にもいかなかった。
ドーンが、カルスの身柄を態々ガイ族のバドリヌに頼んだのも、そうせざるを得なかったからである。
が、結局、ドーンの威圧感に押され、蛮族たちは声を揃えて答えた。
『メギラ族の族長、ギルガだ』
そのギルガの率いる蛮族軍一万は、愈々ゾイアの義勇軍四千と戦端を開いた。
ところが、せっかく市街地を焼いてまで他の部族が合流し易いようにしたのに、威勢がよかったのは最初の雄叫びだけで、一向に士気が上がらない。
結局、メギラ族だけが突出する形となって、両軍がぶつかり合う前線はジリジリと下がって来ている。
自身も最前線で半月刀を振るっているギルガは、苛立たしげに叫んだ。
『いったいどうなっているんだ! 他の部族はみんな腰が抜けたのか!』
ギルガの気に入らないことを言うと、自分の責任でなくとも斬られてしまうため、誰も答えない。
『くそっ! ちょっと戻って、他の部族の尻を叩いて来る! その間、前線を維持しておけ! 一歩たりとも、退くことは許さん!』
ギルガが馬首を廻らせて後方へ走り去ると、同じメギラ族たちすら、ホッとした空気が流れた。
後方からゆっくり進んで来ている他の部族のうち、大半を占めるのは最大部族のクビラ族である。
『北方の死神』という異名のとおり、戦大鎌を肩に担いで、一言も喋らずに行軍している。
全く急ごうという気配がない。
その暢気な様子に、ギルガは激昂した。
『何をチンタラしている! 物見遊山ではないぞ! ここは戦場だ!』
一番近くにいたクビラ族が、物憂げに応えた。
『言われずともわかっておる。だが、敵は、あの獣人将軍だぞ。かつて、カーンさまの渡河策戦を援けるため、北長城をわが部族だけで襲撃したことがあった。あの時、われらは初めて、真に怖ろしいものを見たのだ。あの獣人の咆哮が、今も耳を離れぬ』
『臆病者め!』
カツンという音が響き、ギルガの半月刀がウォーサイスの柄に食い込んでいた。
喋っている仲間を護るため、他のクビラ族が二人の間に差し込んだのだ。
危うく斬られそうになったクビラ族の男は、呆れたようにギルガを窘めた。
『おいおい、誰彼構わず斬りつけるのは大概にしておけ。確かにメギラ族は軍律違反を取り締まる役目だが、おれは個人の経験を説明しているだけだ』
猶も斬り掛かろうとするギルガを、周囲のクビラ族十人以上が取り囲んだ。
それでも、ギルガの頭だけが周囲のクビラ族よりも一個分高い位置にある。
と、ギルガは不意に半月刀を下ろし、鼻で笑った。
『腰抜けどもには何を言っても無駄かもしれんが、ついさっきまで、おれさまは獣人将軍と剣を交わしていたのだ。意外に弱かったぞ。まあ、トドメは刺せなかったが』
クビラ族たちに動揺が走った。
『嘘を吐くな!』
『獣に変身したら、人間には斃せないぞ!』
『あの姿を思い出しただけで寒気がする』
ギルガはいつものニヤニヤ笑いを浮かべて、口々に恐怖を語るクビラ族たちを見回した。
『少しも怖れる必要などない。獣人将軍は変身しない。いや、できないらしい。だから、最早獣人将軍ではないな。只の人間だ』




