372 ヤナンの乱(10)
メギラ族の族長であるギルガは、並外れた体格をしていた。
しかも、目にも留まらぬ早業で、縦横無尽に半月刀を振るってくる。
ゾイアは、完全に追い詰められていた。
大剣は二本とも手放し、革の胸当てなどの装備も失い、殆ど下帯だけの素っ裸となり、その下帯も血で染まっている。
尤も、ツイムが引き連れて来た国境警備隊を含む援軍によって、戦況は一時的に逆転し、動揺したギルガが攻撃の手を休めたため、ゾイアの身体中の創は消滅しつつあった。
ゾイアはやっと地面から半身を起こしたものの、全く無防備な状態になっている。
一方、味方のメギラ族が逃げ去り、一人取り残された形になったギルガは、ゾイアを道連れにすると宣言し、半月刀を振り下ろしたのである。
と、その刹那、パーンと手を叩くような音が響いた。
「ぬっ!」
ギルガは思わす、驚愕と不審が入り混じったような声を上げていた。
中腰の体勢になったゾイアの頭上で、半月刀が止まっている。
いや、半月刀をゾイアの両方の掌が挟み込んでいるのだ。
そのまま力ずくで押し切ろうと、ギルガの両腕には力瘤が盛り上がっているが、軽く挟んでいるように見えて、ゾイアの掌はピクリとも動かない。
ゾイアは薄く笑顔すら浮かべている。
「全身を斬られまくったお陰で、漸くおぬしの太刀捌きに目が熟れたようだ。まあ、幅の広い刃だから、できたことだがな」
ゾイアは中腰の状態から、太腿の力だけで徐々に立ち上がりつつあった。
掌に挟んだ半月刀もジリジリと上がっていく。
半月刀を全力で押し下げようとしていたギルガがニヤリと笑い、逆にスッと引いた。
同時に、ゾイアはパッと掌を離し、間髪入れず、後方に向かって宙返りした。
その、今迄ゾイアのいた空間を、半月刀が横に薙いでいく。
再度ゾイアが後方に宙返りするのを追うように、ギルガは間合いを詰めつつ半月刀を反転させて斬りつけ、それがもう一度繰り返されたところで、ガキッと金属同士がぶつかり合う音がした。
先程水平に投げた大剣を地面から拾い上げたゾイアが、ギルガの半月刀を受け止めていたのである。
ギリギリと刃を噛み合せながら、今度はゾイアがニヤリと笑い返した。
「おぬしの太刀捌きに目が熟れたと言ったであろう。大剣一本なら、もう振り遅れぬ」
「それは、どうかな?」
その状態で、ギルガは片手だけ半月刀の柄から離し、指先でゾイアの目を突いてきた。
「うっ!」
ゾイアが仰け反ってそれを避けた時には、すかさず間合いを開けられていた。
ギルガの顔から必死さが消え、ニヤニヤ笑いに戻っている。
「おまえ、殺すの、今度にする。さっき、逃げた者たち、戻って来た。しかも、他の部族、一緒」
ゾイアも、周囲の空気が変わったことに気づかざるを得なかった。
あまりに早かったメギラ族の退却は、仲間を集めるためであったらしい。
蛮族軍の独特の鬨の声が聞こえてきた。
この場が両軍の最前線になると見て、ギルガは一対一の対決が続行できないと判断したのであろう。
自分の馬の方に歩きだした。
「待て!」
向こうから仕掛けられた勝負だが、この後ぶつかる両軍の戦力差を考えると、ゾイアはここでギルガを斃しておく必要があった。
馬に乗る前に、ギルガは振り返った。
「また、会おう!」
笑いながら、ギルガはまだ地面に突き刺さったままだったもう一本の大剣を引き抜き、ゾイアに向かって投げつけた。
「くそっ!」
ゾイアが持っている方の大剣でそれを弾いた時には、ギルガは馬に乗って駆け出していた。
それを追おうと、自分も騎乗したゾイアは、前方の様子を見て眉を寄せた。
ギルガは馬で走りながら、戻って来たメギラ族の仲間を次々に斬っているのだ。
「なんと酷いことを!」
ゾイアには聞こえなかったが、ギルガは斬りながらこう言っていた。
『族長のおれさまを置いて逃げるとは、何事だ! 殺してやる!』
決死の形相で、年嵩のメギラ族が一人駆け寄って来た。
『族長! 違うのです! 全部族を呼んで、一気に片を付けるため、進軍の邪魔になる街を焼き払って来たのです! ご覧ください!』
ギルガが向こうを見やると、確かに市街が燃えていた。
『ほう。やるではないか。だが、それならそれで、おれさまに相談しろ!』
一瞬、半月刀が煌めき、年嵩のメギラ族の首が飛んだ。
ギルガはニヤニヤ笑いながら馬首を巡らし、半月刀を突き上げて、全軍に檄を飛ばした。
『者ども奮え! 馬鹿な反逆者どもを皆殺しだ!』
大地がビリビリと震えるような雄叫びが上がり、蛮族軍は一団となって進軍を開始した。
市街地が燃えていることは、すぐにゾイアも気がついた。
「愚かなことをするものだ。あのようなやり方を、バロードの国民が許す訳がない。カルス王は狂ったのか? それとも、蛮族たちの暴走を止められぬのか?」
そのカルスが、父のドーンに実権を奪われ、幽閉されていることは、実行役を務めたガイ族以外、まだ誰にも知られていない。
しかし、ゾイアにも、蛮族軍が市街地を焼く理由はわかった。
後から後から、溢れるように蛮族軍の人馬が増えて来たからだ。
「なんと! 自分たちの行軍をしやすくするためか! 許せん!」
一騎でも飛び出そうとするゾイアの許に、「待ってくれーっ!」と叫びながら駆けて来る者がいた。
「おお、ツイム! ご苦労であった! 随分仲間が増えたようではないか!」
ツイムはゾイアの馬に寄せて自分の馬を停めた。
「ああ、ゾイアの言うとおりだった。国境警備軍に呼び掛けたら、続々と参加してくれたよ。だが、残念ながら、まだ足りない」
ツイムは悔しそうに、前方で益々膨れ上がっている蛮族軍を睨んだ。
全軍が集結して来ているようだ。
ゾイアは、ツイムの視線が自分に戻るのを待って、何故か緊張した面持ちで尋ねた。
「あの言葉、思い出してくれたか?」




