368 ヤナンの乱(6)
ゾイア、ツイム、ロックの三人が、それぞれ千名を連れてその場を離れた後、近くの木陰から黒尽くめの人物がユラリと現れた。
ガイ族の女族長、バドリヌのようであった。
「何か、コソコソ、言ってた。気づかれたのか、わからぬ。まあ、よい。どうせ、皆、蛮族に、殺される」
独特な抑揚で独り言ちると、再びユラユラと姿を消した。
その蛮族軍一万は、ゾイアの想像どおり、隊列が細く長く伸びていた。
中原の中でも比較的古い時代から拓けているバロードは、人口密度も高く、人家が建て込んでいるということもあろう。
しかし、それ以上に大きな原因は、蛮族軍に蔓延している厭戦気分であった。
別の部隊とはいえ西側国境付近で手痛い負けを喫し、全体に士気が下がっている上に、市民暴動の鎮圧という、華やかさも褒賞の可能性もない地道な仕事に廻されたからだ。
そのような中で唯一気を吐いているのは、メギラ族である。
族長のギルガがまだ若く、攻撃的な性格ということもあるが、他の理由もあった。
『獣人将軍は、まだ出て来ないのか?』
ギルガの問い掛けに、仲間たちが怯えたように首を振る。
若い族長の粗暴さは皆知っており、気に入らない報告をしただけで殺された者もいるのだ。
が、今日はそこまで不機嫌ではなく、寧ろニヤリと笑った。
『ちゃんと見張っておけよ。どうせ一番乗りで来るはずだ。『暁の軍団』の砦に乗り込んで来た時みたいにな』
ギルガが言っているのは、ワルテール平原の会戦の前哨戦として、蛮族軍の拠点となっていた『暁の軍団』の砦をゾイアが四千の軍で攻めた時のことである。
巨大な十字弓のような弩で、太くて長い綱が括りつけた銛を正門に打ち込むと、ゾイアはそのロープの上を走って単身砦の内部に乗り込んだのだ。
二千名の蛮族の中に、たった一人で降り立ったゾイアは、獣人化を自在に制御しつつ、大剣を振るって奮戦した。
多勢に無勢どころではない苦戦であったが、砦の留守を任されていたバポロが早々と蛮族を見限って投降したこともあって、ゾイアは辛くも勝利を収めることができた。
結果として手に入れたこの砦が、今はニノフの本拠地となった暁の女神の砦である。
その前哨戦の際に、蛮族側の中核を担っていたのがメギラ族であった。
『あの時、バポロの阿呆が裏切らなければ、負けることはなかった。兄者も獣人将軍に斬り殺されずに済んだだろうな。尤も、そのお陰で、おれさまが族長になれたわけだ。だから、その恩返しがしたいのさ。この半月刀でな』
ギルガが自分の冗談に笑いながら、背中の半月刀を抜いて見せると、横にいた仲間が愛想笑いを浮かべた。
次の瞬間。
ザンッ、という音が聞こえ、愛想笑いをした男は脳天を割られて絶命していた。
『ふん。戦場で笑っていいのは、おれさまだけだ』
そう言うと、ギルガは声を上げて笑った。
その頃、ゾイアの率いる千名の義勇軍は、ヤナンの西側を回り込んで、北側にいる蛮族軍に接近しつつあった。
先行した斥候が戻って来て、騎乗のままゾイアに報告する。
「敵は縦列にて行軍しており、先頭部隊は約二千であります!」
「おお、そうか、ご苦労! 後方に下がって休め!」
「はっ!」
下がって行く斥候には笑顔を見せていたゾイアだが、正面に向き直ると厳しい表情になった。
「二千か。ちと多いな。しかも、混戦になった場合、向こうは更に八千の後詰がいる。初めに大きな打撃を与えて、サッと退くべきだ。が、その最初の一撃を与える力が、今のわれにはない」
ゾイアは迷いを振り切るように大きく頭を振ると、大音声で命じた。
「全員、戦闘態勢にて、われに続け!」
辺りの空気が震えるような「応!」という大きな声が響きわたり、ゾイアを先頭に千騎が駆け出した。
ヤナンがあるバロード東南部と反対の、スカンポ河に程近い西北部の外れにある廃村に、ユラリと黒尽くめの人物が現れた。
バドリヌである。
人気のない廃村の中で、比較的原型を保っている一軒の家の前に来ると、周囲を見回してサッと入った。
埃が積もった床に、新しい足跡が幾つも付いている。
バドリヌが奥の一室に進むと、中には椅子に縛り付けられた金髪碧眼の男がいた。
なんと、バロードの聖王カルスであった。
バドリヌが帰って来たのに気づいてはいるようだが、目は虚ろで、口を半開きにしている。
その顔を見て、バドリヌは「ほう」と言った。
「少し、若く、なったな。あの、薬草、効いた、らしい」
カルスは何度か口を開け閉めして、漸く声を絞り出した。
「余に、何を飲ませた?」
バドリヌは、フフンと鼻で笑った。
「あんた、の親、から、貰った、薬草。飲むと、しばらく、魔道、使えない、らしい。それと、ガイ族に伝わる、薬も、混ぜた。これ飲むと、やる気、無くなる。死ぬ気も」
一瞬、カルスの目に怒りに似たものが浮かび上がりそうになったが、スッと消え、元の虚ろに戻った。




