365 ヤナンの乱(3)
バロードの西側国境付近で戦うニノフを側面から援護すべく、ゾイア率いる義勇軍三千は、南側国境の手前まで進軍していた。
同じ頃、偶々廃都ヤナンで市民の暴動が起きたため、これと呼応してバロードに揺さぶりを掛けようと、ゾイアは準備を始めた。
そこへ、義勇軍を支援している『自由の風』の代表のロムから、一旦引き返すようにと連絡が入った。
既にカルス王が帰国しているらしいとの情報を掴んでいたゾイアは、ニノフが勝利したことを確信し、そのまま引き上げようとした。
ところが、その直後、ヤナンに向かって蛮族軍一万が迫っているとの急報が来たのである。
ゾイアはすぐに、ロムが送ってきていた若い伝令を呼び戻した。
「おお、すまぬ。折り返しロムどのに伝えてくれぬか。詳しい状況はまだ不明だが、ヤナンが危機に陥っている。戻れとの指示ではあるが、われは引き返さず、逆にバロードに攻め込もうと思う。少なくとも、市民たちが逃げる時間を稼いでやらねばならぬからな。とはいえ、これは他国への侵略と見做されかねない行為だ。あくまでも市民を救う義勇軍としての行動であるとの趣旨を、バロードは勿論、中原全体に通達して欲しい、と。よいな?」
「は、はい!」
若い伝令が顔を真っ赤にして駆け出すと、ゾイアは珍しくフーッと吐息を漏らした。
「まあ、バロードがロムどのを懐柔しようと罠を仕掛けたが、蛮族軍が先走って目論見が崩れた、というところであろうな。間に合って良かったが、いずれにしろ厳しい戦いになるだろう」
この時より少し後のことになるが、戻った若い伝令から報告を受けたロムも、カルスに騙されたと激怒した。
抗議文をカルスへ送りつけるとともに、その卑劣なやり口を弾劾する書状を中原の各国に廻したのである。
尤も、カルスに騙す意図などなかった。
その少し前、バロード人の秘書官であるラクトスに命じ、ロムに接触させたのは、なるべく市民に犠牲者を出さず、穏便に暴動を終息させたいと思ったからである。
ところが、予定を早めて帰国した父ドーンが、カルスが連れて戻った蛮族軍一万に出撃を命じたのである。
「何故、さような勝手な真似をされたのですか! 現在の聖王は、余、いえ、わたしなのですぞ!」
ドーンは蛮族の帝王の仮面を外し、色を成して怒る息子のカルスを冷たい目で見返した。
「ほう。ならば、言おう。聖王の務めを果たさぬ者に、聖王を名乗る資格などない。よって、おまえの聖王の地位を剥奪し、蟄居を命ずる!」
「な、何の権利があって」
驚愕する息子に、ドーンは威儀を正して宣言した。
「勿論、初代聖王アルゴドラスとしてだ! バロードの国も聖王の位も、抑々余が創ったのだぞ。そして、滅びかけていたそれを、再興させたのも余だ。バローニャの荘園領主の四男坊に過ぎなかったおまえが、実力だけで王になれたとでも思っておるのか。この戯け者め!」
カルスは唇をきつく噛んで聞いていたが、負けずに言い返した。
「母でもあるあなたが、もう一人の父であるピロス公を誑かし、わたしを産んだことも、わたしを世継ぎにするために腹違いの兄たちを葬ったことも知っています。それが、王として誇れることとでも言うのでしょうか? わたしがそのことに傷つかなかったとでもお思いでしょうか?」
ドーンは、いや、アルゴドラスは、冷笑した。
「何を綺麗ごとを言っておるのか。権謀術数こそ王の王たる能力だ。おまえは、剣術や馬術で国を治められるとでも思っておったのか? あの愚か者のゲールを見るがよい。個人の剣士としては、恐らく史上最強の男であったろうが、余の、というより、ドーラの舌先三寸で丸め込まれたブロシウスめに自死に追い込まれたではないか」
カルスは激しく頭を振った。
「王位を継承するまでは、確かにあなたの力だったかもしれない。だが、実際にこの国を造り、国民に慕われるような統治を行ったのは、わたしと、今は亡き妻だ。その妻を!」
感情が激するあまり、言葉に詰まった息子を見て、アルゴドラスは嘲笑った。
「どうした? 余がおまえの妻を殺したとでも言うのか?」
アルゴドラスの態度で、カルスの疑惑は確信に変わったようだ。
身体が震える程であった怒りは却って鎮まり、水のように澄んだ表情になった。
懐から護身用の短剣を取りを出すと、鞘を振り捨てた。
一方のアルゴドラスは、面白い見世物でも見るような顔をしている。
「ほう。余を刺し殺すつもりか? やれるものなら、やってみよ!」
だが、カルスはクルリと短剣の切っ先を自分に向けた。
「おやじどの、そして、おふくろどの、さらばだ!」
カルスが短剣で自分の胸を突くより、ホンの一瞬だけ早く、アルゴドラスが片手を挙げた。
同時に、カルスの後ろから、フッと息を吐くような音がし、カルスの動きが止まった。
スタスタと歩み寄ったアルゴドラスはカルスの短剣をもぎ取り、床に捨てた。
身動きできない様子のカルスが倒れかかってくるのを抱きとめると、そっと椅子に座らせる。
その首筋に刺さった細く短い矢を、そっと抜き取った。
「やれやれ、いくつになっても手間の掛かるドラ息子よのう。さてさて、初仕事にしては上出来だった。もう出て来てよいぞ!」
すると、奥の暗がりから、全身黒尽くめの人物が現れた。
手に細長い筒を持っている。
「ヤナン、取り戻してくれる、約束、忘れるな」
独特の抑揚で喋る黒尽くめの人物の声は、女のようであった。




