363 ヤナンの乱(1)
凡そ二千年前、アルゴドラスが古代バロード聖王国を建国した際、王都はバロード東南部に位置するヤナンであった。
別名を水の都とも呼ばれる程豊富な水源に恵まれ、中原の中心部にも近く、バロードの中原統一後も首都であり続けた。
しかし、その七百年後の聖王ナルスの時代には、中原全体への支配力も弱まり、各地から押し戻されるようにバロード人が帰国してヤナンに流入し、爆発的に人口が増えた。
同時に水源となっていた川の流れが変わり、深刻な水不足に陥ったのである。
已む無くナルスは、バロード領内でも西北部の端に近いバロンへと遷都した。
歴史上、ナルスは遷都王と呼ばれている。
以来千三百年、ヤナンは廃都となり、住む者もなく放置されてきた。
尤も、それは地上の話。
初代聖王のアルゴドラスの時代に、所謂『ヤナン虜囚』と云われる事件が起きた。
現在のエイサの位置にあった古代都市イサニアに住んでいた主知族が、強制的にヤナンに連れて来られたのである。
ノシス族は弾圧を逃れるため、自ら地下に潜り、いつしか忘れられた存在となった。
実は、遷都の後もノシス族は細々とヤナンの地下神殿で生き延び、赤目族となっていた。
その赤目族も、現在のアルゴドラスの女性形であるドーラに聖剣が渡ったと誤解し、発見される前にとヤナンを去り、今はいない。
一方、ヤナンの地上部分は、共和国総裁時代のカルボン卿の間者を務めていたガイ族によって用水路が引かれ、一時は畑が作られたり、家畜が飼われていたりしていた。
ガイ族は、自然環境が劣悪な中原東南部のガイの里から、ヤナンへの移住を目論んでいたのである。
その後、カルボンの失脚と前後してガイ族は去り、畑などは放置されたままとなっていた。
ところが、最近になって、そこに再び人が住むようになった。
王政復古したバロードの中で、没落した貴族、追放された軍人、商売が上手く行かなくなった商人、王の専制を嫌った知識人、そして、蛮族支配によって職を失った大勢の市民たちである。
かれらは、ガイ族の作った用水路を拡充し、畑を拡げ、家畜も増やした。
最初は隠れるように住んでいたかれらも、人口が千名を超える頃からは、かなり大っぴらに生活するようになり、自ら『ヤナン新市民』と名乗るようになった。
その人口も、アッという間に増え、出入りが多く実態の把握は難しいものの、現在は数千名の規模であり、いずれ一万人を超えるだろうと言われている。
その間、バロード政府が手を拱いていた訳ではない。
再三退去するように命じ、強制排除したこともある。
だが、あまりにも人数が多く、強硬手段を採って追い出すと、大量の国内難民が発生してしまう。
見て見ぬふり、という状況になった。
今回、そこで暴動が起きたのは、ホンの小さな切っ掛けであった。
偶々通りかかった蛮族と新市民の若者が喧嘩となり、それぞれに仲間の応援が駆け付け、忽ち騒ぎが拡大した。
そこへ、普段から蛮族の横暴を快く思っていない一般の新市民も加わり、全市を巻き込む騒動に発展したのである。
暴動といっても、新市民の側には碌な武器もなく、精々投石したり棍棒を振り回したりする程度である。
但し、圧倒的に人数に差があった。
カルスが西側国境付近に集結させた二万の軍は、ほぼ蛮族を中心とした編成であったため、この時点で国内に残っている蛮族は数百名に過ぎない。
勿論、蛮族以外にバロード人の兵士もいるのだが、積極的に関わろうとする者はいなかった。
寧ろ、心情的には暴動に加担したいくらいであろう。
騒ぎが長引く内、南側国境の外側に義勇軍が接近しているとの噂が、敵味方共に囁かれた。その数、三千という。
明らかに、誰かが意図的に情報を流しているのである。
急報を受けたカルスが、一万の兵を率いて戻ったのは、そのような状況下であった。
因みに、タロスによって敗走させられた五千名は、『荒野の兄弟』の砦を兵糧攻めしている父ドーンが包囲を解き次第、拾って戻る手筈になっている。
一先ずバロンの聖王宮に帰ったカルスは、旅装を解いて長衣に着替え、暴動の詳細を報告するよう命じた。
「かなりの数、ロムの同調者が混じっているようだな」
執務室で蛮族の役人の報告を聞いたカルスは、反政府組織『自由の風』の代表の名を憎々しげに述べた。
「皆殺しにするか?」
蛮族の役人にさらりと言われ、思わずカルスはその刺青だらけの顔をギョッとしたように見返した。
「馬鹿なことを言うな。余の国民だぞ。少々逆らったからとて、いきなり殺せる訳がなかろう。先ずは身柄を拘束して」
その時、礼儀を弁えているバロード人なら決してしないであろうことが起きた。
王の発言の途中であるにも拘わらず、蛮族の役人は片手を挙げてそれを止めたのである。
「ドーンさまの、言うとおり。バロードに戻ってから、王さま、弱くなった。もう、蛮族の帝王、ない」
次の瞬間、目にも止まらぬ速さでカルスの護身用の短剣が鞘から抜かれ、蛮族の役人の鼻先に突き付けられていた。
「もし、もう一度同じような言葉を吐いたら、おまえの生命がないものと思え」
相手は更に何か言い返そうとしたが、剣先が鼻の皮膚に突き刺さり、プクリと血の玉ができると、肩を竦めて部屋を出て行った。
閉まった扉に短剣を投げつけたカルスは、怒りではなく、哀しみの表情に変わっていた。




