35 名も無き闘士
顔に貼り付いた面を取ろうと必死で藻掻くウルスの横から、店主の老人が「心配することはない。よく見なされ。今まで見えなかったものが見えるはずじゃ。ダフィネの面は、別名を『真実の面』というのじゃ」と囁いた。
ウルスは一生懸命に気を静め、見ることに集中した。
面自体には穴も何も開いていないため、最初は真っ暗闇だった。
ところが、ぼんやりと何かが見えて来た。
「こ、これは」
……闘士のような体格の男が、月光に照らされて立っていた。
突然追われる身になったのか、平服のままだ。
血塗られた抜身の剣を片手に、もう片方の手で幼い少年の肩を抱き寄せていた。
二人とも銀色に近い金髪で、同じ深いコバルトブルーの瞳をしていた……
「タ、タロス!」
勿論、ウルスの叫び声はタロスに届かない。これは過去の出来事なのだと、ウルスにもわかってきた。
……タロスは、剣の切っ先を過去のウルスに向けた。
「裏切り者のきさまたちに王子さまを渡すぐらいなら、この場で主従ともども命を絶つのみ!」
過去のウルスも覚悟を決めたように、目を瞑った。
と、突如天の一角に、月をも欺くほどの眩い光が現れ、轟音とともに真っ直ぐタロスに向かって落ちて来た。
避けようもなく、物凄い衝撃と共に、タロスの身体は河まで吹き飛ばされ、盛大に水飛沫を上げて水中に没した……
ここまでは、ウルスが見たことのある出来事だったが、その先があった。
……水中に落ちたタロスの身体は、ゆっくりと沈みながら光を放っていた。
その光を嫌うのか、周辺のザリガニたちが我先に逃げて行く。
と、光るタロスの身体から、光だけが離れ、水中で丸まって球形になった。
その光の球体に、ツーッと縦に線が入って二つに割れ、今度はツーッと横に線が走って四つとなり、後は目まぐるしいほど細かく分裂して行った。
同時に全体が大きくなり、前後に伸びて次第に人型になってきた。
そこに現れたのは、タロスの姿をそっくりそのまま写し取ったかのような人間の姿であった。
河底に背中が着く寸前、パチリと目が開き、身体を垂直に立てた。
そこで河底を蹴ると、凄まじい勢いで水中から飛び出して行った。
一方、光が離れたタロスの身体は河に流されながら、少しずつ浮き上がり、ついに水面から顔を出した。
途端にタロスはゲホゲホと咳き込み、それでも必死に泳いで河岸に辿り着いた。
そこで力尽きたらしく、その場に倒れ込んで気を失った……
景色が徐々に薄れていき、再び暗闇となった。
「……タロスが生きている、かもしれない」
ウルスがそう呟いた時、スーッと仮面が外れた。
「如何じゃったかな?」
「あ、はい、驚きました。でも、今見たことは本当でしょうか?」
老人は苦笑した。
「おまえさんが何を見たのか、わしにはわからんよ。じゃが、先程言ったとおり、昔からそのように言われておる」
頷いたウルスは、ハッと何かを思い出したように叫んだ。
「いけない、もう戻らなきゃ!」
「おお、そうか。気をつけてな」
「ありがとうございます!」
店を出ると、ウルスは駆け出した。
同じ頃、湊より少し内陸にある石造りの砦で、長剣を左右に振るって剣術の鍛錬をしている男がいた。
闘士のような立派な体格で、銀色に近い金髪である。
深いコバルトブルーの瞳をしていた。
そこは砦の中の練習場所らしく、怪我をせぬよう、柔らかい土が敷き詰められていた。
「精が出るな、名無し」
そう言いながら近づいてきたのは、片目に黒い眼帯をした髭面の痩せた男だった。
名無しと呼ばれた男は、嬉しそうに笑った。
「おお、これはお首領どの。今日の首尾は如何だった?」
「まあまあだな。結構抵抗されたから、財宝全部は奪えなかった。おめえさえ協力してくれりゃあ、楽勝なのによ。まだ、おれたちの仲間になる気はないのか?」
名無しは頭を下げた。
「すまぬ。これ程世話になって置きながら申し訳ないが、記憶が戻らぬ以上、それはできぬ」
「やっぱり、襲う相手が自分の主かもしれぬ、という心配か? それなら、おれたち『荒野の兄弟』がすでに襲ってるかもしれないぜ」
ここは野盗の砦であり、眼帯の男は首領のルキッフであったのだ。
ルキッフの残酷な言葉に、名無しと呼ばれた男は悲しげに頭を振った。
「胸は痛むが、それもまた運命。だが、わが手にかけることだけは、何としても避けたい」
「そうか。しかし、自分に主がいたことは思い出しても、それ以外は忘れたとは、スカンポ河で溺れる前に、余程の目に遭ったんだな。だが、おれの闘士になるのは、構わないのだろう?」
「ああ、それは無論。わが主人が闘士であるとは考えられぬ。相手が闘士であれば、全力で斃してみせよう」
「いいねえ。実は、どうしてもやっつけたい相手がいるんだ。まあ、専門の闘士じゃないが、ある意味、闘士以上に手強いぜ」
「ほう、それは何故だ?」
ルキッフはニヤリと笑った。
「そいつはなんと、怪我をすると獣に変身しちまうんだぜ!」




