349 一時停止
北方の空に浮かんだ巨大なタンリンの顔が消えたことは、これを監視している者たちにも、ほぼ同時に伝わった。
「第一発言者、立体虚像が消えました!」
エイサの直下にある古代神殿では、本殿に現れたタンリンの虚像から読み取った危機に対処するべく、第一発言者と呼ばれる赤目族の長が、客人のところへ行くと言って移動している途中であった。
神官が着るような長衣を身に纏い、薄い板のようなものを小脇に抱え、少し浮身して進んでいたが、空中浮遊して振り返った。
「おお、そうか。ならば一層早めに対応せねば」
だが、同じ服装の赤目族は、追いかけて来ながら首を振った。
「消えたのは虚像だけではありません! 禁止領域での非位相者の活動も停止しております!」
「何っ!」
第一発言者は、急いで薄い板のようなものを見た。
「うーむ、確かに止まっているが、これは」
「誰かが中和したのでしょうか?」
「いや。こんなに短時間では無理だ。一時停止させただけだな」
「何故そんな迂遠なことを。干渉機は使わなかったのでしょうか?」
「いや。たとえ一時停止であろうと、干渉機なしでは不可能だ。恐らく、奪われることを懼れたのであろう」
追いかけて来た方の赤目族は、納得したように頷いた。
「それは、アルゴドラスに、でございますね」
「ああ。今はアルゴドーラの方かもしれんがな。現在、干渉機は長命族の男が持っているはず。実際に操作したのはアルゴドーラの孫のどちらかだろうが、奪われる可能性をギリギリまで低く抑えるため、一時停止に留めたのかもしれん。危うい判断だな。どちらが正しいのか、変数を入れ替えて再計算する必要がある。こうしてはおれん。早急に未来予測班に調べさせよう」
そのまま戻ろうとする第一発言者に、逆に、呼び止めた方の赤目族が心配して尋ねた。
「客人には、もう会われなくてよいのですか?」
第一発言者はホバリングして少し考えたが、首を振った。
「なるべくなら、余計な情報を与えたくない。本人なら或る程度構わんが、連れの者にはな」
「わかりました。それでは至急、再計算を始めさせます」
赤目族に名前を出されたドーラも、すぐに気がついた。
「むうっ、止まったぞ!」
「何が、でございますか?」
聞いたのは無論、息子のカルスである。
二人ともまだ聖王宮のカルスの執務室の中にいる。
「決まっておろう! 穴から出て来ようとしていたものじゃ」
苛立つドーラよりも、カルスの方が大きな衝撃を受けたようであった。
「それは、つまり、聖剣が使われた、ということでございますね?」
ドーラは不機嫌そのものの顔で「で、あろうのう」と答えた。
「おふくろどの! それは好機ではござりませぬか。すぐに後を追いましょう!」
だが、ドーラは嫌そうに首を振った。
「あのジジイ、航跡を追われないよう、一時停止のみ施して、トンズラしおった。ウルスラが協力したのは間違いなかろうが」
「そんな! キチンと中和せずに、一時停止だけとは」
ドーラは、自嘲気味に笑った。
「ふん。あやつめ、白魔よりも、わたしの方が中原にとって危険な存在と判断したらしい。ふざけおって」
話の内容よりも、ドゥルブの名が出たことにカルスは動揺し、指で魔除けの仕草をした。
「その名を口にされるのは、如何でしょう?」
「一時停止と申したであろう。今なら何を言っても構わん」
多少はホッとしたようなカルスだったが、やはり不安は拭えないのか、またドーラに聞いた。
「一時停止で、どれくらい保つものでしょうか?」
ドーラは真面目な顔になって、少し考えた。
「わたしにも、ハッキリしたことはわからぬさ。まあ、精々三年であろう。尤も、それは最大限に見積っての話。処置が甘ければ、明日にでもまた動き出すかもしれぬ」
「確かめましょうか?」
最近は息子に遠慮するところも見えるドーラだったが、この時は怒鳴りつけた。
「阿呆! そんなことをすれば、今回禁区入った馬鹿者と同じことよ。寝た子を起こすことになる」
カルスは多少ムッとした顔になったが、「それは、失礼いたしました」と母に詫びた。
ドーラも言い過ぎたと思ったらしく、頭を下げた。
「ああ、いや、こちらこそすまぬ。仮にも聖王陛下に無礼なことを申した。許してくりゃれ。それもこれも、自分の愚かさを思い出したからじゃ。二千年前、ドゥルブを起動してしまったのは、何を隠そう、他ならぬこのわたしなのだから」
カルスは自分の不機嫌さも忘れ、思わず叫んだ。
「まさか!」
ドーラは目を半眼に閉じ、深く長く息を吐き、徐々に筋肉質の男の身体に変わった。
「余も、いずれおまえだけには伝えて置くつもりであった。好い機会かもしれん」
「おお、おやじどの。二千年前というと、バロード建国当時ですね。その頃にはまだ、ドゥ、うむ、ドゥルブが出現する前ではございませんか? 確か、最初は千五百年前、マルス聖王の時と聞いておりますが」
「いや。二千年前が最初なのだ。ちょうど聖剣を持っておったから、影響が出る前にすぐに処置をした。完全に消滅させることはできず、中和するのが精一杯であった。まあ、さすがに永久にその状態を保てると思わなかったが、数千年は大丈夫と信じておった。それが五百年しか効き目がないなど、知る由もなかったのだ」




