348 ドーラに追われる男
義勇軍を募るべく、ゾイア・ロック・ツイム・ギータの四名は手分けして周辺の自由都市の説得に向かい、サイカに残らざるを得なかったライナも多忙のため、体調を崩して微熱を出したウルスだけが、一人でライナの屋敷にいた。
急に部屋の外の生活音が聞こえなくなり、コツ、コツと杖をつく音がしたため、ウルスと表面人格を交替していたウルスラは、すぐにサンジェルマヌスの潜時術だと気づいた。
閉まったままの扉を通り抜け、枯れ木のように痩せたサンジェルマヌスが姿を見せた。
珍しく顔が蒼褪めている。
「すまぬ。緊急事態じゃ」
久しぶりに寛いでいたウルスラの顔が曇った。
「まあ、どうなさったんですの? また、お父上かお祖母さまが、酷いことをしようとしているのですか?」
話し掛けられて少し気持ちが落ち着いたのか、サンジェルマヌスはウルスラが腰掛けている寝台の横の丸椅子を指して、「座ってもよいか?」とウルスラに聞いた。
「勿論ですとも。随分お疲れのようですね」
緊迫した状況なのだろうが、サンジェルマヌスは、フッと自嘲するように微笑んだ。
「わしは今や『ドーラに追われる男』じゃよ。ずっと時の狭間に潜っておれば安全なんじゃが、そうもいかんのでな。航跡を辿られないよう慎重に移動しているが、気の休まる時がないわい」
それ以上話が横道に逸れぬようにだろう、ウルスラは質問を重ねた。
「それで、何があったんですの?」
「おお、そうじゃった。今回のことは、直接ドーラもおまえの父も関係してはおらん。いや、そうでもないか。間接的な原因とはなったかもしれん。ああ、いかんいかん、逃亡生活が長いから、偶に人に会うとついお喋りになる。すまんな。緊急事態とは、五百年周期で北方に現れるという、あれじゃ」
「あれとは、ドゥ、あ、すみません」
「ああ、よいよい。わしもつい『あれ』などと言ったが、ここは時の狭間じゃ。差し障りはない。そうとも、白魔のことじゃ。ついに動き出したようだ」
ウルスラの顔色が変わった。
「まあ、どうしましょう! 辺境のアーロンさまやマリシ将軍は、大丈夫でしょうか?」
サンジェルマヌスは悲しげに、ゆっくり首を振った。
「いや、危なかろう。ドゥルブの影響はいずれ無人となった北長城を越え、辺境全体にまで拡がるのは時間の問題であろう。これに抵抗する蛮族も最早おらんしの。これはかつてなかった災厄なのじゃ。早急に中和する必要がある」
「中和?」
言葉に違和感があって、ウルスラは思わず聞き返したが、すぐに「ごめんなさい、お話を遮って」と謝った。
サンジェルマヌスは、また少しだけ微笑んだ。
「おお、よいよい。わしの説明が足らなんだ。禁忌とされておる故に、ドゥルブについてはわからないことだらけじゃが、わかっておることの一つは、それが不死の存在だということだ」
「ええっ! では、やっつける方法はないのですか?」
「うむ。ドゥルブとは、抑々わしらの知るような生命は持っておらぬ。従って殺す方法はないのじゃよ。逆に、ドゥルブが他の生き物を直接殺すこともないがのう」
「え? それじゃ、どうして?」
「何が危険なのかと思うじゃろうな。ドゥルブは、存在するだけで瘴気を発生させておる。瘴気が北方および辺境で死んだ人間が腐死者化する原因であることは知っておろう。特に北方では瘴気が濃いため、昼間でもンザビがウロウロしておるわい。その発生源であるドゥルブが活発化すれば瘴気の量も増え、更に移動すれば、影響が拡がる。そこで中和して、活動を停止させるしかないんじゃ」
「中和、できるのですか?」
サンジェルマヌスは黙って頷き、懐から細長い革袋を取り出した。
「これを使うのじゃ」
「まあ、それは『アルゴドラスの聖剣』でございますね」
「うむ。その呼び名は後世の人間が付けたものじゃ。主知族は干渉機と呼んでおった。これを、千五百年前にドゥルブが活性化した際には時の聖王マルスが使い、千年前には最後の聖王ボルスが使ったという。五百年前には既に聖王国は滅んでおり、被害も大きかったようじゃが、結局、中和されたところをみると、恐らく時渡りをしたアルゴドラスが、複製である『アルゴドーラの魔剣』の方を使ったのであろうな。じゃが、その魔剣はもうないからのう」
サンジェルマヌスに命じられ、魔剣を消滅させたウルスラが頷いた。
「そうでしたわ。それでは、わたしが聖剣で中和すればよいのですね」
だが、サンジェルマヌスは苦悩の表情を浮かべた。
「それが、そう簡単にいかぬ。中和するには、ある程度ドゥルブに近づく必要もあるし、終了まで時間もかかる。つまり、途中で必ずドーラに気づかれるんじゃ」
「それは、そうかもしれませんが、お祖母さまも、そこは分別してくださると思いますわ。放っておけば、中原まで影響があるでしょうから」
サンジェルマヌスは悲しそうに首を振った。
「そうであって欲しい。が、そうであっても、その後、聖剣を奪われることになろう。おまえには気の毒じゃが、今のドーラに聖剣を渡すのは、ドゥルブと同じくらい危険じゃ」
ウルスラは否定しようと口を開きかけたが、サンジェルマヌスと同様に悲しそうに目を伏せた。
「そうですね。でも、それでは、わたしはどうすればよいのでしょう?」
「応急処置をするしかない」
「応急処置?」
「ああ。少なくとも、辺境に住む人々が中原に逃げる時間を稼がねばならんからな。今から一瞬だけ、潜時術を解除する。北方の上空に座標を設定してあるから、おまえは直ちに跳躍し、聖剣でドゥルブの活動を一時停止するように命じてくれ。それだけならそんなに時間はかからぬ。直後にここへ戻り、時の狭間で聖剣を返してくれればよい。受け取ったら、わしはすぐに逃亡する。但し、途中少しでも間が開けば、ドーラに航跡を追われる虞がある。申し訳ないが、全ての指示を、わしの暗示によっておまえの識閾下に送る。終われば、おまえは何も覚えておらぬ。それでも、よいか?」
ウルスラは、「はい」とのみ答えた。
北方の空に浮かぶタンリンの顔が消えたのは、その直後であった。




