347 凶兆(2)
北方の空に起きた異変は、別の場所にも影響を齎していた。
「第一発言者、大変でございます! 本殿の立体虚像をご覧くださいっ!」
ここはエイサの直下にある古代神殿である。
神官が着るような長衣を身に纏い、髪の毛も体毛も無い赤目族が、前を進む同じ姿の人物を呼び止めた。
二人とも少し浮身している。
呼び止められた方の赤目族は、薄い板のようなものを持っており、そちらにチラリと目をやってから、静かに応えた。
「大きな声を出すでない。客人に気づかれるぞ」
呼び止めた赤目族は頭を下げ、押し殺した声で囁いた。
「失礼いたしました。しかし、いつ消えるかわかりませぬ。とにかく、お確かめを」
「うむ、そうしよう」
二人はそのまま空中に浮かび、本殿に向かって飛んだ。
本殿の巨大な両開きの扉は少し開いており、第一発言者と呼ばれている赤目族が、先にその隙間からスルリと中に入った。
「これは!」
そこには巨大な人間の頭部が浮いていた。
鍔広の帽子を被った、目つきの鋭いマオール人の顔である。
第一発言者を呼んだもう一人も中に入り、「この顔には、見覚えがございますね」と言った。
「ああ。タンリンとか申す東方魔道師だな。しかし、何故ここに虚像が?」
「射影元の座標は、禁止領域でございます」
「それはいかん! 非位相者と接触してしまったのか!」
ほぼ同じ時刻のクルム城。
北方の空に浮かんでいるタンリンの顔の方が、地下神殿本殿のホログラムよりずっと大きいのだが、当然のことながらやや平面的に見えている。
それが喋っていると聞いて、辺境伯アーロン、マーサ姫、そして、少し遅れてマリシ将軍の三人は、北向きの部屋に走った。
先に到着したアーロンは、身を乗り出すようにして窓の外を見た。
タンリンの目は虚ろであったが、確かに口が動いており、言葉が発せられていた。
「……ユラムーリン、クゲナールン、コループトゥ、サルクスール、……」
アーロンが悔しそうに顔を顰めた。
「くそう、マオール語か」
追いついて隣に来たマーサが、「父なら、多少わかると思います」と告げた。
「若い頃はよく沿海諸国に行っておりましたが、その当時、東廻り航路でポツポツ来始めていたマオール人に習ったそうです」
息を切らしながらマリシが来ると、タンリンの言葉に耳を傾けた。
「うーむ、確かにマオール語のようですが、日常では使わないような難しい言葉ばかりで、断片的にしかわかりませぬ。が、大意としては警告のようでございまする」
「警告? 何の警告だ?」
アーロンに聞かれて、マリシは悲しそうに首を振った。
「内容まではとても」
だが、古代神殿では、第一発言者がホログラムのタンリンの顔に向かって「自動翻訳せよ」と命じていた。
「……次元淵偏差、時間流異常、汚染域拡大、全惑星浄化……」
第一発言者の顔色が変わった。
「まずいな。浄化活動を始めようとしている。それも惑星規模だ。早急に中和する必要があるぞ。ああ、干渉機さえあれば!」
「如何しましょう?」
目を瞑って考えていた第一発言者は、ハッとしたように目を開けて薄い板を見た。
「客人が以前に長命族と接触したと言っていた。頼んでみよう」
北方の空に浮かぶタンリンの巨大な顔は、現れた時と同様、突如として消滅した。
「消えたぞ!」
アーロンの叫びだけが虚しく響く。
考え込んでいたマリシは決心したように頷き、片膝をついてアーロンに言上した。
「アーロン閣下。詳細まではわかりませぬが、危機が迫っておることだけは間違いござりません。領民を連れて渡河いたしましょう」
若いアーロンは悔しそうに空を睨んだ。
「そう、か。北方の脅威からわれらを護り続けてくれた将軍がそう言われるのであれば、今回のことは余程の災厄の前触れであろう。わかった。明日より通達を回し、準備のできたものから渡河させよう。おお、そうか、先にニノフ殿下にお知らせせねばな。マーサ姫、行ってくれるか?」
マーサは、利き腕を後ろに廻し、臣下の礼をした。
「はっ! この目で見たことを残らずお伝えしますわ。ニノフ殿下には勿論、ケロニウス老師にも」
その少し前。
商人の都サイカでは、夕餉を終えたばかりのウルスが自室で寛いでいた。
昼の内に、どうしてもサイカを空けられないライナ以外、ゾイアたちは手分けして各自由都市へ義勇軍を募るため全員外出していた。
ウルスも行きたいと言ったのだが、ここ数日の無理のせいか微熱があり、大人たちからライナの屋敷で休むように説得されたのであった。
「義勇軍が上手くいくといいね」
寝台に腰掛けてそう呟くと、カクンと顔が上下し、瞳の色が変わった。
「そうね。ニノフ兄さまを助けてあげないと。あら?」
ウルスラは首を傾げ、周りを見回した。
室内の様子に変わりはなかったが、先程まで聞こえていた生活音が消え、シンと静まり返っている。
と、遠くの方から、コツ、コツと杖をつく音が近づいて来た。
「まあ、サンジェルマヌスさまが来られるみたいよ」
閉まったままの扉をすり抜け、枯れ木のように痩せた老人が姿を現した。
ウルスラの言うとおりサンジェルマヌスであったが、珍しく顔が蒼褪めている。
「すまぬ。緊急事態じゃ」




