345 義勇軍(2)
アルアリ大湿原とその南のスーサス山脈によって中原から隔てられた沿海諸国は、中原の千年の争乱の影響も少なく、別天地として繁栄を謳歌してきた。
追っても追っても寄って来る煩い蠅のような海賊に悩まされてはいたが、諸国間の協力で事無きを得ていた。
それが大きく変わったのは、ガルマニア帝国の進出、というより、その背後から迫って来ている暗黒帝国マオールからの圧迫である。
基本的に海軍を持たない中原の国々と違って、その宏大な領土が東の大海に面しているマオールは、巨大な軍艦を何十隻も保有し、周辺の島々などを実効支配しているという。
その海軍力を背景に、近年になって東廻り航路を独占し、中原に大きな影響力を持つようになった。
就中、ガルマニア帝国は宰相のチャドスを始め、国家の枢要な地位をマオール人が占め、恰も属国のような状態になり果てている。
それだけならば、謂わば対岸の火事で済んだであろうが、マオールは沿海諸国にも食指を動かしつつあり、様々な形で圧力を掛けてきている。
同様に、沿海諸国南岸の多島海を根城にする海賊たちもマオールに東廻り航路を独占されて奴隷貿易を強要され、断ると高率の通行税を掛けられた。
そこで、長年の確執を一旦棚上げして沿海諸国と海賊が手を結び、共にマオールの外圧を跳ね返そうということになった。
そんな中、ガルマニア帝国の廃太子ゲーリッヒが同盟を申し込んできた。
それも、軍艦を一隻くれというのである。
これを快諾したスーラ大公は、森の民出身のゲーリッヒのために、船長も用意すると伝え、今日再び大公宮にゲーリッヒを呼び出した。
例によって、ゲーリッヒがボサボサの赤い髪を一纏めに縛り、動物の毛皮を繋いだ珍妙な服を着て行くと、そこには先客が待っていた。
日に焼けた浅黒い顔をして、長い黒髪を後ろで一つに縛った若い娘である。
海賊『ラカム水軍』の女首領、ミラであった。
ミラはゲーリッヒを見るなり、スーラ大公とその横にいる海軍提督ファイムに向かって吠えた。
「なんで、あたいが、こんな森の赤毛猿みたいなやつに、操船を教えなきゃなんないんだよ!」
ゲーリッヒは、思わずニヤニヤと白い歯を見せて笑ってしまった。
「そういうおめえは、波間に漂う椰子の実みてえだがな」
ミラが喰いつきそうな顔で睨んだが、人のいいスーラ大公が止めに入った。
「これこれ、よさぬか。最初から仲間割れしてもらっては困る。これから共にマオールと戦うのだぞ。おお、そうだ。ゲーリッヒどの、この娘はミラといってな、おまえに船のことを色々と教えてもらうために余が呼んだのだ」
ミラは地団駄を踏んで、スーラ大公の言葉を遮った。
「冗談じゃない、あたいは『ラカム水軍』の女首領なんだよ! そんな暇なんかないよ!」
見かねたファイムが、「これっ、御前であるぞ」と窘めた。
だが、大公は「よいよい」と笑顔を崩さず、もう一度ミラの説得を試みた。
「忙しいとは思うが、これは大事な仕事だ。相手はあのマオールなのだぞ。孤立しては勝てぬ。態々おまえに頼むのは、揺るがない協力関係を築くためだ。承知してくれぬか?」
唇を噛むミラの代わりに、ゲーリッヒが答えた。
「おれはいいぜ。目的のためなら手段を選ばないのが森の民の流儀でな。どんなじゃじゃ馬が先生だろうと構わねえよ。但し、船を操る腕前は確かなんだろうな?」
ミラの顔が怒りと恥辱で真っ赤になった。
「いいとも、引き受けてやるさ! その代わり、途中で勘弁してくれって言われても、容赦しないよ! あんたに海の怖さってものを教えてやる!」
笑って「ああ、わかってるさ」と安請け合いするゲーリッヒを、海の男であるファイムは、少し気の毒そうに、そして、少し面白そうに見ている。
その辺りの機微がわからぬスーラ大公だけが、上機嫌で頷いた。
「決まりだな。うむ、そうだ。これはもう連合警備船団の枠組みではないな。よし、『海の義勇軍』としよう。よいな!」
ファイムだけが「ははーっ」と頭を下げる中、ミラとゲーリッヒは、まだ睨み合っていた。
その頃、中原を挟んで沿海諸国とは対極の西北に位置する辺境では、ある異変に人々が慄いていた。
「父上、今日も一段と極光が見事ですわ」
クルム城の北向きの部屋で、夕暮れの窓の外を見ながらそう言ったのはマーサ姫である。
さすがに真っ赤な甲冑は脱ぎ、ゆったりした部屋着を身に着けている。
但し、スカートではなく、ズボンを穿いていた。
「そうか。だが、別に見たくはないのう」
寝台に横たわったままそう返事をしたのは、父のマリシ将軍である。
腐死者に噛まれた片腕を自ら斬り落としたマリシは、創こそ癒えたものの第一線からは退き、クルム城で隠居生活を送っている。
それでも、自分が半生を過ごした北長城を懐かしみ、城主のアーロン辺境伯に頼んで北向きの部屋にしてもらったのである。
「日中に見えるオーロラは凶兆だと、ケロニウス老師も言っておったではないか」
マリシに言われて、マーサも苦笑した。
「ええ。城の者たちも、みんな怯えていますわ。でも、綺麗なのよ。わらわの瞳のように緑色で」
そう言って外を振り返ったマーサが、突如叫んだ。
「あああっ、あれは何者!」
そろそろ日没近い暗い空を覆うように、異様なものが浮かんでいた。
それは、鍔広の帽子を被り、目つきの鋭いマオール人の巨大な顔であった。




