342 ありのままに
話を聞き終わったギータは、ポンポンとゾイアの背中を叩き、何故か嬉しそうに微笑んだ。
「おぬしも漸く一人前じゃなあ。いや、物心がついて一年ということは、智慧熱のようなものかのう」
「智慧熱?」
「おお、そうさ。赤ん坊が一歳になる頃、原因不明の熱が出る。地方によって色々言い伝えがあるようだが、わしらのところでは、赤ん坊に智慧がついて熱が出るのだと云われておる」
さすがにゾイアは不満そうな顔をした。
「われの悩みは、赤ん坊のようなものか」
ギータはまた笑いそうになり、ツルリと自分の皺だらけの顔を撫でた。
「気に障ったのなら許せ。悪気で言ったのではない。おぬしも人間らしくなったと思って、つい燥いでしまったんじゃ」
「人間、らしく、か」
戸惑うゾイアに、ギータはまた微笑んだ。
「悩んだところでどうにもならないことで悩むのが人間さね。まあ、尤も、『自分が何故自分なのか』は難問中の難問じゃがのう」
「そう、なのか?」
「ああ、そうとも。おぬしのような特殊な場合に限らず、わしもツイムもウルスも、どんな人間であれ、或いは、どんな種族であれ、悩みは同じさ。自分が何故、他の誰でもない自分なのか。何故、今のこの時代に生を受けたのか。全ては偶然なのか、逆に全ては必然なのか。この世の全ての出来事に意味はあるのか、ないのか。悩みは尽きぬし、解決もしないさ」
ゾイアは縋るようにギータを見た。
「ならば、どうすればよい?」
「あるがままで好い、とわしは思う。おぬしが一年分の記憶しかないのなら、それを大切にすることだ。それ以外におぬしの在り様はないし、わしとても同じことじゃ。年月に長短はあってもな」
「し、しかし、この身体も記憶もタロスどのからの借り物で」
ギータは笑顔のまま首を振った。
「見かけはそうかもしれん。じゃが、わしもタロスと話してよくわかった。おぬしたちは別人じゃよ。性格も全然違う。おぬしはおぬし、タロスはタロスじゃ」
ゾイアは悲しそうな顔になった。
「そうだとしても、われは本物の人間ではあるまい」
「いいや、おぬしは人間だ。多少特殊ではあるが、人間だ。わしが保証する。逆に、人間の姿形はしていても、人でなしは山ほどおるわい」
「そう、だと、いいが」
その時二人の背後から、「そうだよ」「そうですとも」という声がした。
二人が夢中で話していたため声が大きくなり、ウルスとツイムも起きてきたのであった。
「ぼくらも保証するよ。ゾイアは立派な人間だよ」
「ああ、おれも北方警備軍の仲間に聞きましたよ。みんな、ゾイア将軍を尊敬しています。そして、とても好いていますよ」
ゾイアがこの世界に出現して以来、初めてその目に涙が溢れた。
その夜、久しぶりにぐっすり眠れたゾイアと違い、ドーラによって北方に転送された東方魔道師のタンリンは、一晩中飛び続けた。
帰りのことを考え、空中に中継点となる座標を設定しながら飛んでいるため、余計に時間がかかっている。
「思ったより遠いな。夜が明けてしまうぞ」
自分の意思ではなかったとは云え、せっかく北方に来たのだから、彼方に見えた極光の下まで行ってみようと思い立ったのだが、想像以上に遠く、タンリンの表情には次第に焦りの色が濃くなっている。
一つには、耐えがたい寒さのせいでもあった。
周囲は既に真っ白な雪と氷の世界であり、当然、水も食料も持っていないタンリンは、少なくとも元の場所に戻るくらいの体力を残して置かなければ、すぐに遭難してしまう。
いや、元の場所とて、腐死者の巣窟だから、戻っても空中浮遊できなければ、忽ち餌食にされてしまうだろう。
「もう諦めて、戻った方がいいかもしれん」
タンリンの飛行速度がみるみる遅くなり、ついに停止してしまった。
その時、東のベルギス大山脈に朝日が射し初めた。
「ついに夜が明けたか。已むを得ん」
タンリンがマントを翻して引き返そうとした刹那、朝日に照らされて、北の方で何かがキラリと光った。
雪や氷ではない。
金属のようだが、燻んだ紅色をしている。
「何だろう? 気になるな。ええい、ここまで来たのだ。行ってみよう!」
自分を鼓舞するように、そう独り言ちると、タンリンは飛行を速め、その金属光沢のものの方へ向かった。
「そろそろ下は北の大海になっているはずだが、雪と氷で区別がつかんな」
不安からか、タンリンは思ったことを全て声に出している。
「おっ、見えて来たぞ。丸いな」
遥かな先に漸く一部分が見えて来た。
やはり、変わった色の金属で、明らかに人工物である。
周囲に比較するものがないためよくわからないが、相当大きなもののようだ。
その大きさは、近づくにつれてハッキリして来た。
「こ、こいつぁ、とんでもなくデカいな!」
タンリンが思わず大きな声を出してしまう程、それは巨大であった。
「ゲオグストの皇帝宮の何倍、いや、何十倍か。いっそ、ゲオグストそのものぐらいあるかもしれんぞ!」
それは、凍った海に斜めに突き刺さった、超巨大な円盤状の物体であった。




