339 幽霊の正体見たり
軍師ブロシウスの亡霊が出たらしいとの噂は、忽ち皇帝宮の中を駆け巡った。
噂の発信源は、なんと皇帝ゲルカッツェ自身である。
ドーラがドランの姿となってゲオグストに戻って来た時には、宮中が正にその噂で持ち切りの状態であった。
「阿呆め! 自らこの様な噂を弘めるとは、どこまで考えなしじゃ!」
せめて、やんわり叱ってやろうと、ドランとしてゲルカッツェと二人きりで話をしたドーラは、自分が身代わりに残した幻影をその亡霊が指摘したと聞いて、ギクリとした。
「ねえ、ゲンエイってどういうこと? おまえは覚えてないの?」
甘ったれて聞くゲルカッツェを適当に往なしながら、ドーラの心中は穏やかでなかった。
一々宥めるのが面倒になり、眠り薬の入った飴を舐めさせてゲルカッツェを静かにさせると、改めて亡霊が出たという部屋へ行って、中を調べた。
ドーラは、一通り室内を見回すと、首を捻って独り言ちた。
「うーむ。残留思念もないか。と、なると、亡霊ではないのう。むっ!」
と、急に後ろ向きに宙返りし、部屋の壁を背にする。
同時に、カッカッカッと音がして、今までドーラが立っていた位置の床に何本も刀子が突き刺さった。
「何奴!」
ドーラが誰何すると、含み笑いが聞こえ、反対側の壁からゆらりと長身の黒い影が出現した。
丈の長いマントを羽織り、鍔広の帽子を被った、目つきの鋭い男である。
「それは、こちらの科白だな、お嬢ちゃん。いや、先程の見事な蜻蛉返りを見ると、見た目とは違って手練れの者であろうがな」
ドーラはドランの姿のまま、嫣然と微笑んで見せた。
「これはこれは、東方魔道師のタンリンさま。お人が悪いですわ。わたくしは元々旅の舞姫。自分の身を護るため、これでも多少の武術は学びましたのよ」
「ほう、そうか。ならば、気兼ねなく申し渡せるな。速やかに皇帝宮を去り、再び旅に出てもらおう」
「あら、あなたさまに言われるのは、ちと筋違いのような気がしますわ。わたくしは望んでここにいる訳ではありませんのよ。宰相のチャドスさまを通じ、やんごとなき皇帝陛下に懇願されたからですわ。このお二人の許可なく申されているなら、諦めて引き下がりなさいな」
だが、タンリンは嫌な笑みを浮かべ、更に言い放った。
「いい気になるなよ、バロードの間者め! 他の東方魔道師たちは騙せても、おれはそうはいかぬぞ。おまえが怪しいとみて、密かにずっと調べていたのだ。時々幻影とすり替わっているのに気づき、本体の航跡を追ったら、バロードに辿り着いたのだ。そこで、正体を暴くため、一芝居打ったのさ」
ドーラも負けずに皮肉な笑顔になった。
そのドランの顔が徐々に老けて、本来のドーラの顔に変化して行く。
「へえ。それはご苦労さまでした。でもね、覚えて置きなさい。罠を仕掛けるなら、相手の力量をちゃんと見極めないと、却って怪我をするのじゃぞ!」
突き出されたドーラの片方の掌から見えない波動が迸り、タンリンを襲う。
それを予期していたらしいタンリンも、殆ど同時に両手を突き出して応戦し、見えない波動同士がぶつかる激しい破裂音が空中に響いた。
波動が止められることはドーラにもわかっていたらしく、突き出さなかった方の手は懐に入っている。
その手が出てきた時には、何かを握っていた。
「これでも喰らうがよいっ!」
ドーラは、黒い小さな球をタンリンに投げつけた。
拍子抜けした表情で、それを掴み取ろうとしたタンリンの身体がグニャリと変形し、細長くなりながら、アッという間に黒い球に吸い込まれる。
コロンと黒い球だけが床に転がると、ドーラはニヤニヤ笑いながらそれを拾い上げた。
「さてさて。この魔の球は相手を強制的に転送するんじゃが、行き先はわたしにもわからぬ。精々己の幸運を祈ることじゃな」
その頃、『荒野の兄弟』の砦では、蒼褪めた手下が、ルキッフの部屋に駆け込んで来た。
ちょうど黒い眼帯を外して寛いでいたルキッフは、「ちょっと待て!」と告げて、急いで眼帯を付けた。
「どうした?」
「どうしたもこうしたも、とにかく大変なんだ! お首領、ちょっと来てくれ!」
「何だよ、幽霊でも見たような面しやがって」
不満を漏らしたルキッフも、手下に連れられて行く先が牢屋と気づき、表情が険しくなった。
牢屋に着く前に、大勢の仲間の騒めく声が聞こえ、微かな血の臭いが漂ってきている。
しかし、そのことよりも、ルキッフは、自分たちの遥かに頭上をヒラヒラと飛び去って行く白いコウモリに目を留めた。
「くそうっ、殺られたか。どうしたって、戦争を仕掛けるつもりだな」
牢屋に行ってみると、案の定、閉じ込めていたバポロが一刀のもとに斬殺されていた。
ご丁寧にも、遺体の横に転がっている長剣はルキッフの愛用しているものである。
「どうしやしょう、お首領?」
不安げに聞く手下たちに、ルキッフはニヤリと笑って見せた。
「向こうがその気なら、受けて立つしかあるめえよ。おれたちだって伊達に何十年も野盗稼業をやってきた訳じゃねえ。ちっとは歯応えがあるぜ、ってとこをわからせてやるさ!」




