338 因縁の過去
バロードの聖王宮のカルス聖王の私室。
「で、結局、『暁の軍団』の元団長バポロとやらは、交渉をしくじったのじゃな」
妊娠しているレナが別室に下がると、ドーラは早速息子のカルスに皮肉を言った。
落魄れてカルスを頼って来たバポロを、ドーラは即刻処刑するように示唆したが、カルスが拒否したため、二人の親子関係に微妙な齟齬が生じているのである。
だが、先日とは違い、カルスは余裕の表情で「さようですな」と軽く受け流した。
ドーラは探るようにカルスの顔を見ていたが、「成程」と頷いた。
「それも織り込み済み、ということかのう」
カルスは、母譲りの皮肉な笑みを浮かべている。
「はい。賢人の利用法は一つですが、愚人は如何様にも使い途がございます故」
「ほう」
「バポロは交渉が上手く行かず、激昂してルキッフの部下を一人殺めたそうです。そこでルキッフがバポロを始末してくれれば、話は早かったのですが、さすがに警戒して軟禁しているそうです」
感情的な痼りも忘れ、ドーラは悪巧みに熱中した。
「で、次の手は?」
「はい。何故か、明日バポロは獄中で死ぬようです」
惚けた顔でカルスがそう言うと、ドーラもニヤリと笑う。
「それは由々しきこと。仮にもバポロは正式なバロード聖王国の使者。捨て置けぬのう」
「ええ。すぐに検死役を差し向けますが、場合によっては、武力に訴えることにもなるやもしれませぬ」
「如何にものう。で、『荒野の兄弟』と戦端が開かれれば、同盟関係にあるニノフたちも自動的に参戦せざるを得なくなる、という寸法じゃな。既に西側国境に軍を集結させておるようだが、主力は蛮族にするのかの?」
「はい。サイカの包囲戦では、ガネス将軍に押し切られて正規軍、それもバロード出身者のみに限定しました。しかし、それが結果として、全軍が敵に寝返るという前代未聞の事態を招いたのです。今回は中核を蛮族で固め、それ以外も他国出身の傭兵から選抜して軍を編成しました」
「おお、それが良い。最初は『荒野の兄弟』との山岳戦となろうから、蛮族にとってはお誂えというものじゃな。ところで」
ドーラは、今思いついたという風に、一番言いたかったであろうことを口にした。
「レナのことじゃが、そろそろ産み月も近いし、正式に王妃にしてはどうじゃな?」
カルスの表情が一気に硬くなり、「いいえ」と首を振って、自分の誕生日を祝えないと言ったウルスと同じことを告げた。
「まだウィナの喪が明けておりませぬ」
ドーラは猶も諦めずに食い下がった。
「ならば、せめて側室として国内外に通達してはどうかのう。この中原では広く認められている習俗じゃ。厳格に一夫一妻を守るプシュケー教団が中原全体の国教となるような奇蹟でも起きない限り、何の差し障りもないことじゃぞ」
意外にもカルスは怒らず、寧ろ悲しみに沈んだ様子で応えた。
「そういうことを言っているのではありません。おふくろどのの勧めでレナを寵愛いたしましたが、それも、一時でもウィナを忘れんがため。なれど、忘れることなどできはしませぬ」
ドーラは何か文句を言い掛けたが、揺らいでいる親子関係を慮ったのか、それ以上その問題には触れず、話を変えた。
「おお、そうじゃ。ガルマニアの三男坊が行方を晦ませた件で、太っちょの皇帝がまたぞろ不安がっておろう。おかしなことをしでかさぬように、ちと様子見に戻ってみようかの」
カルスもホッとしたように、「お願いいたしまする」と頭を下げた。
しかし、その若き皇帝ゲルカッツェは、他のことで頭を悩ませることになる。
その日も皇帝宮の奥の間で、美女軍団、中でもお気に入りのドランと甘い菓子に舌鼓を打っていたのだが、スーッと室内が暗くなり、姦しかった美女たちのお喋りも聞こえなくなった。
「あれ? どうしちゃったんだろう? 暗いよ。怖いよ。ねえ、ドラン、どうしたらいいの?」
すると、目の前にボンヤリ見えているドランではなく、後ろの方から声がした。
「それは幻影故、話し掛けても無駄ですぞ」
「え?」
ゲルカッツェが振り向くと、黒い人影が見えた。
背が低く、手に大きな丸いものを抱えているのはわかるが、それ以上は暗過ぎて判然としない。
ゲルカッツェは唾を飲み、掠れた声で尋ねた。
「だ、誰なの?」
「陛下なら、おわかりのはずだが」
答える声は、何故か腕に抱えている丸いものから聞こえてくる。
そう思って、ゲルカッツェがもう一度よく見ると、人影は背が低いのではなく、首から上がないようであった。
「ひいっ!」
ゲルカッツェの口から悲鳴が漏れたが、喉がカラカラなため大きな声が出ない。
と、人影が一歩前に出た。
薄明りの中、相手の姿が見えた。
やはり頭部がなく、赤黒い首の断面が少し見えている。
そして、その腕に、切断された頭を抱えているのであった。
紫色に変色し目も虚ろであったが、地肌が透ける程薄い頭髪の下の顔は紛れもなく、ゲルカッツェに斬首された軍師ブロシウスのものであった。
土色の唇が開き、ゲルカッツェを詰った。
「美女を侍らすために、わしを殺されたのか!」
「だ、だって、父上の、仇だから……」
それ以上は言葉が出ず、ゲルカッツェは気を失った。




