337 君、君たらずとも
母が違うとはいえ、実の弟を亡き者にして欲しいとの依頼を、まるで甘えた子供が玩具をねだるような気軽さで言われ、さすがにツァラト将軍は顔を曇らせた。
が、すぐに表情を引き締め、「み意思のままに」と頭を下げた。
あまりにもアッサリ承諾されて、頼んだ皇帝ゲルカッツェの方が不審な顔になり、「いいの?」と念を押した。
ツァラトは少し顔を上げ、「主命とあらば」と答えて、すぐに顔を伏せた。
単純なゲルカッツェは、それだけで自分の偉さを再確認したように満足した笑みを浮かべた。
「じゃあ、討伐軍の人数は、おまえの好きなだけ連れて行っていいよ」
再び顔を上げたツァラトは、覚悟が決まったのか、真っ直ぐにゲルカッツェを見据えて応えた。
「有難き幸せ。ならば、五千名程率いて参ります」
「え? 少なくない?」
如何に軍事に疎いゲルカッツェでも、小国に匹敵する広さのエイサを攻めるのには、少なくとも万人単位の軍が必要だということぐらいはわかるのであろう。
しかし、ツァラトは「充分です」と答えた。
「なぜなら、エイサそのものを攻める必要はないと存ずるからでございます。エイサは攻めるは易くとも、護り難き都市。占領しても意味はござらぬ。皇弟ゲルヌさまの許におる兵士は約千五百。これさえ蹴散らせば、目的は達せられまする」
軍事の専門家であるツァラトに自信たっぷりに言われれば、素人のゲルカッツェも納得せざるを得ない。
「へえ、そうなんだ。じゃあ、任せるよ」
「はっ! それでは早速準備を始めまするので、これにて」
そそくさと退出するツァラトを見送り、ゲルカッツェは少し不安な表情をしたが、すぐに笑顔になってパンパンと手を鳴らした。
「美女軍団を呼んでよ。おやつの時間だから」
一方、謁見の間を出たツァラトは、深く溜め息を吐いた。
「たとえ暗愚でも主君は主君。わがはいは、ただ臣下の務めを果たすのみ。ん? 何者だ!」
ツァラトの前に、ゆらりと黒い人影が現れた。
その場で自ら隠形を解いたのは、丈の長いマントを羽織り、鍔広の帽子を被った、目つきの鋭い長身の男であった。
東方魔道師のタンリンである。
タンリンはツァラトの顔を見て、ニヤリと笑ってから慇懃に辞儀をした。
「お務め、ご苦労さまでございまする」
ツァラトは顔を顰め、「下郎、失せろ!」と吐き捨てた。
タンリンは顔を上げ、体格は違うが同じくらい背の高い相手と目を合わせ、惚けたような顔をして見せた。
「はてさて、ガルマニアのような田舎ではいざ知らず、こう見えても本国のマオールでは貴族に列する身。下郎呼ばわりは、失敬でしょう」
「ほう。マオールでは、貴族も密偵を生業にしておるのか?」
タンリンはそれ以上は取り合わず、用件を述べた。
「皇帝陛下のご下命とは申せ、辛いお役目を引き受けられ、ご同情いたしまする。されど、ちと、気になることがございましてな」
ツァラトは返事をせず、フンと鼻を鳴らした。
タンリンは構わずに話を続ける。
「小耳に挟みましたが、エイサへ五千名で行かれるとか。皇帝もご心配されておりましたが、如何なものでしょうか?」
ツァラトはムッとした顔で反問した。
「おまえに戦の差配がわかるとでも言うのか?」
タンリンは両方の眉を上げて、笑顔で首を振った。
「とんでもないことでございます。わたし如きに何がわかりましょう。但し」
「但し?」
「広いエイサを五千名では包囲できませぬ。よって、直線的に攻めるより他に戦術はございません。まあ、相手が千五百なら、間違いなく勝てはするでしょうが、その間に獲物は逃げるでしょうな。いや、きっと逃がされるでしょう」
ツァラトの表情が硬くなった。
「何が言いたいのだ。わがはいは、これから戦の準備で忙しいのだ。そこをどけ!」
タンリンはゆっくりと横に移動しながら、ツァラトにニヤリと笑い掛けた。
「おお、どうぞよろしくお願いいたしまする。獲物を結界の外に出してさえいただければ、後のことはこちらで何とかいたしまする故」
ツァラトは物凄い目でタンリンを睨んだが、それ以上の反論は相手の指摘したことを認めるのも同然であるから、憤然としたまま出て行った。
しかし、結局、ツァラトは討伐軍を率いることはなかった。
程もなく、肝心のゲルヌがエイサを出たとの情報が入って来たからである。
ゲルヌとその配下の千五百の兵がエイサを出たとの情報は、すぐに中原中に広まった。
恐らく、意図的に拡散させているのであろう。
その行先については、情報が錯綜した。
無論計画的にであろうが、千五百名が一塊ではなく、幾つも少人数の隊に分かれ、方向もバラバラにエイサを出たのである。
その中に子供の姿はなかったが、噂では同行している魔道師が巧妙に隠形させているという。
「馬鹿馬鹿しい。高が十か十一の子供に、大人たちが踊らされておるわいな」
そう評したのはドーラである。
また、密かにバロードに戻って来ていた。
話している相手は、当然、息子のカルス王であったが、その横にもう一人いた。
妊婦である。
カルスの子を身籠っている蛮族の娘、レナであった。
「あ、動きました!」
嬉しそうに言うのを、カルスも目を細めて見ている。
ドーラも笑いながら息子に告げた。
「生まれて来るこの子のためにも、早く邪魔者を片付けねばならんのう」




