334 ケセラセラ
かつての魔道師の都エイサをマオール人の支配から解放し、『神聖ガルマニア帝国』の拠点としたゲルヌ皇子であったが、母国ガルマニア帝国を牛耳る宰相チャドスの報復が避けられないとみて、一旦エイサを脱出することを仲間たちに表明した。
その際ゲルヌは、チャドスの陰謀の生き証人であるシャンロウと共に、共和国時代のバロードの外交担当参与であったクジュケにも同行して欲しいと申し出た。
尤も、政治的手腕を買ってではなく、信用できる魔道師として、であるが。
ゲルヌの朋友でもあるウルス王子の後押しもあって、渋々ながらクジュケはゲルヌの供を引き受けることになった。
ところが、その話し合いの最中、意図せぬ獣人化から回復したはずのゾイアの様子がおかしいと気づいたギータの質問に、ゾイアは変身できないと答えたのである。
ギータは一瞬だけ困った顔になったが、フッと微笑んだ。
「そうか。それならそれで仕方あるまい。すまんが、わしはもうとっくに、おぬしのことについて悩むのは止めたんじゃ。わからないことだらけじゃが、おぬし自身はそれを気にせず、いつもわしらを助けてくれる。おぬしが今、自由に変身ができないと言うのであれば、そうであろうし、わしらがどうしてやることもできん。じゃが、おぬしは自分で何とかすると、信じておるよ」
言われたゾイアも、納得したように頷いた。
「ギータの言うとおりだな。そもそも、何故自分が変身できるのかがわからぬし、それが急にできなくなった理由など、尚更わからぬ。で、ある以上、この状態で何ができるのかを考えるより他にない。空を飛べぬなら、地上を行くしかあるまい。急ぎ暁の女神に戻らねばならんから、できれば龍馬を借りたいが、ゲルヌ皇子、どうであろう?」
いきなりそう尋ねられたゲルヌは、申し訳なそうな顔で首を振った。
「すまぬ。できるだけ早くマオール人を追い出すため、かれらが龍馬を持ち出すことを許した。恐らく、もう一頭も残っておらぬ」
これにはギータが助け舟を出した。
「ならば、ゾイアよ、わしらと共に一度サイカに戻ろう。商人の都であるサイカには、様々な商取引上のイザコザに対処するため、常に一頭は龍馬が確保してある。おぬしがライナに頼めば、絶対に嫌とは言わぬはずじゃ」
「おお、そうだな。そうさせてもらおう」
ゲルヌもホッとした様子で、ゾイアに提案した。
「で、あれば、ここからサイカまで行くための普通の馬を用意させよう。いや、普通では無理か。ゾイア将軍を乗せられるだけの力のある馬でなければな。それとも、四人なら馬車の方が好いか?」
これには、ツイムが白い歯を見せて首を振った。
「いえ、馬車では速度が出ませぬ。おれ、いや、わたしにもう一頭お貸しいただければ、充分です。わたしがウルス王子を、ゾイア将軍がギータを、共に乗せればよいでしょう」
ギータがクリッした目でツイムに「わしが一緒の馬では嫌か?」と聞くと、ツイムも悪戯小僧めいた笑顔で「嫌に決まってるさ」と返し、互いに笑い出した。
和やかになった席上で、クジュケだけが浮かぬ顔で溜め息を吐いた。
ゲルヌの逃避行に同行する責任の重さと、ゾイアの今後についての不安からであろう。
それに気づいたウルスが小声で「きっと大丈夫だよ」と励ました。
一方、エオスの砦でも、ゾイアの代わりに軍を率いることを躊躇うタロスに、ペテオがウルスと同じ言葉で鼓舞していた。
「きっと大丈夫さ。あんたの顔を見ただけで、元の北方警備軍の連中は安心する。何しろゾイアに生き写しだ。あ、いや、逆か。それに、うちの大将みてえに変身こそしないものの、同じくらい武芸の達人だって聞いてるぜ。ともかく、連中に声を掛けてやってくれ。それだけで勇気百倍だ。なあ、頼むよ」
タロスは、張り出し露台でニノフの提案を受けたが、少し考えさせて欲しいと告げると、このペテオの部屋に案内されたのであった。
今は、粗末な木の椅子に、二人で向かい合って座っている。
ペテオに褒められても、タロスの表情は今一つスッキリしない。
「ペテオどのの言葉は有難いと思う。されど、わたしは王子さま付きの従者として、ずっと個人技で闘ってきた男だ。腕に覚えはあるが、大軍を指揮した経験はない」
ペテオは困りながらも、首を捻った。
「そこが不思議なとこだな。ゾイアの大将が天から降って来た時、最初にぶつかったあんたを真似して人間になったらしい。だったら、あんたにできないことは、大将にもできないはずだ。まあ、変身は別にしても、だがな。ってことは、あんたは自分で気がついていないだけで、本当は凄い軍略の才があるんじゃないかな」
タロスは自嘲するように笑った。
「そうであれば、良いのだが」
ペテオは、自分の口髭を捻りながら、改めてタロスの顔をまじまじと見た。
「うーん、確かに、性格は全然違うな。大将は、もっと大らかだ、あ、すまん」
タロスも苦笑せざるを得なかった。
「いや、本当にそうだと聞いている。サイカの女主人にも同じようなことを言われたよ。それにしても」
タロスは真顔に戻り、先程ペテオがしたように首を傾げた。
「失礼ながら、ゾイア将軍が人間ではなくとも、気にならぬのか?」
ペテオは少しムッとして尋ね返した。
「あんた、ゾイアの大将と話したことあるかい?」
「いや、ないな。いつもすれ違いのような状況でな」
ペテオはフンと鼻を鳴らした。
「だからだよ。もし、少しでも大将と話したことがあれば、今みたいな質問はしねえさ」




