333 トレード
偶然というものが、時には人の運命を左右する。
サイカに戻る途中に、ちょっとだけのつもりで暁の女神に立ち寄ったタロスは、不在のゾイアの代わりに軍を率いるように、ニノフに要請された。
一方、エイサに残っているゾイアの方は、第三の目が出現したゲルヌ皇子の影響で制御の効かない獣人化を始めた。
ゲルヌの命令で辛うじて人間の姿は保ったものの、無個性な木偶人形のような状態になっている。
「お願いです! 元のゾイア将軍に戻ってください!」
幸いにも、必死の思いでそう言ったのは、ゾイアが目醒める切っ掛けとなった「ケルビム」という言葉を発したクジュケであった。
これが、ツイムの方であったなら、ゾイアは永遠に人形のままであったかもしれない。
ゾイアの身体がビクンと痙攣し、口を閉じたまま、喉の辺りから変な声が聞こえてきた。
全く抑揚がなく、別の言語を無理に中原の言葉に翻訳しているかのようだ。
「……ローディング00238865……ジョブ0004399……サピエンスサピエンス0000621……再現率98.7753パーセント……深刻なエラーが発生……回避モード……パーソナリティのみ再現……スキルダウン……セキュリティ未設定……パスワード変更不可……ジョブ終了」
ゾイアの身体が再びビクンと震えると、クジュケの方を向いて口を開いた。
「おお、すまん。少し居眠りしたようだ。会議の席に戻ろうか」
目を見開いたまま、呼吸が苦しい魚のように口を開いては閉じているクジュケの代わりに、ツイムが両方の眉を上げ、肩を竦めながらこう言った。
「そうだな。みんなが待ってるだろう。行くとしよう」
三人が会議室に戻ったのは、ちょうどウルスラがアルゴドラスが自分の祖父であるとの説明を終えた直後であった。
「まあ、ゾイア! もう大丈夫なの?」
ウルスラの頓狂な声に、ゾイアは何事もなかったかのように笑顔で応えた。
「ああ、少し眠ってスッキリした。話を続けてくれ」
平然と元の席に座るゾイアを追うようにして、ツイムとクジュケも席に着いた。
但し、クジュケの顔色は紙のように白い。
目も虚ろで、心ここにないことは、誰の目にも明らかだった。
ツイムの方は、どうせ自分がいくら考えたところで理解できないと、開き直っているようだ。
司会役だったはずのクジュケが何も喋らないため、執り成すようにギータが口を開いた。
「さてさて。深遠な話はそれぐらいにして、喫緊の課題に戻ろうではないか」
探るようにゾイアの顔を見ていたゲルヌも、何も異常がないと判断したのか、フッと表情を緩めた。
「そうだな。皆時間がないだろうから、先に余の考えを言わせてもらおう」
ウルスラの話を聞きながら頭の隅で考えていたのだが、エイサの民政が整った段階で、やはり余は一旦ここを出ようと思う。
いつでも逃げられるとはいえ、余がここにいる限り、チャドスの恰好の標的となってしまう。
それでは住民に迷惑が掛かる。
生き証人のシャンロウだけ連れて、行方を晦ますつもりだ。
おぬしらに迷惑が掛からぬよう、敢えて行き先も言わぬ。
その状態で、反チャドスの将軍たちを糾合し、反転攻勢をかける。
これは、然程の難事ではあるまい。
逆に、チャドスの側に付く将軍など、殆どいないと思う。
心配なのは、ガルマニア帝国軍の動向よりも、寧ろ、東廻り航路からのマオール帝国艦隊の介入だ。
これについては、沿海諸国の協力が不可欠だから、何らかの方法で接触を試みる。
いずれにせよ、当面はチャドスの刺客から自分の身を護らねばならぬ。
皆とも当分の間は会えぬと思う。
但し、いつでも連絡が取れる状態にしたいから、身近に信用の置ける魔道師に居てもらえると助かる。
クジュケ、お願いできぬか?
いきなり自分の名前を呼ばれ、物思いに沈んでいたクジュケは、目を白黒させた。
「え? わたくしですか? ですが、わたくしは、ニノフ殿下の許に戻らねば」
ゲルヌは、本当に珍しいことに、自分から頭を下げた。
サラサラした赤い前髪が揺れる。
「すまぬ。ニノフどのには、余がお願いの書状を認める。頼む。余に助勢してくれ」
「し、しかし、本来なら、わたくしはバロードの参与でございます。バロードの王子であられるニノフ殿下やウルス殿下にお仕えするのが筋というもの」
ここで、ウルスラの顔が上下して、瞳の色がコバルトブルーに変わった。
ゲルヌの朋友を自認しているウルスである。
「だったら、ぼくからも頼むよ、クジュケ。ゲルヌを助けてあげて」
クジュケは深く息を吐いた。
「わかりました。不肖ながら、わたくしも魔道師の端くれ。お役に立たせていただきましょう」
ゲルヌは嬉しそうに「有難い、礼を言う」と笑った。
クジュケに代わって司会役を務めているギータも、クリッとした目を細めて「決まりじゃな」と頷いた。
「では、近い内にゲルヌとクジュケはシャンロウを連れてエイサを離れる、ということじゃな。ウルスとツイムは、この後、わしと一緒にサイカに戻る。そして、ゾイアは急ぐじゃろうから、ニノフの待つエオスに飛んで帰る。これでいいじゃろう」
皆が納得した顔をする中、ゾイアだけが首を傾げている。
「どうした、ゾイア? 何かわしが見落としておるのか? 結論を出すのが、ちと性急過ぎたかの?」
ゾイアは、何故か途方に暮れたような顔になっている。
「いや、そうではない。どうも身体に違和感がある故、先程から試してみているのだが、全く変身できぬようなのだ」




