332 願い
タロスは、ルキッフから餞別に貰った馬に乗り、暁の女神の砦に着いた。
タロス自身の記憶の中には、『暁の軍団』当時のこの砦の記憶はないのだが、強烈な既視感を覚えた。
「しかし、随分変わったな」
思わずそう呟いたが、その変わる前の景色は浮かんでこない。
それは、全てティルスの経験したことだからであった。
廃城をほぼそのまま利用していた『暁の軍団』当時に比べ、現役の城としての体裁が整ってきている。
尤も、普通の城に比べれば往来はかなり自由で、タロスは間もなく城門に近づくというのに、特に誰何もされなかった。
それ以外に、記憶がなくともわかる変化があった。
砦の外にいる人々の騒然とした雰囲気だ。
「そうか。ルキッフどのが、バロードの西側国境に大軍が集結しているようだと言っていたが、早くも伝わったのだな。で、あれば、簡単にニノフどのに挨拶だけして、サイカに急ぐか」
勿論、『荒野の兄弟』の砦にかつての『暁の軍団』団長のバポロが現れて、ニノフたちを裏切ってバロード側に付くよう説得しに来たことは、第一報として伝えてある。
これが遅れれば、裏切りの意思ありと疑われても仕方がないからだ。
その後、バロード軍の動きなどの新情報が入ってきたため、サイカへ行く途中にあるエオスへ寄って、一言だけでも伝えて行こうと、タロス自身が提案したのである。
ところが、タロスの馬が近づくにつれ、騒がしかった砦の兵士たちの声が、ピタリと止まった。
少し間を置いて、ヒソヒソと囁く声が聞こえてくる。
タロスの耳にも「ゾイア将軍?」という単語が聞き取れた。
「これは、早めに誤解を解いた方がよいな」
タロスはそう独り言ちると、大きな声で呼ばわった。
「わたしはウルス殿下の従者で、タロスという者だ! ニノフ殿下に御目文字を願いたい!」
囁く声が已み、一人が代表して、「暫し待たれよ!」と告げた。
待つほどもなく、城門の横の潜り戸から男が一人出て来た。
色が浅黒く、黒い口髭を綺麗に整えた男である。
腰の剣に手を置いて警戒心を露わにしていたが、タロスの顔を見るなり、ポカンと口を開けた。
「なんとまあ、うちの大将に生き写しじゃねえか! こりゃ、疑う余地もねえや。正に本物だ。ちょっと目の色と髪の色が薄いだけだな。あ、すまん。失礼があったら、勘弁してくれよ。おれはペテオだ。ゾイア将軍の副将を任せられてる。あんたのことは、ゾイアの大将から生命の恩人みたいなもんだって聞いてるよ。さあ、遠慮しねえでに入ってくれ」
「では、お邪魔する」
馬を下りて柵に繋ぎ、タロスが城門を潜ると、懐かしい顔が見え、タロスは思わず声を上げた。
「老師! お久しゅうございます!」
魔道師のマントを羽織った老人だが、その灰色の瞳に計り知れない叡智を湛えている。
ケロニウスであった。
少し含羞んだように笑っている。
「一別以来じゃのう、タロス。壮健そうで何よりじゃ」
「そういう老師こそ。お世辞ではなく、若返られたようにさえ思えまする」
言われたケロニウスは苦笑した。
「ちょっと、色々あってのう。それより、ニノフどのがお待ちかねだ。ささ、奥へ」
ニノフは、いつもの執務室ではなく、最近増設した張り出し露台の方にいた。
大きなテーブルに地図を広げ、時々傍らに置いたカップの薬草茶を飲んでいる。
ペテオとケロニウスに付き添われたタロスが来たことに気づくと、パッと立ち上がり、笑顔で手招きした。
「どうぞこちらへ! 老師とペテオどのもご一緒に、どうぞ!」
三人が席に着くとすぐに、秘書官がカップにいれたハーブティーを三つ持ってきた。
ペテオが恐縮して「おれなんかにお気遣いなく」と言うと、ニノフは笑顔で首を振った。
「いいじゃありませんか。あなたは最早いつ将軍に昇格してもおかしくない程の武勲を上げられている。ちょうど今、軍略を練っていたところです。是非お智慧を貸してください」
更に恐懼するペテオに負けず、タロスも「それなら、わたしはご挨拶だけで」と腰を浮かせた。
すると、ニノフはやや大きい声で「お待ちください!」とタロスを止めた。
「タロスどの。お願いがございます。このままエオスに留まり、おれたちと共に戦って貰えませぬか?」
「な、なんですって!」
ペテオも横で驚いているが、ケロニウスはタロスの反応を静かに見守っている。
或いは、ケロニウス自身が発案者なのかもしれない。
ニノフは表情を引き締め、タロスの目を真っ直ぐに見た。
「危機は目前に迫っています。ことここに至っては、ゾイア将軍のお帰りを待ってはおられません。ウルス殿下には、おれからお願いの書状を出します。タロスどの、ペテオ副将と共に、一軍を率いていただけませんか。お頼み申す!」
同じ頃、そのゾイアは辛うじて意識を取り戻したものの、まるで傀儡のように起き上がり、クジュケに聞き返していた。
「ご命令は、何でしょう?」
ゾイアの初期化を止めて欲しいというクジュケの頼みに、ゲルヌ皇子が人間形を保つようにという曖昧な指示しかしなかったからであろう。
クジュケは泣きそうな声で叫んだ。
「お願いです! 元のゾイア将軍に戻ってください!」




