320 誰がために鐘は
磔にされようとしたヨルムを、一芝居打って共に逃げようとしたウルス王子とツイムであったが、タンリン率いる東方魔道師たちに行く手を阻まれてしまった。
そこへ、地下の隧道を抜け出したゾイアとギータ、それに東方魔道師からこちらの味方へと転じたシャンロウが駆けつけて来た。
ゾイアは、東方魔道師たちの帽子を奪って魔道の力を封じ、強烈な痺れ薬を塗った刀子の攻撃すら軽く往なした。
しかし、不利を悟ったタンリンは、エイサに駐留するガルマニア帝国軍の一部を呼んだのである。
ヨルムが十字架に繋がれた状態で閉じ込められていた『中央の塔』に隠れていたガルマニア兵は、凡そ千名。
アッという間に中央広場に溢れた。
まだ多少は残っていた野次馬たちも、蜘蛛の仔を散らすようにいなくなる。
その状況を作ったタンリン本人は、唯一人ゾイアから帽子を奪われることを免れていた東方魔道師にツカツカと歩み寄った。
「貸せ!」
言った時には、もう帽子を取り上げていた。
唖然とする相手に構わず、スーッと浮身すると振り返り、ゾイアたちに捨て台詞を吐いた。
「もう会うこともあるまい。さらばだ!」
次の瞬間には急加速し、何処かへ飛び去った。
その非情さは、ある意味、見事というしかない。
残された六人の東方魔道師は巻き添えを懼れてか、ガルマニア兵たちの隊列をすり抜けて逃げて行った。
一言も発しなかったところをみると、タンリンのやり口に、或いは腹を立てているのかもしれない。
一方、タンリンたちに見えない波動の集中攻撃を受け、腰を打ってまだ動けないヨルムの周辺にいるウルスとツイムの方へ、ゾイア、ギータ、シャンロウも合流し、この六人をガルマニア兵千名が取り囲む形になった。
この状況ではあったが、ツイムは日に焼けた顔を綻ばせて、「助かりました、ゾイア将軍」と礼を述べた。
「礼は、まだ早かろう。六人対千人だ。まあ、丁度釣り合いがよいかもしれぬが」
恐るべきことをサラリと言うゾイアに、ウルスが抗議した。
「駄目だよ、ゾイア! ここは今でも中原の人々にとっては聖地なんだ。ゾイアなら勝てるかもしれないけど、多くの血が流れてしまう」
ウルスの言葉に、大人を代表するようにギータが諭した。
「王子のお気持ちは尊いとは思う。じゃが、わしらとて、むざむざと殺される訳にはゆかぬ。周りの兵士たちは、最早臨戦態勢じゃ。わしらが戦いを止めよと言ったとて、聞く耳は持つまい」
事実、ガルマニア兵たちは、ある者は既に剣を抜き、またある者は弓に矢を番え、いつでも攻撃を開始できる状態であった。
かれらがそうしないのは、本来攻撃の命令を下すべきタンリンが、真っ先に逃げてしまったからである。
それでも、このままでは、偶発的に戦いが始まるのは時間の問題であった。
その時。
頭上から、ゴーンという金属的な音が鳴り響いた。
続けてもう一度。
更にもう一度。
敵も味方も音の原因を探して見上げる中、シャンロウが叫んだ。
「ああっ、誰かが塔の上で鐘を鳴らしているだよ!」
それは、『中央の塔』の頂上にある鐘であった。
そこに鐘があることも、それが鳴ることも、殆ど知る者はなかった。
あの焼き討ちの際にも、この鐘が鳴らされたことはなかったのである。
鐘の音が止み、再び静寂が戻ったところで、鐘楼の少し下の露台に二つの人影が現れた。
大人と子供のようだ。
静かだったガルマニア兵たちがざわめき出した。
「あれは」
「あのお姿は」
「もしや、皇子殿下では」
「間違いない! ゲルヌ皇子だ!」
ゾイアたちにも、それがわかった。
「おお、無事であったか」
ウルスも「ああ、良かった!」と目を潤ませている。
それは勿論、地下神殿から上がって来たゲルヌとクジュケであった。
二人は下の状況が一触即発と見て、急遽鐘を鳴らしたのである。
ゲルヌは下を覗き込んで、困ったように首を捻った。
「注目は集めたが、余が何か言わねば、争いは止められぬな」
クジュケはニコリと笑った。
「わたくしとて魔道師の端くれ、このようなものを持っております」
クジュケが懐から取り出したのは、細い針金の先に丸い紙を貼ったものである。
サイカ包囲戦の終盤、ウルスラがバロード軍に呼び掛けた時に使った道具であった。
「おお、そうか、あの時の」
「はい。この紙の部分に口を近づけて声を出すと、音が何倍にも拡大します。どうぞ、お持ちください」
「うむ。使わせてもらおう」
ガルマニア帝国の勇士たちよ!
余は、先帝ゲールの遺児、ゲルヌである!
暫し、余の言葉に耳を傾けて欲しい。
おまえたちの戦うべき相手は、バロードの王子や、獣人将軍であろうか?
わが父は志し半ばで無念の死を遂げられ、その仇は兄のゲルカッツェさまが討ってくださった。
それは好いとしても、今の帝国はどうであろう。
わが父は確かに、能力があれば他国の者でも大いに取り立てられた。
しかし、今はそうではない。
能力があろうがなかろうが、宰相チャドスの親類縁者が続々と高位高官を独占しつつあるではないか?
わがガルマニア帝国は、いつ、マオール帝国の属国になったのだ?
そして、酒色に明け暮れる兄は、一向にそれを顧みない。
それで、好いのか?
いいや、いいはずがない!
今こそマオールの軛を脱し、わがガルマニア帝国をわれらの手に取り戻すべき時だ!
余は、この地を神聖ガルマニア帝国と定め、母国奪還を誓う!
皆の者、余について来てくれぬか!
最初、シンと静まり返っていた広場のあちこちから「ゲ、ル、ヌ」という声が上がり、忽ち天地を揺るがすような唱和の声となった。
「ゲ、ル、ヌ!」
「ゲ、ル、ヌ!」
「ゲ、ル、ヌ!」
その様子に満足したように、ゲルヌは笑顔で振り返った。
「これでよかろう。ん? どうしたクジュケ?」
クジュケは、目を見開いてゲルヌの額を凝視していた。




