316 地下迷宮(12)
魔道師の都、中原の臍などの異名を持つ自由都市エイサは、小さな国程の広さを有し、多数の塔とそれを繋ぐ回廊でも知られていた。
ガルマニア帝国の焼き討ちにより、その塔の多くは損傷したが、中央広場の横にある『中央の塔』は往時のまま残されている。
赤目族の信仰する魔道神の古代神殿は、その真下に位置するという。
神殿は巨大な円筒状の穴の底にあり、穴の側面を二重の螺旋階段がぐるりと取り巻いていた。
赤目族の先導で螺旋階段を神殿まで降りたゲルヌ皇子とクジュケの二人は、もう一本の階段が地上の『中央の塔』まで続いていると、説明された。
ところが、階段を昇る前に案内された本殿で、二人は騙されて室内に閉じ込められてしまった。
そこに突然出現した強大な理気力に晒され、感受性のある二人は、あまりの苦痛に悲鳴のような声を上げたのである。
「ううっ!」
「ぐあああっ!」
だが、その強いロゴスは、現れた時と同様、忽然と消え去った。
闇に浮かぶ星のような光点による微かな明かりの中、ゲルヌとクジュケは互いに顔を見合わせて、荒い息を吐いている。
「大事ないか、クジュケ?」
「わたくしは大丈夫です。しかし、なんだったのでしょう、今のは?」
「わからぬが、一先ず、この場からは消えたようだ。ん? どうした?」
薄暗がりでも、クジュケの顔が強張っているのがわかる。
「だ、誰かいます、この部屋の中に!」
さすがにゾクッとして、ゲルヌが周辺を見回すと、空間に浮かんでいる星のような光点の集まりが黒くなっている箇所がある。
人影のようだ。
不思議なもので、相手の居場所わかると、ゲルヌは落ち着きを取り戻した。
「クジュケ、鬼火を頼む」
「おお、そうでございました。出でよ、鬼火!」
クジュケが右手の人差し指を立てると、ボッと炎が燃え上がった。
その揺らめく明るい光によって、星空のように浮かぶ光の点は掻き消され、伽藍とした広間の中央に立っている人間の姿が見えた。
「あ、あなたさまは!」
クジュケが驚きの声を上げた。
そこには頬の痩けた初老の男が立っていた。
それは、先程赤目族によって凍結されたはずの、カルボン卿の姿だった。
しかし、明らかに様子がおかしかった。
動きがぎこちなく、顔も無表情である。
目は赤く光ってはおらず、普通の目の色であるが、全く生気がなかった。
ジッと目を凝らして様子を窺っていたゲルヌは、小さく首を振った。
「いや、これは、人間ではないようだな」
その言葉が聞こえたのか、カルボンはカクカクとした不自然な歩き方で、二人の方にやって来た。
口がパクッと開いて、おかしな抑揚で喋り始めた。
そこの人間の子供が指摘したとおり、これは擬体だ。
手近にあった凍結された人間から造ったものだ。
急造品で中身はない故、この人間がどいう者であったかは、気にせずともよい。
単なる道具だ。
最初、おまえたちと直接会話しようと試みたが、圧に耐えられそうになかったので、この方法に切り替えた。
他意はない。
さて、おまえたちに伝えるべきことは一つだけだ。
今は、人間同士で争っている場合ではない。
真の敵は、もうすぐ傍まで迫って来ているのだ。
早く危機に備えよ。
唐突に話を止めたカルボン、いや、その姿をしたアバターに、ゲルヌは問うた。
「あなたは何者なのだ?」
アバターの口が、再びパクッと開いた。
「言葉で説明したところでわかるまい。幸い、ここは立体虚像を呈示するための部屋だ。その生きている炎を消してくれれば、見せてやろう」
ゲルヌは頷き、クジュケに「そうしてくれ」と頼んだ。
「ですが、もし、万一」
躊躇うクジュケに、ゲルヌは笑って見せた。
「この者に害意があれば、余たちはとっくに死んでいるか、或いは、憑依されているさ」
アバターは首を振った。
「いや、憑依は無理だ。おまえたちの身体が融けてしまう」
次の瞬間、本当にアバターの身体はドロリと融け崩れ、床に吸収された。
それを呆然と見つめていたクジュケは、ブルッと震えながら、「鬼火、戻れ!」と命じた。
本殿の中は再び闇に包まれ、目が馴れるに従って、空中に浮かぶ星のような光点が見えてきた。
ゲルヌは小さな声で、「ウルスにも見せてやりたかったな」と呟いた。
そのウルスは、そこから遥か頭上にいた。
ツイムと共にヨルムを救け、中央広場から逃げようとするところを、タンリン率いる東方魔道師たちに阻止されていた。
ところが、タンリンの背後から、大きな鳥の羽ばたきのような音が聞こえて来たのである。
「ま、まさか!」
驚いて振り向くタンリンの目に、鳥人形態のゾイアの飛行する姿が飛び込んできた。
その背中にはギータが乗っており、少し遅れてシャンロウがついて来ている。
タンリンは忌々しそうに舌打ちした。
「くそうっ、獣人将軍の痺れ薬が、もう切れたのか! しかも、あの裏切り者の南人も一緒か! 小太りの役立たずの碌でなしの」
タンリンは、更に罵る言葉を続けようとしたが、ゾイアの片手が何倍にも伸び、自分の方へ近づいて来ているのに気づき、ハッとして掌を突き出した。
「これでも喰らえ!」
だが、ゾイアの手はタンリンの打ち出した見えない波動をスルリと躱し、被っている鍔広の帽子を奪い取った。
手は、伸びて来た時よりも素早く戻って行き、後ろについて来ているシャンロウの頭に、ポンと帽子を乗せた。
ゾイアがニヤリと笑う。
「元は、シャンロウのものだそうだな。返してもらうぞ」
呆気にとられていたタンリンは、瞬時に魔道の力を失い、真っ逆さまに落ちて行った。




