31 陰謀の果て
誰の命令かと尋ねるブロシウスに答えたのは、取り囲んだ魔道師たちではなく、通路の曲がり角から不意に現れた男であった。
「それは無論、皇帝陛下の御下命である」
男は、頭頂部のみ髪が抜け、顔の皺も深いため老けて見えるが、目鼻立ちはスッキリ整っており、若い頃はさぞや美男子であったろうと思われるような顔をしていた。
ガルマニア帝国宰相のザギムであった。
ブロシウスは相手がわかっても驚く風もなく、片頬だけで薄く笑った。しかし、その黒い瞳は炯炯とした眼光を放ってザギムを睨んでいる。
「これはこれは宰相閣下。わざわざこのようなところまでお出迎えいただき、恐悦至極にござりまする。が、折角ながら、老いたりとはいえこのブロシウス、宮中で道に迷うほど呆けてはおりませぬよ」
ザギムの白皙の額に、みるみる血管が浮き上がった。
「戯言を申すな! 大人しくついて参れ!」
ブロシウスは特に抵抗することもなく、皮肉な笑みを浮かべたまま、魔道師たちに取り囲まれて歩き出した。
その前方から、ヒュン、ヒュンという音が聞こえて来る。剣が空気を切り裂く音だ。
見えて来たのは、皇帝の居館に付設された稽古場である。
一行が中に入ると、徒っ広い板の間の奥で、半裸の男が背中を向け、黙々と稽古中であった。
自分の背丈ほどもある大剣二本を両手に持ち、殆ど重さを感じていないかのように、自在に振り回している。ごつい岩のような上半身の筋肉は、柔軟さも兼ね備えているようだ。
男は真っ赤な髪を振り乱していたが、振り向いたその顔は、ハッとするほど秀麗であった。
ガルマニア帝国皇帝、ゲールである。
ゲールは猶も剣を振り続けながら、「儀礼は一切不要。申せ!」と命じた。
ザギムが「はっ」と身を屈めて進み出る。
「これなる軍師ブロシウス、日頃より傲慢無礼でございましたが、あろうことか、皇帝陛下に対し謀反の兆しこれあり、詮議のほどお願い申し上げます」
ゲールは稽古を続けながら、「証拠は?」と訊いた。
「はっ。魔道師たちに身辺を探らせましたところ、これなる連盟状が」
ザギムは、懐から署名が並んだ羊皮紙を取り出した。
すると突然、ブロシウスが声を上げて笑い出した。
「なんとまあ、幼稚な偽物ですな。調べれば、すぐにボロが出ますぞ」
ザギムは「黙れ! 皇帝陛下の御前だぞ!」と遮り、ゲールに向かって「ご処断を!」と迫った。
ゲールは漸く剣を置き、珍しく穏やかな口調で「ブロシウス、申し開くことはあるか?」と尋ねた。
ブロシウスはニタリと笑い、「ございますな」と言いつつ振り向き、自分を取り囲んでいる魔道師のうち、一番後ろに立っている一人に「カノン、陛下に言上せよ」と告げた。
何か思い当たることがあるのか、ザギムの顔がサッと蒼ざめた。
カノンという魔道師は、するすると進み出てゲールの前に跪いた。
「皇帝陛下の御密命により、ザギム宰相を内偵しておりましたカノンにございます。御賢察のとおり、宰相には謀反の企てがございます。ガルマニア帝国に併合されし母国ギルマンの残党と密かに連絡を取り合い、また、バロード自治領のカルボン卿とも連盟を交わしておりまする。証拠もすでに手に入れました」
ザギムの「嘘じゃ! この者を捕らえよ!」という叫び声が稽古場に虚しく響き渡ったが、誰も応じる者はいない。
カノン以外の魔道師たちは皆、凍りついたように動かないのだ。
いや、よく見れば顔の表情もそのまま固まっており、何らかの魔道を掛けられているのであろう。
攻守が逆転したことを悟ったのか、ザギムは自分を励ますように、更に大きな声で叫んだ。
「皇帝陛下、騙されてはなりませぬ! これこそ謀反にござ……」
ザギムの必死の抗弁は、不意に途絶えた。
まるで何かの冗談のように、ゲールが投げた大剣がその胸を貫いていたのだ。
ゲールは平静な声で「片付けておけ」と命じると、何事もなかったように布で汗を拭い、稽古場から出て行った。




