315 地下迷宮(11)
ガルマニア帝国占領下のエイサにおいて、たとえ名目だけとは云え、最高権力者は市長である。
その市長のシュタインという人物の暗殺を企てたという嫌疑で、ヨルム青年が十字架の上で処刑されようとしていた。
二人の処刑人が槍を引いて力を溜め、今将に突き刺そうと身構えた刹那、ツイムが声をかけたのであった。
「待ってくれ!」
処刑人の手が止まり、戸惑ったように周囲を見回した。
ツイムは小声で「今、ヨルムどのの瞼が動きました。一か八か、やってみましょう」とウルスに囁くと、その手を引いて、人混みを掻き分けながら前に出て行こうとする。
「頼む、ちょっと待ってくれ! その処刑に異議がある!」
静まり返って息を呑んでいた群衆も、予想外の展開にザワつき始める。
当然、担当のガルマニア人の役人は激昂した。
「何者だ! これは正当な刑の執行なのだ! 邪魔をするなら、おまえも同罪だ!」
漸く群衆の前に出て来たツイムは、慇懃に頭を下げた。
「ご無礼の段、何卒お許しください。わたしは本日この街に参りました、傭兵のツ、ツァイムと申す者にございます」
しかし、それを聞いて、役人は益々怒りを募らせた。
「高が傭兵の分際で、わがはいに異見を申すのか! ええい、もう勘弁ならん! そこに跪け! 首を刎ねてやる!」
言いざま、役人は長剣を抜き放って、その切っ先をツイムに突き付ける。
が、ツイムは落ち着き払って話を続けた。
「違うのです。実は、この磔になっておる男は、わたしの親友を殺した仇なのです。そして、この子がその親友の忘れ形見でございます」
そう言いながら、ツイムはウルスの頭を撫でた。
ウルスもすぐに役目を呑み込んで、「亡き父の無念を晴らしとうございまする」と潤んだ目で見上げる。
怒りにわれを忘れていた役人の表情が、変わった。
「仇討ちしたい、ということか?」
ツイムも、ここぞとばかりに頷く。
「せめて一太刀でも、この子に」
この時代、親の仇を討つという習慣は、必ずしも一般的ではない。
それは私刑であるとして、禁じる国も多い。
だが、尚武の気風の強いガルマニアでは、寧ろ奨励されていた。
ツイムも、それを知っていたのであろう。
役人は、動揺していた。
「なんと殊勝な子であろう。うーむ、しかし、処刑を止める訳には」
すると、十字架の上から声がした。
「おれも、むざむざとそんな子供に討たれるつもりはねえぜ!」
驚いた役人が見上げると、素早く状況を察したらしいヨルムが、舞台役者のようにカッと目を見開いて下を睨んでいた。
「そんな! 一昼夜は目醒めぬと聞いていたのに」
ヨルムは態とらしく笑った。
「おれは妖蛇族。元々自ら毒を持っているが故に、耐性があるのさ。もうすっかり痺れ薬の効き目は消えたぜ。おれは自由だ! 殺られてたまるか!」
ヨルムの姿が十字架から消え、ぬたりという音と共に、大蛇となって地上に現れた。
槍を持っていた処刑人も、ガルマニア人の役人も悲鳴を上げて逃げ出し、広場の群衆も大恐慌に陥った。
大蛇が前に出て来ると、人波が二つに割れ、広場の出口まで道ができた。
そこを悠々と蛇行していく。
「おのれ、朋友の仇、逃がすものか」
ツイムは周囲に聞こえるようにそう叫ぶと、ウルスに「さあ、今のうちに」と小声で告げ、手を引いて走り出した。
「でも、まだゲルヌの手掛かりが」
「わかっております。ですが、ここは一旦、出直しましょう」
しかし、そのまま逃げることはできなかった。
不吉な黒い鳥のような影が七つ、ヨルムの大蛇が進む前に飛来してきたのだ。
鍔広の帽子を被った東方魔道師たちである。
空中で横に並ぶと、一斉に掌を突き出した。
一気に見えない波動が迸り、さすがの大蛇も、翻筋斗うってひっくり返った。
駆け寄って来たツイムが「大丈夫か?」と声をかけると、大蛇はヨルムの姿に戻り、痛そうに腰を押さえた。
七人の東方魔道師たちの中央にいた、長身で目つきの鋭い男が、スーッと地上に降りて来た。
ゾイアとヨルムに痺れ薬を塗った刀子を刺した張本人、タンリンであった。
「下手な芝居は、もう見飽きた。やけにアッサリとウルス王子と従者が逃げたから、おかしいとは思っておったのだ。本物に出会えて恐悦至極。まあ、会った途端に、永久の別れになりそうだがな」
嘲笑うタンリンに、ツイムが言い返した。
「それはこっちの科白だな。後ろを見やがれ!」
「そんな虚仮脅しが通じるとでも……」
言いかけたタンリンにも、後方から迫る、大きな鳥の羽ばたきのような音が聞こえてきた。
その真下にある地下神殿の、本殿に閉じ込められたゲルヌ皇子とクジュケは、なんとか扉を開けようと悪戦苦闘してみたが、ビクともしなかった。
肉体的な力でも魔道でも、全く変化がない扉に、クジュケは半ば諦めたように溜め息を吐いて、ゲルヌに尋ねた。
「如何しましょう?」
ゲルヌは少し首を傾げながら、こう告げた。
「待つしかあるまい。その『実験』とやらを」
と、突然、二人は同時に「うわああっ!」と叫んで頭を抱え、しゃがみ込んだ。
一見、先程までと変わらぬ本殿の中で、多少なりとも理気力に感受性のある二人は、近くで何かが爆発したような衝撃を受けていたのである。




