313 地下迷宮(9)
ゲルヌ皇子が地下神殿に近づきつつある頃、地上のサイカでは一つの騒動が持ち上がっていた。
「やっぱり磔になるらしいぞ」
「まあ、仕方あるまい。自業自得というものさ」
そんな通行人の話が耳に入っても、傭兵に身を窶したツイムも、その親友の忘れ形見という触れ込みのウルス王子も、特に驚きもせずに市の中心部に向かって歩いていた。
「戴冠式の頃より、一段と人心が荒れているようですね」
ツイムができるだけ小さな声でウルスに言うと、ウルスも囁き返した。
「しっ。ぼくの顔を見せるだけでも危険なのに、式のことは言っちゃ駄目だよ」
ツイムはニヤリと笑って「大丈夫ですよ」と応えた。
「直接お顔を見ることができたのは、諸外国の来賓とガルマニア帝国の上層部ぐらいで、一般庶民は見ていませんから」
「だと、いいんだけど。それはそうと、ゲ、いや、かれを捜す当てはあるの?」
「ええ。一先ず、中央広場に参りましょう。その一般庶民たちの溜まり場です」
「溜まり場?」
「ええ。自然の湧き水を利用した噴水が真ん中にあり、その周りに大道芸人や吟遊詩人が何人もいて、芸を見せたり、楽器を演奏したりしているんです。それを見に集まった庶民に飲食物を提供する出店も沢山ありますよ。そこで飲み食いしながら、噂話に華が咲くんです」
「へえ、面白そうだね。あ、いや、役に立ちそうな話が聞けるといいね」
そのウルスの他愛もない期待は、広場に近づくにつれて高まる異様な緊張感によって跡形もなく打ち消された。
広場の噴水の周りには確かに大勢集まっているが、大道芸人や吟遊詩人の姿など何処にもなく、皆一様に殺気立っている。
「どうしたんだろう?」
怯えたように尋ねるウルスに、事情がわからないツイムも「さあ、何かあったんでしょうね」としか答えようがなかった。
と、噴水の向こう側の大きな塔の門がギシギシと軋みながら開き、ゴツい体つきをした半裸の男数名が、何かを担ぎ上げて出て来た。
それは、大きな十字架のようであった。
ずっとザワついていた群衆は、冷水を浴びせられたように黙り込む。
やがて、半裸の男たちが十字架を立てると、そこに磔にされている人間が見えた。
「あっ!」
声を上げるウルスの口を、素早くツイムが掌で塞いだ。
十字架に磔にされているのは、ヨルム青年であったのである。
半裸の男たちの横に、赤毛のガルマニア人の役人が立って大声で呼ばわった。
「この者は、異教徒の間者である! わがエイサに忍び込み、畏れ多くも皇帝陛下の代理人たるシュタイン市長閣下のお生命を狙い、大蛇に変身して暴れたのだ。よって、死刑に処するものである!」
ちょうどその真下では、螺旋階段を降り切ったゲルヌとクジュケが、古代神殿を見上げていた。
その内部に幾つも灯された燈明の光が、色ガラスを嵌め込んだ窓から漏れ、幻想的な姿が闇の中に浮かび上がっている。
「おお、これはこれで美しいものですね」
地上にあるエイサの塔の芸術性に自信を持っていたクジュケも、感嘆の声を上げた。
しかし、ゲルヌは古代神殿の美しさ以外のことが気になるようだった。
「建物の素材は何だろう? 臙脂色のような色味だが、煉瓦ではないようだ」
ゲルヌの言うとおり、古代神殿を構成する塔もそれを繋ぐ回廊も、燻んだ紅色の壁面は滑らかで、金属的な光沢を放っている。
ちょうどそこへ、赤目族の神官が一人、空中を飛んで戻って来た。
「神殿の建物は全て、オリカルクムという超合金によって造られている。造営されて一万年以上経つと云われているが、未だに錆一つない。これから何万年も変わらぬであろうな。さあ、これより本殿へ案内する。ついて参れ」
赤目族の神官は地上に降りて来て、二人の前を歩き始めた。
浮身できないゲルヌへの気遣いのようだ。
その後ろを歩きながら、クジュケは指を一本伸ばして「鬼火よ、戻れ」と命じた。
頭上に浮かんでいた鬼火が、スーッと指先に吸い込まれるように消える。
既に鬼火の必要がない程、燈明が周囲を照らしているのだ。
複雑な彫刻を施した大きな門を潜ると、石畳を敷き詰めた道が、真っ直ぐ伸びている。
その先に、一際大きな建物が見えた。
前を歩く神官が立ち止まり、礼拝のような仕草をしてから振り返った。
「これより神域に入る。大きな声など出さぬように」
ゲルヌは「心得た」と頷き、隣を歩くクジュケも「畏まりました」と一礼した。
やがて、石畳の道の突き当りにある、本殿の前に着いた。
正面に両開きの扉があるが、巨人が立って通れそうな程大きい。
再び神官が礼拝し、さらに呪文のような言葉を唱えると、その巨大な扉が左右に開き始めた。
何処かで、カタカタと歯車が噛み合うような音がしている。
「いざ、参ろう」
扉は、漸く人間が通り抜けられるぐらいしか開いていないが、神官は先に立って入って行く。
ゲルヌとクジュケは顔を見合わせたが、頷き合って、二人同時に中へ入った。
「こ、これは!」
大きな声を出すなと言われていたことも忘れ、クジュケが叫んでいた。
そこには、二人が予想もしなかった光景が見えていたのである。




