310 地下迷宮(6)
ウルスとツイムが傭兵の受付所を訪れる、少し前。
検問所に附設された取調室の中では、東方魔道師タンリンがプシュケー教団の巡礼姿の少年を、ウルスと決めつけた。
実は、相手を攪乱するための替え玉なのだが、旅芸人の子供らしく演技は達者である。
「ち、違うよ! ぼくはウルスなんかじゃない!」
すると、その横に立っていたヨルム青年が、少年を庇うように一歩前に出た。
「何か誤解されているようですが、この子供はそのような高貴なお方ではありません。しかし、わたくしはこの子の親とは親友で、無事に旅をさせると約束しております。エイサの市内に入れていただけぬなら、出て行くまでのこと。お手間をかけましたが、これで失礼いたします」
だが、タンリンはニヤニヤ笑いながら椅子から立ち上がった。
「恍けても無駄さ。その子供は誘拐のことを知っていたじゃないか。まあ、尤も、あちこちで似たようなことはしているから、別件という可能性も、なくはないか」
タンリンは自分のつまらない冗談にウケて、声を上げて笑った。
ヨルムは態と「殿下、お逃げください!」と叫ぶと、フッと姿を消した。
いや、ヨルムの着ていた服がこんもりと積み重なって、その上に人間の腕ぐらいの大きさの蛇が乗っている。
タンリンは真面目な顔に戻り、目を細めてその蛇を見た。
「ほう、これは珍しい。妖蛇族か。それにしては小さいな。普通は人間の身長以上の大蛇になると聞いているが」
タンリンの注意が逸れた刹那、それまで木偶の坊のようにヨルムの横に立っていた中年の男が、隠し持っていた革の鞭をビュッと振るった。
鞭は弧を描き、過たずタンリンの帽子の鍔を撥ね上げた。
「あっ、何をするか!」
タンリンが押さえようとするが間に合わず、中年男は浮き上がった帽子を、撓って戻って来る鞭で絡め取った。
更に、帽子を手繰り寄せて鞭を持っていない方の手で掴むと、ビュンと鞭を回して、今度はタンリンのマントの紐をピシリと打つ。
すると紐が切れ、マントはバサリとタンリンの足元に落ちた。
そのマントすら、中年男は鞭捌きだけで引き寄せた。
この間、瞬きする暇もない早業である。
「おのれ!」
反撃しようとタンリンが動いた時には、ヨルムの変身した蛇が、鎌首を擡げて飛びついて来た。
空中で体長が伸びて胴体も太くなり、タンリンの身体に絡みつく。
全長は既にタンリンの身長より長くなっており、くねくねと巻き付いて、タンリンの顔の近くで大きく口を開けた。
その口が見る間に大きくなって、タンリンの頭ごと呑み込もうとしている。
「よ、よせ! わかった! ゲルヌは返すから、放してくれ!」
そう言われて、大蛇が締め付けを弛めた途端、タンリンは素早く懐から刀子を取り出して、大蛇の胴体に突き刺した。
「阿呆め!」
大蛇はビクンと痙攣すると、ズルリと床に滑り落ちた。
が、この隙に、中年男はタンリンの帽子を被り、マントを羽織っていた。
「殿下、さあ、一緒に、逃げましょう」
鞭の名人芸とは比べものにならない棒読みの科白ではあったが、中年男は少年を抱え上げて取調室を出た。
「待て!」
追いかけようとする足元に大蛇が巻き付いたため、タンリンはつんのめるようにダーンと床に倒れ、気を失った。
しかし、それが限界であったらしく、大蛇は動きを止め、徐々にヨルムの姿に戻った。
こちらも気絶している。
ゾイアの時と同様に、刀子に痺れ薬が塗ってあったらしい。
一方、取調室を出た中年男は、外で待っていたガルマニア人の役人に声を掛けた。
「大変だ。三人の内の一人が大蛇に化けて暴れている。人を呼べ。わたしはこの子供を、団長の許に連れて行かねばならぬ」
相変わらずの棒読みであり、よく見ればタンリンではないことは明らかなのだが、役人は余程タンリンを怖れているらしく、「畏まりました!」と叫んで走り出した。
周辺にいた住民たちも、関わり合いになることを懼れて近づかないため、中年男と少年は、悠然と検問所から市の外へ出て行った。
その頃エイサの地下では、ゲルヌの言葉に激昂したカルボン卿が、目を真っ赤に光らせて叫んでいた。
「おまえ如きに、わしの何がわかるか! カルス王さえ戻って来なければ、バロードのみならずガルマニア帝国まで含めて、中原全てがわしのものになっていたのだ! わしこそが、中原の真の皇帝、いや大帝に相応しい男だ!」
カルボンの攻撃を受けたクジュケはそれどころではなく、痛そうに腰をさすり、それをギータが介抱している。
だが、ゲルヌだけは昂然と空中のカルボンを見上げていた。
「それは誇大妄想というものだな。あの父ですら、志し半ばに倒れた。一人の人間の力には限りがあるぞ」
カルボンは少し怒りが鎮まったのか、皮肉な笑みを浮かべた。
「それは普通の人間の話だ。わしは赤目族の力を取り込み、超人となったのだ。いずれは聖剣を取り戻し、わしを虚仮にした連中に、目にもの見せてくれるわ!」
何か言い返そうとしたゲルヌは、ビクッと身体を震わせ、後ろを振り向いた。
階段の先の方でゾイアと一緒に蹲っているはずのシャンロウが、悲鳴のような声を上げたのだ。
「ああ、びっくらこいた! おめえら、なにもんだあ?」
緩くカーブした階段の下の方から、何かが上がって来ているようだ。
「おお、ついに出て来おったな」
そう言ったのはカルボンである。
その真っ赤な目が見つめる先に、同じく赤く光る目のようなものが幾つも幾つも現れた。
神官が着る長衣を身に纏った赤目族が数人、空中に浮かんでいる。
全員が口を揃え、斉唱のように同じ言葉を発した。
「カルボンよ、温情で逃がしてやったものを、何故追って来た。ここは、おまえのような汚れた者の来るべきところに非ず。魔道神の聖域なのだ。疾く去れ」
「寝言をほざくな!」
カルボンの突き出した両の掌から、強烈な波動が迸った。




