303 誘拐(14)
枯れ井戸の底には、人間の髑髏がゴロゴロ転がっていた。
それを気にしながらも、ギータとクジュケは横穴を進むことにした。
「万が一、危険な状況になったら隠形しますので、なるべく離れないでくださいね」
クジュケはギータにそう告げて先に進んだ。
その右手の人差し指からは、青白い炎が出ている。
その後ろを、歩幅の小さなギータは小走りで尾いていっていたが、次第に面倒になったらしく、ポーン、ポーンと飛び跳ねて行く。
横穴は明らかに人工的なもので、床面は歩きやすいよう平らになっており、高い天井はアーチ状になっている。
横の壁面も、極めて滑らかであった。
無論二人は知らないが、ゾイアたちが北方を探索した際、鉄橋を渡った中原側の山岳地帯に穿たれていたものとよく似ていた。
「それにしても、随分立派な隧道ですね。いつ頃造ったものでしょうか?」
クジュケが尋ねると、ギータは苦笑した。
「如何にわしが優秀な情報屋でも、そこまでは知らんさ。ただ、今の質問は少し項目が足りんのう。いつ、誰が、何のために造ったものか、じゃろう」
「成程。元々魔道師の都であるエイサには、脱出用の抜け穴など必要ありません。いざという時には跳躍しますからね。ここで暮らしていたわたくしも、このようなものがあるという噂を聞いたことはありません。となると、造ったのは、ガルマニア帝国なのか、或いは支配したのは短期間ではありましたが、ブロシウスなのか」
「逆に、もっと古い時代かもしれんぞ」
「そんな、まさか!」
クジュケが驚いて仰け反ったため、指先の炎が揺らめく。
「いや。古い文献に、アルゴドラス聖王が機械魔神を使って地面に穴を掘ったという記述がある。伝説と思われておったが、ほれ、機械魔神は、実際におったではないか」
何か反論しようとしたクジュケは、ハッとしたように小声で「お静かに!」と告げて、炎を消した。
周囲が真っ暗になると、二人の前方の遠くの方に点々と光るものが見えた。
動いている。
しかも、二個が一緒に動いているから、何かの目のようだ。
グルグルと唸るような声も微かに聞こえてきた。
ギータが「すまん」と囁いた。
「え?」
「項目がもう一つ足らなんだ。今現在、ここに何が棲んでいるのか、じゃ」
痺れ薬を塗った刀子でゾイアを倒したタンリンは、ツカツカと近づくと、力任せにゾイアの太腿の辺りを蹴った。
その容赦のなさに、横でずっと呆然と立ち尽くしていたシャンロウが、恰も自分が蹴られたように「ひっ!」と声を上げる。
形勢逆転したと見て、自警団長のチャロアが「でかしたぞ!」と称賛したが、タンリンは冷たい目でジロリと睨んだ後、片頬だけで笑った。
「お褒めに預かり、恐悦至極に存じます、団長閣下」
皮肉な言い方をされても、上司であるはずのチャロアの方が、完全に気圧されている。
タンリンの背後にいるヌルギス皇帝を怖れているのであろう。
「う、うむ。それにしても、よくぞ痺れ薬に気が付いたな」
タンリンは無遠慮に鼻で笑った。
「名前は忘れましたが、知り合いのガイ族の女から、獣人将軍にも痺れ薬は効くと聞いてたんでね。但し、普通の人間よりは効き目が薄いとのことにて、大蜥蜴が暴れた時に使う、特別に強い薬にしました。これで一昼夜は、隣に雷が落ちても目は醒めません」
念のためのつもりなのか、タンリンがもう一度蹴ると、またシャンロウが声を上げた。
「ひーっ! もう止めてくんろ! ゾイア将軍だって人間だべ!」
タンリンは嫌な笑い方をした。
「人間? これのどこが人間だ。化け物ではないか」
タンリンは、ゾイアの胸に突き刺さった刀子を指差した。
それは内部からの圧力で、徐々にゾイアの身体から押し出されている。
ついにポロリと床に落ちてしまった。
刀子が抜けた穴は、みるみる塞がっていく。
タンリンは「フン」と鼻を鳴らすと、ゾイアの後ろで倒れている六人の魔道師たちも、順番に蹴り上げた。
魔道師たちは声も上げずに堪えている。
「阿呆どもめ、油断しおって。さあ、サッサとこの二人を地下に連れて行け! 獣人が目醒める前に、あいつらに始末させるんだ。この小太りの裏切り者も一緒にな。おお、そうそう、もう一人いた」
いきなりタンリンが振り向いて自分を見たため、チャロアはギクリとした顔になった。
「だ、誰のことだ?」
タンリンはニヤリと笑った。
「勿論、生意気な皇子ですよ」
そのゲルヌは、窓のない部屋に移されていた。
また飛び降りないようにとの配慮である。
昼だというのに薄暗い部屋の中、灯されたランプの明かりが揺らめいている。
ゲルヌは寝台に腰掛け、書物を読んでいた。
と、明かりの揺れが止まった。
「ん?」
ゲルヌはすぐに異常に気づき、周囲を見回した。
先程まで微かに響いていた生活音も、今は全く聞こえない。
耳がキーンとなるような静けさの中、コツ、コツと、杖をついて歩く足音が聞こえて来た。
足音は部屋の前で止まり、閉まったままの扉をスッとすり抜けて、枯れ木のように痩せた老人が現われた。
「殿下、ちょっと邪魔するぞ」
突然の来訪に驚くかと思われたゲルヌは、しかし、平静な声で告げた。
「せっかくのお出ましだが、余は今すぐ逃げるつもりはないのだ、サンジェルマヌス伯爵」




