298 誘拐(9)
帝都ゲオグストの中心にある皇帝宮の更にその中心の広場で、ドーラによって復活させられたチャダイは、大音声で叫んだのである。
「ガルマニア帝国将軍チャダイである! 帝国臣民に告ぐ! かの愚昧極まる皇帝ゲルカッツェを廃し、名君ゲール陛下の再来、ゲルヌ殿下の即位を求めようではないか!」
その後も、まるで人間の言葉を真似る鳥のように、何度も何度も同じ科白を繰り返している。
最初は何事が起ったのかと近づく人間もいたが、科白の内容がわかると、巻き添えになることを懼れて逃げ散った。
騒ぎは当然、チャダイの親戚筋に当たる宰相のチャドスの耳にも入った。
お気に入りの塔の最上階なら誰よりも先に気づいたのだろうが、生憎この時、チャドスは皇帝宮本館の奥の執務室にいたのである。
「行方知れずだったチャダイが、この皇帝陛下のお膝元で、不埒なことを叫んでおるというのは、真か!」
「ははーっ!」
報告に来た秘書官は、とばっちりで自分が責められているかのように、土下座している。
チャドスの体毛の薄いのっぺりした顔が、怒りで真っ赤になった。
「阿呆! 衛兵たちは何をしておるのか! 直ちに取り押さえて、黙らせろ!」
「か、畏まりました!」
転ぶように部屋を出て行く役人の後から、チャドス自身も小走りで広場が見下ろせる露台に出た。
チャダイは相変わらず広場の空気が震えるような大きな声で、同じ科白を言っている。
それを聞いているチャドスの顔からは、血の気が引いていた。
「拙いぞ。早く止めさせんと、こっちも類が及ぶ。ええい、衛兵はまだか!」
と、それが聞こえたかのように、バラバラと数名の衛兵が刺股を持って駆け付けた。
先が二股になっている刺股を一斉に突き出して、チャダイを捕まえようとした。
ところが、チャダイは機械的に同じ言葉を喋りながら、人間離れした怪力でそれを押し戻す。
更に刺股の一本を奪い取って、横殴りに衛兵たちを薙ぎ倒してしまった。
見ていたチャドスは、「いかん、急がねば皇帝の耳にも入ってしまう!」と焦り、バルコニーから下がると、最初に目に入った館内の警護兵に怒鳴った。
「弓隊を呼べ! あの愚か者を射殺せ!」
広場にいるチャダイがチャドスの縁者であることは誰でも知っているため、警護兵は「お言葉ですが」と反対しようとした。
「言われたとおりにせよっ!」
チャドスは激昂して、警備兵を足蹴にした。
蹴られた警備兵は「御意!」と叫び、弓隊が詰めている衛所に向かって走り去った。
チャドスはバルコニーに取って返し、身を乗り出すようにしてチャダイの様子を見る。
チャダイを取り押さえようと群がっていた衛兵たちは、広場を囲む内壁の上部に弓隊が現れたのに気づき、サッとチャダイから離れた。
弓隊の隊長らしき大男が、「総員、構えーっ!」と叫んで手を上げた。
その間も、チャダイは「……帝国臣民に告ぐ! ……」と言い続けている。
「放てーっ!」
隊長は号令を掛けると同時に、上げていた手を振り下ろした。
ヒュン、ヒュンと矢が風を切る音が次々に響き、忽ちチャダイは針鼠のようになった。
が、全く何も感じていないかのように「……皇帝ゲルカッツェを廃し……」と続けている。
バルコニーから様子を眺めていたチャドスも唖然として、「化け物か」と呟いた。
「……ゲルヌ殿下の即位を求めようではないか!」
最後の一句まで言い切った瞬間、チャダイは何かが切れたように突如として全ての動きを止め、どうと倒れた。
遺体を片付けるために、恐る恐る戻って来た衛兵たちは、無数に矢が刺さったチャダイの身体から殆ど血が出ていないことに気づき、首を傾げた。
何事もなかったかのように、皇帝宮が落ち着きを取り戻した頃、チャドスは皇帝の私室に呼ばれた。
苦り切った顔でチャドスが、「お呼びにより、参上仕りました!」と型どおりの挨拶をして中に入ると、若き皇帝ゲルカッツェは周囲に美女たちを侍らせて寝台に寝転んでいた。
元々太ってはいたが、最近は余程のことがない限りここから動かないため、一段と脂肪が付いたようである。
横たわるゲルカッツェを膝枕しているのは、今一番のお気に入りのドランである。
そのドランこそがドーラであることは、まだチャドスも気づいてはいない。
あまりにも失礼な扱いに、さすがにムッとして黙り込むチャドスに、ゲルカッツェは起き上がろうともせずに「どうしたの? 報告してよ」と命じた。
チャドスは深く息を吐くと、目を伏せたまま話し始めた。
陛下のご下命により、先日ダナムにて行われました新バロード聖王国と商人の都サイカとの和平会談に立ち会わせましたチャダイ将軍ですが、その後帰国せず、行方不明となっておりました。
それが、本日、突然皇帝宮の広場に現れ、頭でも打って気がふれたのか、あらぬことを口走っておりましたので、治安上宜しからずと考え、成敗いたしました。
わが縁戚の者が市中をお騒がせいたしまして、誠に申し訳ございませんでした。
深々と頭を下げるチャドスに、ゲルカッツェが尋ねた。
「チャダイがぼくの悪口を言って、弟のゲルヌと替われって叫んでたらしいけど、おまえが言わせたの?」
チャドスは慌てて首を振った。
「滅相もございません! 何故わたくしが、そのようなことを致しましょうや!」
ゲルカッツェは、フフンと含み笑いをした。
「でも、おまえが密かにゲルヌを匿っているんだろう?」




