297 誘拐(8)
ゾイアたちが、謂わば編隊飛行でゲルヌ皇子が囚われているエイサに向かった頃、逆に、誘拐の黒幕であるガルマニア帝国宰相チャドスの許に飛んで来た者がいる。
長身の男で、足元まである丈長のマントを羽織り、鍔広の黒い帽子を頭に乗せていた。
その帽子の下の目つきが鋭い。
ゲルヌ誘拐を主導していた東方魔道師である。
飛行の速度を落として皇帝宮に近づくと、東端にある尖塔の最上階の窓の外に空中浮遊して、中に声を掛けた。
「タンリン、帰参いたしました」
中から「遅い!」とチャドスの声がした。
タンリンと名乗った男は、別に気にする風もなく、スルリと窓から入った。
部屋の中ではチャドスがお気に入りの安楽椅子にドカリと座っており、タンリンはその前に跪き、拝礼した。
すぐには顔を上げない。
チャドスが不機嫌な声で「申せ!」と告げると、タンリンはゆっくり顔を上げ、また恭しく伏せる。
それを見て、チャドスは満足したように少し頬を弛めたが、言葉は素っ気なかった。
「ああ、もう儀礼はよい。時間が無駄だ」
タンリンの方も、アッサリ態度を切り替えた。
「はっ。それではご報告申し上げます。チャロア団長は、未だゲルヌ皇子を手懐けられず、例の薬は拒否されたようです」
「阿呆め! 獣人将軍を取り逃がした失敗の償いをするとか申しておったのに。まあ、よいわ。それより、チャダイの消息は掴めたのか?」
「いえ。ダナムでの和平会談に行かれたのは確かなのですが、会談の後、乗っていた龍馬だけが戻り、チャダイ将軍ご本人はどこにも姿を見せられておりませぬ」
チャドスは「うーむ」と唸って天井を見上げ、軽く首を振った。
「殺されたのかもしれんな。遠縁故、将軍に引き立てたが、まあ、大して惜しい人材でもない。警備団長にしてやったチャロアとて、それは同じことだ。うむ。とにかく、引き続き捜せ。もし、殺されたのなら、その犯人もな」
「御意」
そのまま出て行こうとするタンリンに、チャドスは、「ああ、あの者はどうした?」と尋ねた。
「あの者、とは?」
ぞんざいに聞き返したタンリンに、「無礼者め」と舌打ちしながら、チャドスは仕方なさそうに付け足した。
「ほれ、ゲルヌを拉致する際に敵に捕らわれたという」
タンリンは「ああ、南人ですな」と、侮蔑するように冷笑した。
「殺されても構わぬと置いて来ましたが、どうやら捕虜にされたようです」
「大事ないのか?」
タンリンは片頬だけで笑った。
「そもそも、敵に知られて困るような秘密は教えておりません。まあ、道案内ぐらいはできるでしょうが」
「ならばよい。ところで、何という者であったかな?」
聞かれたタンリンは少し困った顔で考えていたが、諦めたように肩を竦めた。
「申し訳ございません。南人の名など、一々気にしておりませんので。ただ、大して理気力もないのに、南人の王族の出とかで、前任者に推薦されて仕方なく雇い入れました。おお、そうだ、確か、シャンロウとかいう名でした」
自分が聞いたものの、途中で興味を失っていたチャドスは、「そうか、チャンロンか」と上の空で応えた。
それを敢えて訂正もせず、タンリンは「それでは失礼いたします」と告げて、再び窓から飛んで行った。
チャドスのいる皇帝宮がある帝都ゲオグストに程近い、小さな洞窟の中。
剥き出しの岩の台の上に、タンリンが捜しているチャダイ将軍の遺体が横たえられていた。
洞窟の中には、何か薬草のような変な臭いが充満している。
そこへ、外からヒラヒラと灰色のコウモリが飛んで来て、クルリと宙返りすると、銀髪の美熟女ドーラとなった。
「おお、臭い」
ドーラは自分の鼻を摘まんだ。
「さてさて、もう頃合いかのう。転んでも只では起きぬ、とはこのことさ」
そう独り言ちると、ドーラはチャダイの遺体の前に立った。
「ふむ。よいであろう。さあ、目醒めよ、わが僕!」
すると、死んだはずのチャダイの目が、パチリと開いた。
ゆっくりと上体を起こし、全く光のない目でドーラの顔を見ている。
モゴモゴと口が動き、たどたどしく喋り始めた。
「目、醒めた、ご主人さま」
ドーラは、チャダイの様子をジッと観察している。
「うむ。もう少し調整が必要じゃな。まあ、よいわさ。おまえに喋って欲しいことは、これから伝授する。おまえは、それを大声で言えばよい。できるな?」
チャダイは、カクンと首を曲げた。
「できる」
「よし。では、これから科白を伝える。おまえは、それをある場所で言うのだじゃ。それさえ済めば、すぐに楽にしてやるからのう。さあ、始めるぞえ」
ガルマニア帝国の皇帝宮には、先代の皇帝ゲールの好みで閲兵式のための大きな広場がある。
先般のブロシウス討伐の際にも、ここで出撃前の式典が行われたのだが、それ以来、新皇帝ゲルカッツェの出不精な性格を反映して、全く使われていない。
その広場の中央付近に、ポッと光る点が現れた。
見る間に膨らんで人間がすっぽり入る位まで大きくなると、パンと弾け、中から体格のよい男が出てきた。
平服ではあるが、ガルマニア帝国の者なら誰もが知っている、若き将軍チャダイの姿であった。
近くで見れば、その両目に生気がないのがわかったであろうが、偶々なのか広場の中は無人であった。
チャダイは仁王立ちの状態で、広場の空気が震える程の大音声で話し始めた。
「ガルマニア帝国将軍チャダイである! 帝国臣民に告ぐ! かの愚昧極まる皇帝ゲルカッツェを廃し、名君ゲール陛下の再来、ゲルヌ殿下の即位を求めようではないか!」




