295 誘拐(6)
ガルマニア人は基本的に赤毛であるが、殆どの場合縮れている。
特にゲールの三人息子の長男ゲーリッヒは母が森の民の出身であるため、鳥の巣のようにボサボサになっている。
次男のゲルカッツェはやや縮れた程度、三男のゲルヌだけが直毛であった。
父のゲール皇帝もガルマニア人にしては真っ直ぐな髪の毛であったが、ゲルヌの場合は加えて母方に妖精族の血を引く先祖がいることもあって、サラサラした癖のない髪をしている。
ゲルヌが幽閉されている部屋は高い塔の上であるため、開け放たれた窓から常に風が吹き込み、寝台に腰掛けているゲルヌのサラサラした赤い髪を靡かせている。
今しも、自分を誘拐した東方魔道師を統括する自警団長のチャロアから、宰相チャドスに協力するよう言われたゲルヌは、あっさりと拒絶すると、風に乱された赤い髪をかき上げた。
「余は、下の兄と違って人形遊びに興味はない」
言うまでもなく、チャドスの傀儡となっている次兄のゲルカッツェに対する当て擦りである。
それがわかっていながら、チャロアは恍けて、「それなら、こういう遊びはどうでしょう?」と告げ、後ろを振り返って、部下に「例のものをお持ちしろ」と命じた。
「例のもの、とは何だ?」
訝しむゲルヌに向かって、チャロアは、また気味の悪い愛想笑いを浮かべた。
「ちょっとした嗜好品でございますよ。この阿芙蓉というものは、マオールでは今や貴族の嗜みの一つとされておるものです。ほれ、このように管の先に乾燥させた阿芙蓉を詰め、火を点けて煙を吸えばよいのです。悩みや苦しみが、スーッと楽になりますぞ」
しかし、ゲルヌは顔を顰め、「馬鹿にするな!」と叫んだ。
「子供だから知らぬだろうと高を括っているのかもしれぬが、生憎と、父上から毒物については一通り教わっておるのだ」
チャロアは愛想笑いを消し、嫌な目つきでゲルヌを見ている。
「そうはいきませんよ。わたしが宰相閣下からお叱りを受けますからね」
チャロアがこちらを向いたまま片手を上げると、後ろから部下の東方魔道師たちがゾロゾロと入って来た。
ゲルヌは「ほう」と呆れた顔をした。
「力ずくでも、ということか?」
チャロアは態とらしく肩を竦めて見せる。
「わたしとて、やんごとなき皇子に手荒な真似はしたくないのですが、まあ、已むを得ませんな」
ゲルヌはチャロアたちを睨み返した。
「中毒にさせられるくらいなら、自ら生命を絶つまで」
チャロアは鼻で笑った。
「護身用の細剣などは一切没収しておりますぞ。どうなさるおつもりですか?」
「こうするのさ!」
ゲルヌはパッとベッドから立ち上がると、何の躊躇いもなく、開いたままの窓から飛び降りてしまった。
「あっ、そんな!」
チャロアは慌てて窓に駆け寄り、枠に手を置いて下を覗き込む。
ところが、落ちて行くゲルヌの速度が徐々に遅くなり、ついに空中で止まってしまった。
見ていたチャロアは、ヘナヘナと腰が抜けたように、その場に座り込んだ。
「おお、あまりにも突然のことで忘れておったわい。自殺防止用に不可視の魔道網を張らせておったのだった。しかし、ゲルヌはそれを知るはずもないが」
ゲルヌの覚悟の程を見せつけられたチャロアは、「忌々しいガキめ!」と罵ると、部下たちに「助け上げておけ!」と命じた。
「阿芙蓉は如何しますか?」
部下の一人に聞かれたチャロアは、苛立たしげに「次の機会を待つ!」と言い捨てると、一人でサッサと部屋を出た。
東方魔道師たちもゲルヌを部屋に戻すと、気が抜けたように帰って行った。
一人になったゲルヌは、目を細めて気配を探っていたが、「いなくなったな」と呟くと、指先で摘まんだ何かを自分の目の前に持ってきた。
そこには何も見えないのだが、ゲルヌは指先を左右に揺らして、ニッコリ笑う。
「思ったより丈夫な魔道糸で良かった。最悪突き破って落ちても大怪我はするまいと思っていたが、止まってくれて助かった。しかし、まあ、アールヴ族の血を引く余にこれが見えることは、当分秘密にしておかねば」
プシュケー教団の自由都市ダナムでは、和平会談終了の直後にゲルヌが誘拐されたとの第一報が入った。
サンサルスから、連絡が行き違いにならぬよう、もう少し滞在した方が好いと勧められ、ウルスラもツイムもダナムに残ることにした。
サンサルスの予想どおり、その翌日には、ライナから直接ウルスラ宛に手紙が来たと知らせてきた。
手紙を受け取りに行ったツイムが戻って来るのを待ちきれず、借りている家の外に出ていたウルスラは、ツイムから手渡された手紙を立ったままで読んでいる。
ギータが、ゲルヌの救出をゾイアに依頼しに行ったとの内容であった。
「良かったですね、ウルスラさま」
ツイムにそう言われても、ウルスラは浮かぬ顔をしている。
「大丈夫かしら?」
ツイムは、サイカからの連絡を待つ間、ダナムの人々の農作業などを手伝っていたため、すっかり日に焼けて黒くなった顔で苦笑した。
「以前、ゾイアどのなら何があっても心配ないと仰っていたと思いますが」
「そうなのだけれど、何故か胸騒ぎがするのよ」
ウルスラは祈るように、遠い空を見上げた。
(作者註)お話の自然な流れで薬物のことが出てきますが、最近の事件との関連はありません。念のため。




