294 誘拐(5)
誘拐されたゲルヌ皇子を、ゾイアに救って欲しいとのギータの申し出を、断ったのはクジュケであった。
断られたギータは勿論、横に座っているニノフも驚いた顔でクジュケを見ている。
言われたゾイア本人は苦笑していた。
「すまぬ、ギータ。クジュケはわれのことを心配してくれているのだ。おぬしも見たように、われがまたあの光る玉に戻ってしまうのではないか、とな」
クジュケは、怪訝な顔をしているニノフに掻い摘んで事情を説明すると、ギータに向き直った。
「前回は運良く元のゾイア将軍に戻すことができました。しかし、今回も上手くいくとは限りません。あのサイカの包囲戦で勝利したのは、色々な要因があったにせよ、ゾイア将軍の存在があればこそでした。今、ニノフ殿下が新しい国を開こうとされるに際しても、是非とも必要なお方です。危険を承知で行かせる訳には参りません」
ギータも食い下がった。
「包囲戦のことを言うのなら、ゲルヌ皇子の活躍も決して小さくはなかった。それに、如何に智慧が回ろうと僅か十歳の子供じゃぞ。それが酷い目に遭わされるかもしれんのに、おぬしは見捨てるつもりか!」
クジュケも、普段の冷静さを失い、激しい口調で言い返す。
「誰が見捨てると言いましたか! ゾイア将軍の代わりに、わたくしが行くつもりです!」
ボップ族のギータと妖精族の血を引くクジュケが睨み合う構図を、両性族のニノフが困ったように見ている。
これに決着をつけるのは、ゾイアの役目であった。
「まあ、二人とも待ってくれ。ここで仲間割れのようなことをしている場合ではあるまい。われの心はもう決まっている。ゲルヌは子供とはいえ、あの包囲戦を共に戦った朋友だ。救けに行かぬなどという選択肢は、われにはない」
「ですが」
何か反論しようとするクジュケに、ゾイアは少しだけ微笑んで見せた。
「心配は尤もだ。だが、これは他人には理解し難いことだと思うが、再起動の前後で変わったことがある」
クジュケは改めて、ゾイアのダークブロンドの髪やアクアマリンの瞳を見た。
「変わったようには、思えませぬが」
「見た目のことではない。以前のわれなら、エイサという名前を聞いただけでも動揺していただろう。確かに、その古名であるイサニアには、今でも多少胸のざわつきを感じはする。しかし、ほれ、このとおり、別に異形に変身はせぬ」
今度はニノフが「何故でしょう?」と尋ねた。
ゾイアは、「それがわかれば良いのだが」と再び苦笑した。
「ただ、自分なりに考えた。最初と二回目で何が違うのか、とな。まあ、何事も、一回目よりは二回目の方が上手くいくのだろうが、それだけではない」
ゾイアが言う前に、ギータが「もしかすると、水か?」と聞いた。
「そうだ。ギータも知っているように、われが最初にタロスどのと遭遇した際には、直後にスカンポ河に落ちた。それがどの程度の悪影響を与えたのかはわからぬが、身体の奥にずっと微かな違和感があった。それが今は全くないのだ」
クジュケも「おお、そういえば」と声を上げた。
「再起動、というのでしょうか、二回目にタロスどのと合体された直後、不具合が直ったようだと仰っていましたね」
「うむ。少なくとも、エイサに行くこと自体には問題はないと思う。無論、殿下のお許しがあれば、だが」
ニノフは、「止めても行くつもりでしょう?」と笑った。
「構いませんよ、ゾイア将軍。当座、父が攻めて来ることもないでしょうし、できることからコツコツやっていきますよ。やることは山ほどありますから。ねえ、クジュケどの?」
言われたクジュケは、少し困った顔をした。
「ええ、まあ、そうですが」
ニノフはニヤリと笑って、クジュケの背中をポンと叩いた。
「冗談ですよ。ゾイア将軍と一緒に行ってください。その方が、おれも安心です」
「あ、ありがとうございます!」
クジュケは椅子から立ち上がって、頭を下げた。サラサラした銀髪から、少し先の尖った耳が見えている。
ゾイアが「われは助かるが、それでよいのか、殿下?」と聞くと、ニノフは表情を引き締めて頷いた。
「おれは直接知りませんが、噂に聞くだけでもゲルヌ皇子がどういう人物か想像がつきます。才能も然り乍ら、父親のゲール皇帝と違って他人の痛みがわかる子のようですね。それに、まだ見ぬ弟のウルスとも仲がいいようですし。是非とも救出してください」
「ああ、心得た!」
その頃、東方魔道師たちに捕らわれたゲルヌは、エイサの高い塔の狭い一室にいた。
部屋には寝台と机があるくらいで、殺風景そのものだ。
少なくとも、縄で縛られたり、鎖に繋がれたりしていないだけマシというものであろう。
窓は開いており、外の景色も見えるのだが、地上は遥かに下で、逃げることはできない。
窓と反対側にある扉の方には、常に鍵が掛けられている。
と、その鍵をガチャガチャと開ける音がした。
ゲルヌは軽く舌打ちして、「またあいつか」と呟いた。
扉が開き、でっぷりと太った男が入って来た。
魔道師のマントに似たものを羽織っているが、ずっと丈が長く、足元まで覆っている。
マントにフードが付いていない代わりに、鍔広の黒い帽子を頭に乗せていた。
太った男は、細い目を一層細め、愛想笑いのようなものを浮かべた。
「ご不自由をかけますな、殿下。色よいお返事さえいただければ、もっと良い部屋をご提供いたしますのに。一言、われわれに協力すると仰れば、この自警団長チャロアが、責任を持って宰相チャドス閣下に取り次ぎますぞ」
ゲルヌの返事は、鮸膠もなかった。
「断る」




