293 誘拐(4)
ゲルヌ皇子が誘拐されたとの第一報が暁の女神の砦に届いた翌日の昼頃、前日から夜通し龍馬で駆けて来たギータとシャンロウが到着した。
如何にギータが子供並みの体格とはいえ、小太りのシャンロウと二人を乗せて走った龍馬の消耗は甚だしく、直ちに砦の厩舎に廻されることになった。
龍馬の手綱を馬丁に引き渡しながら、ギータは小さな頭を下げた。
「すまんのう。蘇摩があるなら食わせてやってくれぬか」
龍馬にも飼葉は食べさせるが、それ以外に蘇摩が与えられる。
神の薬草とも言われる蘇摩は、人間には幻覚作用を齎すが、龍馬には無尽蔵の活力の源となるのである。
年配の馬丁は「ああ、任せときな。たんとはねえが、食わせてやるよ」と笑いながら、銀色の鱗が光る頸筋を撫でてやっている。
龍馬は、馬丁の言葉がわかるのか、嬉しそうに軽く嘶いて首を振りながら厩舎の方へ行った。
それを見送るギータの後ろから、情けない声がした。
「おらも、腹減っただよ」
無論、シャンロウである。両手で押さえている腹が、本当にグーグー鳴っている。
ギータは呆れたように、その小太りの身体を見上げた。
「さっき、残っている携行食を全部やったろう」
「とても足りねえだよ」
少し離れた場所から笑い声が聞こえた。
「その図体じゃ、腹も減るだろうさ」
ニヤニヤ笑いながら歩いて来たのはロックであった。
ギータもホッとしたように笑い返す。
「元気そうじゃの。おお、そうじゃ、おまえに頼むかのう。この男が」
皆まで言わせず、ロックが「わかってるよ」と引き取った。
「伝書コウモリの手紙に書いてあった東方魔道師だろ。おいらに任せな。ちゃんと面倒みてやるよ」
安請け合いするロックを危ぶんで、返事を躊躇うギータに、そのロックの後ろから「心配せずともよい」と声が掛かった。
白髪の老人であるが、灰色の瞳に計り知れない叡智を湛えている。
ケロニウスであった。
「おまえがボップ族のギータじゃな。クジュケから聞いておる。その魔道師はわしが責任を持って預かろう」
「おお、あなたが、かの高名な老師ケロニウスさまですな。それでは安心してお願いいたしまする」
当然、ロックは口を尖らせて、「何だよ、じいさん同士で勝手に決めやがって」と不満を漏らしたが、少しホッとした様子も見てとれる。
シャンロウは二人に任せ、ギータはゾイアたちが待っていると教えられた建物に入った。
元々小国の城であったこの砦は、『暁の軍団』の根拠地だった頃には荒れ放題となっていた。
それを蛮族の帝王カーンとしてカルス王が手直しし、そこを占領した北方警備軍が補強し、現在はニノフが全面的に改築している。
今ギータが通っている廊下も、新しくなった箇所と古い部分が混在し、如何にも現在補修中という状態である。
屋内で作業している兵士たちに尋ねながら、ギータは会議用であるという部屋に着いた。
兵士から、中にニノフもいると聞いていたため、ギータは入る前に声を掛けた。
「情報屋のギータという者にございまする! サイカのライナの名代として参りました!」
中から若い男の声がした。
「ああ、どうぞ入ってください!」
「失礼いたしまする」
扉を開けると、ライナの屋敷にもあったような大きな円卓に、三人座っていた。
ゾイアとクジュケに挟まれている、金髪碧眼の優男がニノフであろうと、すぐに見当がついた。
「お初にお目にかかります、ニノフ殿下」
ニノフは笑って手を振った。
「堅苦しいのは、よしてください。お互いに共通の知人が多いので、初めてという気がしません。ざっくばらんに行きましょうよ、ギータどの」
ギータもニヤリと笑ってしまった。
「ありがたい。わしはどうも、礼儀作法というのが苦手で」
そう言いながらも、ギータはすぐに円卓に座っていいのか迷った。
いつもなら、気を利かせて何か言うはずのクジュケが暗い顔で黙り込んでおり、代わりにゾイアが「そこの椅子に掛けてくれ」と勧めてくれた。
見ると、普通の椅子の座席に折り畳んだ毛布が乗せてある。
サイカのように、子供用の高椅子などがないからであろう。
「おお、それでは遠慮なく」
高さは丁度良く調整されている。
ギータは表情を引き締め、等分に三人を見ながら話し始めた。
さて、先ずは事件をお知らせせねばと、手紙には簡単にしか書けませなんだので、改めてご説明いたしまする。
一昨日の朝、ゲルヌ皇子は宿舎にしているライナの屋敷を出て、市の目抜き通りを歩いている途中、隠形して近づいた数名の東方魔道師によって誘拐されましたのじゃ。
尤も、十歳にしては相当な剣の使い手である皇子が抵抗したため、きゃつらは仲間の一人を置き捨てて逃げました。
その男シャンロウは、今ケロニウスさまにお預けしておりまする。
同じマオール人とはいえ、虐げられている南人にて、戻っても殺されるだけじゃからと、わしらに色々話してくれました。
黒幕は当然、皇子の母国ガルマニア帝国を実質的に乗っ取った宰相のチャドスですが、シャンロウたちは直接帝都ゲオグストから来た訳ではなく、エイサから来たというのですじゃ。
確かに、エイサは最近、チャドスの母国マオール帝国の息のかかった暗黒都市マオロンと姉妹都市になったといい、距離的にもサイカに近いので、攫った皇子もそこに連れて行かれたようなのです。
このまま放っておけば、皇子を第二のゲルカッツェにすべく、麻薬の虜にする計画と聞いておりまする。
サイカを護ってくだされた皇子を、そのような酷い目に遭わせる訳には参りません。
一刻も早く皇子を救うためには、ゾイア将軍のお力を借りるしかありませぬ。
何卒良しなに、お願い申し上げまする。
頭を下げるギータに、意外な人物が返事をした。クジュケである。
「その儀は、固くお断りいたします」




