292 誘拐(3)
ライナとギータは、ゲルヌ皇子が誘拐されたことを和平会談に出席しているウルスラとツイムに伝えるのと同時に、ゾイアにゲルヌ救出を頼むことにした。
「一先ず、急便用の伝書コウモリを両方に飛ばすとしても、やはり、ゾイアには、わしが直接行ってお願いすることにしよう」
ギータにそう告げられたライナは、悔しそうな顔をした。
「本当はわたしが行きたいんだけど、やっぱり、そうもいかないものかねえ」
ギータは呆れたように、「当たり前じゃ」と目を見開いた。
「ライナがおらねば、このサイカは忽ち収拾がつかなくなるぞ」
「こんなことなら、或る程度任せられる二番手を育てて置くべきだったよ」
「うむ。それは今回のことでわしも思ったよ。今からでも遅くはない。男衆から誰か抜擢したらどうじゃ?」
「ふん。男は頼りないからねえ。ゾイア以外はさ」
ギータは苦笑した。
「あんなやつと比べれば、誰だって頼りないわい。さあ、その頼りになる男を早く呼びに行かねばのう。どうじゃ、龍馬は手に入りそうか?」
「厳しかったけど、何とか一頭、手配はついたよ。追っつけ到着する頃さ。それより、本当に一人で行くのかい?」
「うむ。ことは急を要する。わし一人の方が、身軽で好い。あ、いや、待てよ」
ギータは、皺深い額に小さな手を置いて考えている。
「どうしたのさ?」
訝しむライナに、ギータは「うむ」と何かを決心したように自分の膝を打った。
「あいつを連れて行こう」
「あいつ?」
「シャンロウとかいう、東方魔道師じゃった南人さ」
ライナは、男勝りの美しい顔を驚愕に歪めた。
「何だって! あんた、自分が何言ってんのか、わかってるのかい!」
ギータはクリッとした丸い目を動かして、少しお道化たような顔をして見せた。
「わかっておるさ。いずれにせよ、今は一刻を争う。ゾイアが引き受けてくれれば、そのままエイサに行かねばなるまい。で、あれば、案内役のあいつを呼びに戻る暇もない」
「だからって、まだ本当にこっちの味方になった訳でもないあの男を連れて行って、大丈夫なのかい?」
ギータは笑顔すら浮かべている。
「そこは、まあ、賭けさ。こう見えて、わしは勝負運があるんじゃよ」
その頃、ゾイアのいる暁の女神の砦では、先日到着したニノフを中心に、国造りに向けて本格的に始動していた。
新たに増えた兵士たちの宿舎の割り振りや、食料や水などの基本的な生活必需品を整える多忙さが落ち着いたところで、主要な面々が集まって今後の方針を話し合うことになった。
場所は、以前『暁の軍団』の首領のバポロや、蛮族の帝王カーンと名乗っていた頃のカルスが使っていた執務室を、会議用に改造した部屋である。
中央に置かれた大きめの円卓を囲んで、七人座っている。
「わたくしも、バロン大公国よりエオス大公国の方が良いと思いますよ、老師」
冒頭でクジュケにそう言われ、名付け親のケロニウスが嬉しそうに笑った。
間者の疑いも晴れ、ニノフの方から同行してくれるように頼んだのである。
「本当に、この国が中原の暁の光となって欲しいからのう」
ニノフは少し厳しい表情で頷いた。
「ええ。闇に負けぬようにしなければなりませんからね」
自分の母国を敢えて『闇』と呼ぶニノフに、驚きを隠せないペテオやヨゼフの横で、ロックが痛快そうに笑っている。
「いいねえ。早いとこ、やっつけちまおうぜ、蛮族王国なんてさ」
不謹慎な言い方を咎めようと、クジュケが口を開く前に、ゾイアがニノフに尋ねた。
「不躾ながら、殿下の王位継承権を剥奪するとの通告がバロードから来たそうだが?」
ニノフは更に苦い顔となった。
「はい。サイカ包囲戦の敗色が濃厚となった時点で、何らかの妥協案を出して来るのかと思っておりましたが、逆に強硬策を採ったようです。まあ、元々捨て子同然の扱いですから、今更どうということもありませんが」
ケロニウスが痛ましそうに「そのことじゃが」と口を挟んだ。
「クルム城から逃亡したレナという蛮族の娘が身籠っておったとすると、恐らくその相手は……」
言い淀むケロニウスの代わりに、ニノフが答えを引き取った。
「多分、蛮族の帝王を自称していた父の子でしょう。父がバロードを蛮族支配の国にしたがっているのは明らかです。自分の跡継ぎも、蛮族の血を引く者に、と考えているに違いありません」
皆が言葉を失う中、ゾイアは淡々と話を続けた。
「ならば、ウルスも廃嫡される可能性があるな。その方が、逆に好都合なのだが」
ニノフは、一見するとその戦闘能力の高さを感じさせない華奢な首を傾げた。
「好都合、とは?」
「うむ。或る意味自由の身になった殿下は、最早遠慮なく新しい国を始められる訳だが、当然、バロードから妨害があるものと覚悟せねばならない。で、あれば、ウルスの方も『自由都市同盟』を核に、まあ、仮称だが、バローニャ公国を造ってもらい、バロードの圧を分散させた方がよい。尤も、バロード側はそうさせぬため、態とウルスには王位継承権を残すかもしれんが」
ロックが面白がって手を打った。
「いいじゃねえか! 両方から挟み撃ちにしてやればさ! まあ、こっちに比べて、向こうには人材が足りねえだろうけどさ」
先程からのロックの態度に苛立っていたらしいクジュケは、「いいえ」と否定した。
「あちらには、ゲルヌ皇子がおられます」
ゲルヌが嫌いなロックが、何か言い返そうとしたところへ、伝令が駆け込んで来た。
「お話し中、畏れ入ります! サイカより緊急の報せが参りました! ゲルヌ皇子殿下が、何者かに誘拐されたとのことでございます!」




